「拠点外も元通りに」 明言しない答弁に不信感 【復興を問う 帰還困難の地】(79)
福島県郡山市に避難している富岡町深谷行政区副区長の松本哲朗さん(68)は、東京電力福島第一原発事故が発生する九カ月前、自宅の敷地内に住宅を新築した。「平屋で住み心地のいい家を建てるのは長年の夢だったんだ。地元の木材を使ったこだわりのわが家だった」。老後に大好きな農業にいそしみながら、穏やかに暮らすのを心待ちにしていた。
新居では原発事故が発生するまで妻千春さん(71)ら家族と一緒に暮らした。避難を強いられてから十年が過ぎた今も、電気と水道が通れば住める状態を保っている。「そう簡単には取り壊せない。住める状態にあるからこそ、自宅に戻りたいという気持ちは人一倍強い」
二〇一八(平成三十)年秋、部屋の窓ガラスを侵入者に割られた。入り込んだ動物に台所を荒らされた。大切な家を元の状態に戻そうと、郡山市から五日間通った。地震や長雨があると心配になる。「不安を打ち消すには、実際に見て確認するしかない」。トラックの荷台に発電機や修繕用の工具を積み、再び住める日を信じて一時帰宅している。
富岡町は二〇一七年に避難指示解除準備、居住制限の両区域の避難指示が解除され、町内の面積の九割で人が住めるようになった。
町が雇用の場の確保に向け整備した富岡産業団地は今年四月に全面供用された。農業再生に向け町が主要作物に位置付けているタマネギの乾燥機能を備えた集出荷施設の整備も進む。
一方、帰還困難区域となった深谷行政区は国が住民の居住に向けて整備を進めている特定復興再生拠点区域(復興拠点)にも含まれず、人々が帰還できる見通しは立っていない。「復興を進められる地区は大いにやってもらいたい。ただ、拠点外も元通りにすべきだ。できないなら、なぜできないのか明確に示してくれ」。松本さんは古里での将来像を描けず、もどかしい思いに駆られる。
菅義偉首相は二月の衆院予算委員会で復興拠点から外れた地域の除染、家屋解体の実施を表明しない政府の姿勢を問われた場面で「やらないとは言ってはいない」と述べた。「やる」とは明言せず、具体的な道筋を示さなかった。
拠点外の住民の気持ちを考えているのか-。松本さんは、国への不信感が日に日に増していく。原発事故の発生から十年が過ぎた今でも、将来古里に帰れるのか、帰ることができないのかさえ分からない現状に、やるせなさが込み上げる。「原発事故の責任を果たすというならば、拠点外の住民と、もっと真剣に向き合うべきだ」