「期限内の明示は困難」 方針決定先送りにあきれ【復興を問う 帰還困難の地】(80)

 

 福島県双葉町の水田で、青々とした苗が風にそよぐ。東京電力福島第一原発事故により全町避難が続く双葉町は五月十九日、町内の帰還困難区域にある特定復興再生拠点区域(復興拠点)内の下羽鳥地区の水田で水稲の試験栽培を始めた。関係者約五十人が見守る中、同地区から、いわき市に避難している農業沢上栄さん(71)が慣れた機械さばきで田植え機を操った。

 原発事故前には当たり前にあった水田の風景が十一年ぶりに広がった。「感無量だ」。沢上さんは懐かしい光景に特別な思いを抱く。だが、今秋に収穫するコメは放射性物質濃度を確認するために使用され、残りは全て廃棄される。町が目指す稲作の営農再開は二〇二五(令和七)年だ。「双葉の田んぼを守りたい。でも営農再開なんて本当にできるのか」。田植えができた喜びを感じながらも、不安を拭えない。

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 沢上さんの自宅は下羽鳥地区の山あいにある。先祖代々続く農家で、自宅周辺に合わせて約四ヘクタールの水田を所有している。原発事故前、東電の関連企業の社員として福島第一原発で働きながら、休日はコメ作りに汗を流していた。

 日常は原発事故で一変した。自宅や水田は帰還困難区域となり、二〇一七(平成二十九)年九月に政府が認定した復興拠点から外れた。野生動物に荒らされ、朽ちていく自宅を解体することさえできない。水田には県内の除染で発生した土などが入った黒い袋が積まれている。

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 政府は「たとえ長い年月を要するとしても、将来的に帰還困難区域の全てを避難指示解除」するとの方針を掲げながら、原発事故の発生から十年が過ぎた今も、復興拠点外の除染の在り方や解除方針を示していない。

 帰還困難区域を抱える富岡、大熊、双葉、浪江、葛尾の五町村でつくる協議会は六月末までに政府方針を示すよう求めていたが、今月一日、政府側は期限内の明示は困難と回答した。方針の決定時期については明言を避け続けている。

 「できることなら双葉に戻って、またコメを作りたいのに…」。沢上さんの胸には地元の思いに応えず、方針決定を先送りにする政府への、あきれに近い複雑な感情があふれる。「方針が決まらなければ、具体的な目標を何も立てられない」

 昨年春に脊柱管狭窄(きょうさく)症を発症し、一時は体が動かなくなった。自身の体調を考えると、古里に戻る望みを実現できるのか自信がない。

 町民の帰還への意欲が少ない点も懸念材料の一つだ。復興庁と県、町が昨年八月から九月にかけて行った住民意向調査では「(町に)戻りたいと考えている」は10・8%だった。一方、「戻らないと決めている」は62・1%に上った。

 「町に対する町民の思いは今後さらに離れるのではないか。帰りたい人が少ないのに、農業をやりたい人がどれだけいるんだろう」。町の将来を憂う。

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