【鉄路と生きる(17)】第2部 常磐線 復興加速へ運行再開 沿線や国、JR思い一致
約9年ぶりに全線がつながったJR常磐線。各駅では住民らによるお出迎え式などが行われ、節目を祝福した=2020年3月14日、JR夜ノ森駅
2023/01/08 10:37
浜通りの暮らしと経済を支えたJR常磐線は、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故によって無残に分断された。一部の駅舎や線路は津波で流され、原発立地地域の一帯は立ち入れず、不通となった。「復旧しなければ、住民の心が古里から離れてしまう」。県と沿線市町は国、JR東日本への要望を重ねた。線路のルート変更や新駅舎の建設、除染など、時間をかけて、鉄路は徐々に本来の姿を取り戻していった。
2020(令和2)年3月。富岡-浪江駅間が運行を再開し、常磐線は約9年ぶりに全線がつながった。「これで浜通りの復興が加速すると実感した」。全線再開の約2年前に南相馬市長に就き、現在も常磐線活性化対策協議会長を務める門馬和夫さん(68)は振り返る。
常磐線は県内全線不通-。多くの犠牲者が出るなど震災発生直後の混乱の中、市災害対策本部に入った情報に困惑した。当時、市経済部長だった。国道6号などの道路網も被害を受けていた。「鉄道は生活の足なんだ」「県外から物資は届くのか」。市民や経済人から列車に関する問い合わせが市に相次いだ。「生活路線や物流手段としての重要さに改めて気付かされた」
県と沿線自治体は早期復旧を求めた。要望は駅周辺の整備促進、線路の新ルート、除染など多岐にわたる。一方、路線整備に伴う用地取得では県や市町の協力が欠かせない。国、JR、自治体の地道な協議が続いた。
県内の常磐線は2011(平成23)年10月の久ノ浜-広野駅間、同12月の原ノ町-相馬駅間を皮切りに、北と南から段階的に不通区間を解消していった。鉄路はいくつもの自治体をまたぐため、それぞれの事情に対応する上で膨大な時間を要する。それでも、門馬さんは「一日も早い全線再開。これだけは一致していた」と強調する。
門馬さんが協議会長に就いた2018年。第1原発が立地する大熊、双葉両町を含む富岡-浪江駅間はまだ再開できずにいた。「この区間を通して全線再開通を果たせば、交通利便性の回復はもちろん、避難者の帰還促進や地域再生に結び付く」。JRや国に対して、早期復旧と首都圏との直通便再開などを求めた。
帰還困難区域を通るため、利用者がすぐに増えるわけではないのは明白だった。だが、JR、省庁への要望活動の中で、門馬さんは「まず鉄道を通すことで、沿線の復興を進めようという思いは感じた」という。協議会副会長を務めた元浪江町長の吉田数博さん(76)も「常磐線復活を望む住民の切実な声を伝えた。全線再開通への後押しになったはず」と思い起こす。
再出発を遂げた常磐線。沿線の一部自治体は復興のさらなる加速化に結び付け、駅を中心としたまちづくりを進めている。