【鉄路と生きる(20)】第2部 常磐線 「ようやく再出発」 夜ノ森駅周辺、今春避難解除 「利便性向上を」
夜ノ森駅のホームから荒れたツツジの名所を見詰め、地域の再生を誓う遠藤さん
2023/01/11 10:23
ソメイヨシノの並木が周辺に広がる福島県富岡町のJR常磐線夜ノ森駅はツツジの名所だった。春には約6千株がホーム両脇の斜面を彩り、特急列車は減速して駅を通過。車窓の景色に乗客は見とれた。東京電力福島第1原発事故前まで住民が花を手入れし、来訪者をもてなしてきた。
だが、原発事故に伴う除染で枝や葉は伐採された。駅前で生まれ育った富岡町商工会長の遠藤一善さん(61)は人けのない駅のホームに立ち、斜面を見詰めた。「以前の華やかさを取り戻すには時間がかかるだろう」
夜ノ森駅周辺は、住宅街や学校が集中していた東側が原発事故により帰還困難区域に指定された。2017(平成29)年4月、町内では帰還困難区域を除いて避難指示が解除され、隣駅の富岡駅周辺は「さくらモールとみおか」の開業や合同庁舎の業務再開で人の流れが戻り始めた。2020(令和2)年3月には夜ノ森駅を含む常磐線富岡-浪江駅間の運行が再開。全ての駅の利用が可能になった。だが、避難指示が続く夜ノ森駅東側では復興の歩みは進まなかった。
駅東側を含む一帯は特定復興再生拠点区域(復興拠点)として、今春の避難指示解除が予定されている。常磐線の駅に面した地域としては最後の解除となり、富岡駅周辺から6年遅れで再出発する。「ようやくスタートラインに立った。何とか地域を盛り上げたい」。遠藤さんの脳裏に、かつてのにぎわいがよみがえる。
夜ノ森駅は1921(大正10)年に開業した。周辺では木材が産出され、輸送の拠点となった。遠藤さんの実家は家業で木炭を扱っていた。幼少期、炭俵を貨物列車に運ぶ祖父らに付き添った記憶がある。「駅は人や貨物でいっぱいだった」
時代が移り、物流の手段が多様化する中で夜ノ森駅での貨物の取り扱いは役目を終えた。自動車の普及に伴い乗客数も徐々に減少。1984(昭和59)年に無人駅に切り替わった。それでも、住宅や学校があるため、生活には欠かせない存在だった。
復興拠点では原発事故後に解体された温泉施設「リフレ富岡」跡地に健康増進施設の建設が予定され、拠点内外には産業団地の整備構想もある。「鉄道をどう生かすのかが重要になる」。遠藤さんは生活の足としての役割に加え、ビジネス需要にいかに応えるかが鍵になるとみる。
双葉郡を通行する特急列車の本数は現在、震災前の1日12本から半減し、普通列車もかつての6割程度だ。「複数の交通インフラがより糸のように結束して補強し合うことが、被災地の復興につながる。そのためにも、列車の増便や高速化で鉄道の利便性を向上してほしい」。鉄路が未来を切り開くと信じている。