誰かが戻る日 信じて 愛する古里、福島県葛尾村野行地区に「新居」 避難先との2地域居住の大山さん

 

昨年9月に新築した野行地区の自宅の周りを見回る大山さん。庭や農地の手入れをして過ごしている

 

2023/06/07 09:26

 

 東京電力福島第1原発事故に伴う帰還困難区域のうち、福島県葛尾村野行地区の特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示解除から12日で1年となる。居住者は1世帯のみだが、避難先との2地域居住を選ぶ人もいる。大山昭治さん(86)は昨年9月に自宅を再建して避難先から通う。先祖が切り開いた古里への愛着は捨てられない。人が戻る日を願い、家の周囲や農地を手入れする。

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 県道浪江三春線沿いの「新居」は木造平屋だ。日の当たる居間に好きな音楽を聴くオーディオ機器をそろえる。ほぼ1日おきに田村市船引町の避難先から約30キロの道のりを行き来する。「近所に遠慮せず音を出せる」と穏やかに笑う。

 4代前が明治時代に郡山市西田町鬼生田から野行に入植した。大山さんは葛尾中を出ると農業を継ぎ、浪江町の建設会社に約20年間勤め、娘3人を育てた。

 40歳ごろに野行に建てた2階建ての家は原発事故後、動物に荒らされた。立ち寄るたびに、帰還は難しいという気持ちが強まり、解体した。心境が変わったのは3年ほど前。ある日、農地の保全管理で一時帰宅した際に雨でずぶ濡れになった。車内でこごえながら「暖を取れる小屋がほしい」と感じ、平屋の新築に行き着いた。

 自宅周辺の見慣れた風景を見るにつけて「これ以上、荒らすわけにはいかない」との思いが募る。草刈りや庭木、農地の手入れなどに汗を流す。野行で夜を過ごす日もあるが、自分も妻もこの12年間で年を重ねた。定住や営農再開には踏み切れない。「よその人でもいい。いつか誰かが住んでくれる地域になればいい」。望みを捨てずに日々を過ごす。

 

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