大津波に言葉失う 福島民報小名浜支局長(震災当時)鈴木大士 震災・原発事故から10年ルポ

 

東日本大震災、東京電力福島第一原発事故から間もなく十年の歳月が流れる。災害発生当時や発生前の被災地を取材した本紙記者らが、当時の記憶をたどりながら復興に向けて歩む現在の姿を追う。

 天気が良い週末には家族連れらが散歩や釣りを楽しむ、いわき市の小名浜漁港。二〇一五(平成二十七)年に完成した新しい小名浜魚市場に多くの漁船が出入りする。隣接する市観光物産センター「いわき・ら・ら・ミュウ」やアクアマリンふくしま、大型商業施設は、観光や買い物客らでにぎわう。

 今の魚市場ができる前にあった旧魚市場は、二〇一一年三月十一日午後二時四十六分に発生した震災の津波から私を守ってくれた。

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 取材当時の記憶は鮮明に残っている。激しい揺れを感じカメラを手に小名浜支局を飛び出した。漁港へ到着すると、言葉を失うほどの大きな津波が眼前に迫っていた。魚市場の二階に駆け上がった。第一波で、乗ってきた車が流されるのが見えた。

 一階部分を突き抜ける波で避難はできない。魚市場の屋上から海を見ると、大型の漁船が目の前で不気味な音を立てながら揺れていた。「あの漁船の係留ロープが切れたらこっちに直撃するかもしれない」。死と隣り合わせの状況の中、何度も迫り来る津波にシャッターを切り続けた。海側では、漁船を守るために沖に向かう人の姿があった。陸側に目をやると、パトカーや消防車がサイレンを鳴らし、必死に避難を呼び掛けていた。

 何度目かの津波が引いた時、避難することを決断した。車がないので徒歩で逃げるしかない。道路は濁流に覆われていて、膝まで水に漬かった。流れるがれきにぶつかりながら安全な場所にたどり着いた時、履いていたズボンはボロボロで身体は傷だらけだった。周囲を見渡すと、よく知る街並みは変わり果てた姿になっていた。

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 今の小名浜港は被害があったことを感じさせないほど復興が進んでいる。同港は産業港として石炭の国際バルク戦略港湾、特定貨物輸入拠点港湾の指定を受けた。整備が進む「東港」は二〇二一(令和三)年度内に本格稼働が見込まれている。小名浜港3号埠頭(ふとう)沖合の巨大な人工島は日々多くのトラックが行き交う。

 いわき・ら・ら・ミュウで、営業課参事を務める小玉浩幸さん(54)は「津波の被害は大きかったが、原発事故による風評も厳しかった。それでも徐々に観光客が戻り、活気が出てきた」と語る。

 復興の加速を肌で感じるとともに、震災の記憶を未来に残す必要性を強く実感する。当時を忘れず、不測の事態に備えて心構えを持つ-。それが、自分だけでなく大切な誰かを守ることにつながる。(現いわき支社営業部浜通りエリア担当)

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