複雑な思い拭えず 覚悟と諦念入り交じる【復興を問う 帰還困難の地】(57)

 双葉町細谷行政区副区長の田中信一さん(70)は、避難先の郡山市日和田町で生活するようになり六年が過ぎた。「時のたつのは早いものだ」。健やかに育つ孫の身長を記した壁に目をやった。

 かつて自宅や農地があった場所は、東京電力福島第一原発事故で発生した除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設の一部となった。先祖代々住み続けてきた土地だったが、断腸の思いで国に提供した。

 除染土が詰め込まれた黒い袋を運ぶ車両を目にするたびに思う。「大切な土地を手放した。地権者の思いを国、東電は忘れず、復興に役立ててほしい」

 双葉町出身の田中さんは双葉経営伝習農場を卒業後、農業の傍ら、東電の関連会社に勤めた。福島第一原発敷地内の建物、設備などの管理運営を担った。二十二歳の時に晴子さん(68)と結婚し、三人の子どもに恵まれた。家族に囲まれた穏やかな人生が続くと信じていた。

 二〇一一(平成二十三)年三月十一日に発生した東日本大震災と原発事故が全てを変えた。三月末には古里から約百九十キロ離れた埼玉県加須市に身を寄せた。

 段ボールで家族ごとに仕切られた避難所での生活が続いた。古里に帰れず、生計を立てるすべもない。「もう死んでしまおうか」。そう考えた時もあったが、生後七カ月を過ぎた孫が初めてハイハイしたのを見て生き抜こうと決意した。

 二〇一二年三月十日、政府は大熊、双葉、楢葉の三町に対し、中間貯蔵施設を設置するため協力を要請した。双葉町は福島第一原発の北側にある自宅付近などが候補地だった。その後、町内は二〇一三年五月に避難区域が再編され、細谷地区は帰還困難区域となった。

 県は二〇一四年八月、中間貯蔵施設の建設受け入れを容認した。当時、塙町に避難していた田中さんは、郡山市に新たな家を建てた。同時に、双葉町の土地を中間貯蔵施設の用地に提供しようと決心した。「県土の環境回復のために」という覚悟と、「生きているうちは戻れない」との諦念が入り交じった。

 郡山市の自宅は双葉町にいた頃の、広い敷地と大きな家屋ではない。夏の農作業中の火照りを冷ます海風も届かない。だが、買い物や通院、孫の通学の利便性が良く、家族が安心して生活できる。

 新たな生活を送る市内では、仮置き場や積込場などから総量八十七万立方メートルに及ぶ除染廃棄物が運び出されている。二〇二一年度内には完了する見通しだ。一方、古里に造られた中間貯蔵施設にためこまれる量は、日を追うごとに増す。複雑な思いが拭えない。「国は責任を持って施設を整備し、速やかに除染廃棄物を搬入し、搬入から約束の三十年以内に県外で最終処分すべきだ。福島の環境を元に戻す責任がある」

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