【鉄路と生きる(14)】第2部 常磐線 観光客利用に活路 常夏、温泉求め需要増

 

1966年にオープンした「常磐ハワイアンセンター」。当時の常磐炭砿が観光産業に転換し、地域再生の一大テーマパークとして建設した

 

2023/01/04 09:10

 

 

いわき市のJR常磐線湯本駅から車でおよそ10分。常夏をうたう観光施設「スパリゾートハワイアンズ」は多くの家族連れらでにぎわう。

 石油の普及による炭鉱産業の斜陽化を受け、当時の常磐炭砿が観光産業に転換し、前身の「常磐ハワイアンセンター」を1966(昭和41)年に開業した。ピーク時には年間約150万人が訪れる一大レジャー施設となり、温泉や海などの地域資源を誇るいわき市の観光産業のけん引役となった。昭和の時代、多くの観光客をこの地に運んだのは「新たな使命」を担った常磐線だった。

 「常磐炭砿にとって観光産業への参入は大きな賭けだったはず」。現在ハワイアンズを運営する常磐興産の元取締役企画室長だった坂本征夫さん(77)は、オープン直後の入社当時を思い返す。新たな分野への挑戦に、社内は熱気があふれていた。「(経営陣に)勝算はあったと思う。常磐線で関東圏からの誘客を見込めることは、大きなメリットだったから」

 常磐線が石炭輸送を担っていた縁もあり、常磐炭砿は当時の国鉄との関係が深かった。入社後に営業を担当した坂本さんにとっても大きな取引先の一つだった。鉄道を利用した旅行企画が次々と商品化された。

 ハワイアンセンターの団体利用者向けの臨時列車が、群馬県や千葉県などからも各路線を乗り継いで走ってきた。上野駅構内では、ハワイアンセンター行きの列車を送り出すフラガールのショーが開かれた。「石炭輸送の使命を終えた列車が、代わりに多くの人を運んでくれた」。坂本さんは鉄路がもたらした恩恵に胸を熱くする。

 観光客は温泉の癒やしや「常磐もの」も求めて大勢訪れた。日本有数の炭鉱の閉山で活気を失いつつあった街は、鉄道を生かした観光で息を吹き返した。

 この時代は車社会の波が押し寄せ始め、各地で高速道路の整備が進んだ。1988年に常磐自動車道日立北-いわき中央インターチェンジ(IC)間が開通し、ハワイアンセンター最寄りの湯本ICの営業も始まった。観光客の交通手段は次第に車の利用が増えたが、首都圏と浜通りとの往来などには現在も特急などが利用されている。

 燃料の主役が石炭から石油に代わった1950年代以降のエネルギー革命に伴い、常磐線沿線には火力発電所や原子力発電所が立地するようになった。新産業の誕生は、沿線の街並みや人の往来にさらなる変化をもたらした。

 

 

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