双葉町駅前にアートスポットが出現中 夏には音楽フェスも開催予定

福島県双葉郡の双葉駅前に複数のウォールアートが続々と出現し、話題になっているのをご存知だろうか。

描いたのは、アーティスト集団「OVER ALLs(オーバーオールズ)」。

もともと福島県とは縁もゆかりもない彼らだったが、双葉町出身の髙崎丈さんとともに、2020年夏から「FUTABA Art District」プロジェクトをスタートさせた。今年の夏頃には、音楽とアートを融合させたフェスを開く予定もあるという。そこで東京都内や双葉町でプロジェクトの経緯や想いを聞いた。

JR双葉駅に電車が停車すると、柱の間から駅前の壁に描かれたカラフルな壁画が少しだけ見える。

駅を出ると見える正面のコンクリートの壁には、人の指と「HERE WE GO」という文字、その隣に建つ店の壁には、ドーナツの穴から目を出すお母さんの顔、左側奥の二階建てのビルには、絵を描く小さな子どもと少年。

1つ1つが、カラフルで強烈なパワーを放つ作品群を前にしたら、なぜここに絵が描かれているかを知らなくても、思わずカメラを取り出してしまうに違いない。

描き手は、今の日本に、企業に、働く人に、アートを通して『WOW』と「楽しむ」気持ちや「情熱」を提案することを事業とする「OVER ALLs(オーバーオールズ)」だ。

代表取締役社長の赤澤岳人さんがクライアントから相談を受け、取締役副社長で画家の山本勇気さんが中心になって作品を描くといったスタイルで、あるときはコーヒーショップの店内の壁一面に、あるときは企業の受け付けエリアに、あるときは社員食堂に、あるときはビルの外壁に、あるときはガレージホテルの壁面に、あるときは駅に――と、クライアントの「想い」を圧巻の「ド」派手なウォールアートに表現している。

国内外で注目される彼らが「FUTABA Art District」をスタートした双葉町には、福島第一原子力発電所がある。

東日本大震災とそれに伴って起きた福島第一原発事故により、10年経つ今も双葉町のほとんどの場所が「帰還困難地域」、つまり住むことが許可されていない地域で、原発付近の町で最も復興が遅れてしまっている町だ。

その双葉町出身の飲食店経営者に、髙崎丈さんがいる。髙崎さんは日本酒好きには名の知れた人で、東京で熱燗のさまざまな飲み方を提案する居酒屋「Joe’s Man2号(ジョーズマンニゴウ)」を開いていた(現在は別店舗オープンに向け閉店)。2020年の7月、そこにOVER ALLsの赤澤岳人代表が知人と飲みに行き、高崎さんを紹介されたことが、そもそもの始まりだった。

OVER ALLsの作品に、コロナ禍にソーシャルディスタンスする「ロミオとジュリエット」をモチーフにした『Graph Balcony』がある。バルコニー越しに2人が離れていることで、コロナ患者数を示したグラフが下がっていく作品だ。

赤澤代表はその作品に原発被災地を重ねていた。「放射線量が減っていくことで街が復興していくという希望のメッセージとして被災地でこれを描いてみたいが、被災地と関係のない我々がそれをやったら失礼だし、アーティストのエゴと受け取られてしまうかな」といった話をしていた。

店のカウンターで仕事をしていた髙崎さんのもとには、時折、赤澤さんの会話の内容が聞こえてきていた。

折しも、髙崎さんは知人のオランダ人アーティストから、アムステルダムの旧造船所がアートによって生まれ変わった話を聞いていた。そして双葉町も同じようにアートで生まれ変わらないかと感じていたところだった。

赤澤さんももまた、ロス・アンジェルスのスラム街がアートによって生まれ変わった現場を見ていたため、2人はすぐに意気投合した。

その後、「双葉町に絵を描いてもらうことはできませんか」という髙崎さんからの依頼を赤澤さんが快諾。日頃から自社で実践している「『WOW』と言わせるアートの可能性」を試してみたいと考えていた赤澤社長と、「アートによる町の再生の可能性」を考え、実行できる術を模索していた髙崎さん、2人の意見が合致した瞬間だった。

「人が集まるきっかけに、『WOW』と言わせるアートを僕らが描かせてもらう。そして、新たな町づくりや復興は丈さんたち双葉町の人がやる、それで行こう」(赤澤社長)。

こうして2020年夏、OVER ALLsと髙崎さんは、双葉町で「FUTABA Art  District」をスタートさせることになったのだ。

8月6日、福島版の『Graph Balcony~FUKUSHIMA~』を描くため、髙崎さんの案内のもと、OVER ALLsのメンバーは初めて双葉町に向かった。

「まだ駅前は除染作業が行われていました。そこで丈さんに町を案内してもらいました。大震災当時のまま、崩壊したままの建物が並んでいて。特に衝撃的だったのは、墓石が倒れたままになっている墓地を見たときです。9年ぶりに双葉町に来た丈さんがお参りをしている姿も、御先祖様に『実家もお墓も町もほったらかしにしてごめんなさい』と謝っているように感じました」(赤澤社長)。

この日のキャンバスは、駅前にあった髙崎さんの店「Joe’s Man」と、お父様が経営されていた「キッチンたかさき」のコンクリートの壁だった。

「当初、駅側に描くつもりだったんですが、現場を見て歩いた山本が『描けない、ここは落書きに来るような場所じゃない』と言い出しました。もちろん僕らも同じ意見だった。だから初日は裏側の壁に爪痕だけ残すつもりで『Graph Balcony~FUKUSHIMA~』を描いたんです」(赤澤社長)。

OVER ALLsは普段の仕事ではクライアントから依頼され、その想いをアートに落とし込んでいくが、髙崎さん以外の双葉町の人とは会っていない。だからこそ、翌日赤澤社長は駅の階段を何度も上り下りして、モチーフを考え続けた。9年ぶりに双葉町を訪れたとき、町の人たちはどんな気持ちになるのか、迎える作品がどんなものならいいのか—。

そして駅正面の壁に描くことに決めたのが、高崎さんの指の絵と「HERE WE GO」という文字だった。

「駅に降り立った双葉町の人に向けて最初に目に留まる作品です。打ち出すメッセージは、『お帰りなさい』とか『久しぶり』じゃない、それは違うと思いました。避難してから初めて双葉町に帰る人たちは、昨日の丈さんのように「町や御先祖様に申し訳ない」といった気持ちを抱く。でも双葉町の人はなにも悪くないわけですから、『ここが自分たちの場所、ここから皆で狼煙を上げる』と宣言する作品にしようと。だから『HERE』の後に『WE GO』という言葉をつけました」(赤澤社長)。

赤澤さんたちの様子を見ていた髙崎さんにも、ある感情が芽生えていた。

「1日目に壁の前に立った山本さんが『今日描いちゃいけない気がする』と言われて、赤澤さんも『今日(1日目)俺たちは、ここに負けに来たんだ』って話をしていて。2日目に、何度も階段を上り下りして、ここに書くべきものを考えてくれました。僕は赤澤さんと出会ったときに、『こんなにアートに熱い人を僕は知らない。今お願いしなかったら絶対に後悔する』と思ってダメ元でお願いしたわけですけど、赤澤さんたちは描くことでいろんな批判を受けたり、批評されたりすることも含めて、全てを背負って描いてくれていることを痛感しました。そして、僕自身も『赤澤さんたちはいろんな覚悟を背負ってここに人が集まるきっかけを作ってくれている。この先の復興は、自分たち双葉の人間がやらなければいけない』と、改めて覚悟を決めました」(髙崎さん)。

8月に制作された「FUTABA Art  District」のVol.00は『狼煙・Graph Balcony』、Vol.01は『HERE WE GO』と名付けられた。

その2ヵ月後の10月に『HERE WE GO』の隣に描かれたのが、Vol.02『ファースト・ペンギン』だ。

双葉町の子どもたちの溜まり場だった駅前のお菓子屋「ペンギン」の名物お母さんが、自慢の自家製ドーナツの穴から顔を覗かせている作品だ。モチーフは、髙崎さんや双葉町の髙崎さんの友人にあらかじめ話を聞いて決まった。

「ペンギンは、双葉の子どもたちが最初に出会う地元のファーストフード店です。やさしいお母さんっていうよりは、一見素っ気なくて『食べたらさっさと帰んな』なんて言われるんですけど、放課後みんなで集まったり、話を聞いてもらったりするような場所でした」(髙崎さん)。

「丈さんたちから、双葉の子どもたちが誰もが知っている店としてペンギンの名前が上がって。『駅を降りて、ペンギンのお母さんの顔が描かれていたら?』『フッと吹き出してしまうかも!』って。それでモチーフが決まりました」(赤澤社長)。

双葉町で先行して立ち入りができるようになった区域(特定復興生成拠点区域。町の約4%)にある「双葉町産業交流センター」の1階には、昨秋「ペンギン」がオープンした。モチーフとして描かれたお母さんの娘さんにあたる山本敦子さんが切り盛りし、自家製ハンバーガーやサンドイッチ類を販売している。

「もともと、ペンギンのお母さんのご主人はガソリンスタンドを経営されていて、双葉町で避難指示が出ても最後まで営業して、町の人のためにガソリンを入れ続けてくれていたんです」(髙崎さん)。

現在は、いわき市に避難した息子さんがガソリンスタンドを引き継ぎ、山本さんのご主人と営業を再開している。「弟も夫もいわき市から双葉まで通ってガソリンスタンドの営業を再開しています。母は避難先の埼玉県にいますけど、私も震災前は実家で音楽教室の先生をしながらペンギンを手伝っていたので、産業交流センターができたとき、『私がこの店をやらなかったら誰がやるの』って思いました」(山本さん)。

ドーナツはおばあさまのレシピで再現ができなかったそうだが、人気メニューというハンバーガーは、ビーフパテがボリューミーで絶品だった。テイクアウトもできるので、ぜひ試して欲しい。

そして、2020年12月、塗装屋を営む髙崎さんの友人・松永さんが、高所作業車なども手配し、今までで一番大きい、二階建てのビルにVol.03が描かれた。

描いたモチーフは、ビルのオーナーの息子さんだ。

「1日目は、震災が起きたときに3歳だった男の子を横側の壁に描き、2日目に正面入り口には現在12歳になった少年を描きました。町は震災で時が止まってしまってますけど、子どもは成長する。その姿を描きたかったんです」(山本さん)。

2日目には、髙崎さんがキッチンカーを出して双葉町の人たちに集まってもらってプチ同窓会を開いたり、OVER ALLsのサポートメンバーであるプロミュージシャン「雨ふらしカルテット(現在 雨晴らしカルテット に改名)」を招いて音楽を流すといった試みも行われた。

「2021年には僕らが関わるプロジェクトの最後の試みとして、有料の音楽フェスを開きたいと思っているので、その予行練習も兼ねました」(赤澤社長)

2日目の午前中は生憎の雨に見舞われたものの、午後は晴れ、見学に来る人と取材陣で現地はごったがえした。町のコミュニティセンターから9年ぶりに出したピアノを調律し、ポップな歌やピアノが流れるなか、山本さんを始めとするアーティストたちは午前中の雨の中断を取り戻そうと、一心不乱に描いていく。

音楽を楽しみながら壁の絵を眺める人、食事をしながら久しぶりの再開を喜ぶ人と、そこには思い思いの時間が流れていた。

現場は取材陣が双葉町出身の人たちを取り囲む形になってしまったが、コメントをいくつかもらった。

「東京に住んでいるんですが、イベントのことを聞いて彼女と一緒に来ました。これから協力できることがあれば、手伝いたいです」という丈さんの後輩の男性。

「震災前も今も、福島第一原子力発電所で働いています」という男性は、現在は避難先の南相馬市から、このイベントのために集まった。「事故が起きた日は避難しましたが、翌日呼び出されて、元請け会社の社長にもすごく世話になっていたし、町をなんとかしたいという気持ちもあって現場に戻りました。復興の手伝いができるようなら協力したいと思っています」と話してくれた。

近隣自治体からイベントを見に来ていた人たちもいた。

大熊町か友人と来ていた女性2人は、「今日のイベントのことは知人から聞いて来ました。駅前におしゃれな絵があったら、町が明るくなる感じでいいですよね。写真を撮りにくる若い人も多いだろうし。うちの街にもこういう絵があったらと羨ましいです」。

偶然通りかかったら人だかりができていたので立ち寄ったという浪江町在住の母娘は「こういう絵だと、私たち年配者にも分かりやすくていいわね。上手だと思ったらプロが描いているのね。すごく迫力がある」と感心した様子。

イベントがあることを報道で知り、南相馬から来たという70代くらいの男性は、「双葉町は平屋の駅だったのに、こんなに立派なのが立って。駅前も更地になったりしているから、ずいぶん印象が変わったね」と言いながら、ウォールアートを熱心に撮影していた。

ビルのオーナーの横山敦さんは、単身赴任で双葉町役場に勤めている。家族は避難先の埼玉県にいるが、息子さんが春になったら作品を見に双葉町に来たいと話しているそうだ。

「いま、双葉町は西口の除染を進めていて、住民の居住再開は2022年春を目指しています。今の子育て世代が帰ってくるのは難しくても、子ども世代が戻って来て住んでくれるような魅力ある街づくりができたらと思っています」(横山さん)。

浜通りの各町ごとに進む「ゼロからの街づくり」は、特に、その町を愛する人と人が出会ったとき、歯車がうまく動き出すように感じる。

いまだ多くの場所が期間困難区域になっている双葉町でも、ゆっくりとその歯車が動き出したのは、Vol.00-01とVol.02の活動を行なったことで、メディアに取り上げられる機会が増え、「双葉町でなにかするなら、自分も手伝ってもいい」と考える地元の人たちが増えてきたからだ。赤澤社長は、もともと「復興自体は僕らはできない。丈さんたちがやるものだから。僕らはあくまできっかけを作って、復興するときには、今までの作品は全部壊してもらったっていいと思っているんです」と話していた。

「スピリチュアルに聞こえてしまうかもしれないんですが、商売人が新店舗を開いたりするときって、最初にレセプションパーティなんかを開いて、験担ぎするんです。箱(新店舗)に人をパンパンに入れることによって、建物を目覚めさせて強くする。そうすると、いい気が入ってきてその店は繁盛するんですよ。双葉町も、帰還困難区域になって土地自体が怠けてしまってるんです。だから音楽フェスで人を集めて、悪い『気』を出して、怠けていた土地に目覚めてもらおうと思ってます」(赤澤社長)。

そして髙崎さんも、「アートがあって、お茶したり食事したり、洋服を買ったりできる店があって、町にお金が入ってくるようにしないと、復興はできません。毎回、プロジェクトが大きくなるごとに、協力してくれる人が増えているのが嬉しいです。役場の人も協力を得られるようになった。これから皆で考えていこうと思います」と話し、仲間と街づくりのための会社を立ち上げた。 

うまく動き出した、双葉町の歯車。夏の音楽フェスでは、双葉町のもともとの住人も、近隣の町に住む人たちも、福島には縁もゆかりもない人も、多くの人が集まるはずだ。そこで一気に、町に活気が出て、土地も元気になる。

もし浜通りを訪れるなら、まずは作品郡を見に、双葉町の駅前を目指してみてはいかがだろう。作品から、ワクワクするようなパワーをもらえるはずだ。

【訪れた場所】

・JR常磐線双葉町駅前の(東口 特定復興生成拠点区域)
・アートショップ「OVER ALLs STORE」東京都目黒区下目黒5-2-17

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