複合災害で起きたこと、その後を知る、聞く、考える場「東日本大震災・原子力災害伝承館」(双葉町)へ

今年は東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故から10年が経ちます。

被災地とのつながりが薄い場所に住んでいる人にとっては、被災地のことは気になってはいたものの、現地に行っていいものか迷っているうちに時が過ぎてしまったという人もいるのではないでしょうか。

そこで今回は特に被災地の現状を知りたいと考えている被災地外の方に向けて、福島県双葉郡双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」を紹介します。

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東日本大震災・原子力災害伝承館。

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施設のある双葉町中野地区は福島第一原発のある大熊町側とは逆の浪江町側寄りではあるものの、福島第一原発の半径4キロメートル以内に位置し、津波による浸水被害も受けた場所です。同施設を含めた周辺の双葉町中野区は、特定復興再生拠点地域として帰還する住民の雇用の受け皿としての整備が進められています。

「東日本大震災・原子力災害伝承館」(以下、伝承館)は、地震・津波と原子力事故という世界でも類を見ない甚大な災害が起きた福島県で、複合災害の記録と教訓、復興に向けた展望について学び未来につないでいく施設として、2020年9月に福島県双葉郡双葉町に開館しました。

2011年3月12日に1号機、14日に3号機で水素爆発が起きた福島第一原子力発電所(以下、福島第一原発)は、双葉郡双葉町と大熊町にまたがった海沿いにあり、事故以降、現在も廃炉作業が進められています。

双葉町の多くの地域は現在も帰還困難区域ですが、この伝承館やJR双葉駅周辺などは復興・再生を推進するための「特定復興再生拠点地域」として、2020年3月4日に避難指示が解除されています。

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JR双葉駅から伝承館へは電車の発着時刻に合わせたタイミングでシャトルバスが運行されていました。電車の本数が少なく車移動ができない私にとっては非常に便利でした。(シャトルバスは2020年12月時点では無料運行していましたが、将来的には有料になるようです)。

入館すると、初めにビル吹き抜けの円形シアターに案内されます。七面の巨大スクリーンに、東日本大震災とそれに伴って起きた原発事故前の様子、事故当時、復興に向けた動きなどのプロローグ映像が流れます。昭和の高度成長期のエネルギー資源として、原子力発電所を作ることになったといった経緯にも触れられていました。5分程度にコンパクトにまとめているので、東日本大震災を経験していない被災地以外の若い世代にも入っていきやすいように感じました。

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「災害の始まり」の展示コーナー。奥の写真は震災前の双葉町。福島第一原子力発電所のあった双葉町には、「原子力明るい未来のエネルギー」の看板が掲げられていました。

観賞後は、円形の回廊の壁に貼られた東日本大震災・原子力災害関連年表を見ながら、展示室へ向かいます。

展示室は「災害の始まり」「原子力発電所事故直後の対応」「県民の想い」「長期化する原子力災害の影響」「復興への挑戦」と、時系列に沿って5つのエリアに分かれています。順路通りに自由に見て回って、わからない点などはところどころにいるアテンドスタッフに聞くと説明してもらえます。

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震災直後の展示では、伝承館近くの場所で起きた地震・津波被害で折れ曲がった道路標識や、土台から抜けたポストの実物展示がありました。

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「原子力発電所事故直後の対応」より、事故後の福島第一原子力発電所の模型展示。アテンドスタッフから、どこの部分で事故が起きたかなどの説明を受けました。ただ展示を見るだけでなく、知りたい部分の説明を聞けるので理解が深まります。

震災直後の住民の方々が避難先の体育館で過ごしている様子や、仮設場所を転々とする様子を映した映像は、胸を締め付けられました。自分のペースで見学ができるよう、途中に椅子も用意されていて、休憩したい人は休み休み回れるようにしているそうです。

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「県民の想い」の展示より。被災者たちの証言映像や、津波で流されたランドセルをはじめとした資料が展示されていました。

途中、複合災害を経験した方のお話を聞ける「語り部講話」に参加しました。

語り部講話は1日4回(10:00~、11:30~、13:30~、15:00~)、各会40分程度、無料で参加できます(座席は先着順です)。

この日は双葉郡の隣、南相馬市で農家を営んできた安部(あんべ)あきこさんが登壇されていました。

以下は、方言を交えた紙芝居やご自身でまとめらた書面を用いたりしながらお話しくださった内容です。

「震災の日は海が空の色と違って、おかしいねと夫婦で話をしていました。畑仕事をしていたとき、立っていられないほどの大地震が起きました。子どもの頃、母親から『おらがいないときでも、地震が来たら高台に逃げろ』と言われたことを思い出して、高台まで必死に走って津波を逃れました。地震から津波まで約40分あり、その間にいったん自宅に戻った人たちが津波の被害にあいました。

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実体験を紙芝居を使ってお話ししてくださった安部あきこさん。伝承館の語り部以外にも、南相馬市観光ボランティアガイドや地域サロンの活動など、毎日忙しく飛び回っているそう。

私たちは避難先を転々として旅館でお世話になったりした後、仮設住宅で5年を過ごして、南相馬の復興団地に移りました。仮設住宅と違って団地には集会所がなかったので、孤独死する方が増えました。私たちも、農家なのに畑の土が放射性物質に汚染されているので土に触れない年月が続いて、夫婦で暗くなってしまったこともあります。

そんななか、チェルノブイリ原発事故でも土壌調査を行った日本人の研究者から、汚染された土壌に菜の花を植えることで土壌を改良していく「菜の花プロジェクト」の話を聞きました。最初は半信半疑でしたが、農業高校の生徒さんたちと菜の花を植えました。やっぱり土に触れるのは楽しかった。菜の花を絞った菜種油には放射性物質が検出されないので、今では食用として道の駅などで販売するまでになりました。

震災後は周囲のたった一言に惑わされたり、励まされたりの繰り返しでした。被災の話は笑顔では話せませんが、こうした災害に見舞われたとき、みなさんがどんな生き方をすればいいかを考えるきっかけになればと思い、語り部の仕事をさせていただいています」

もうお一人、伝承館のアテンドスタッフで、語り部講話もされている横田善広さんにもお話を伺いました。

小学校の教頭先生をされていた横田さんからは、児童や町の人たちの避難の様子も聞くことができました。

「私は双葉町の隣の浪江町の出身です。震災当時は双葉町立双葉北小学校の教頭をしていました。小学校が地域700人の避難所になっていたので、震災が起きた後、子どもたちは学校で親御さんや親戚を待ち、教員は児童の引き渡しをしていました。津波の被害に合って泥だらけになりながら避難されてきた町民の方もいました。12日になって、教員も家族の安否確認でそれぞれ自宅に戻ったところ、午後に福島第一原子力発電所で事故が起きたため、原発20キロ圏内の人たちはそれぞれ全町避難になりました。

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富岡町から川内村に避難した人たちが黒板に書いた御礼のメッセージ。福島第一原発から20キロ圏内にある富岡町の人たちは、当初川内村に避難しましたが、その後川内村にも避難指示が出ます。川内村の人たちとともに郡山に再度避難する際、富岡町の人たちが黒板に残したもの(「県民の想い」の展示より)。

双葉町は川俣町へ、浪江町は二本松市に避難しました。自治体ごとに避難先が違いましたし、いっぱいになったり、そこも危険になったりすると次の避難場所へと移動していくので、4,5回避難場所が変わったという人も少なくないのではないかと思います。親族や友人を頼って個別に避難する家庭もありました。福島県は会津、中通り、浜通りと3つの地域で区切って話されますが、私の場合は中通りにある妻の実家に一週間ほど住まわせてもらっていたので、そこから双葉町の避難先に通いました。

学校としてやることは、子どもたちの4月からの進学先を把握するまで。各担任が保護者一人一人に電話をかけました。二カ月ほどで全員の安全と進学先を確認できました。名簿は学校の保管庫にあり、持ち出せなかったものの、保護者同士のつながりで全員と連絡がとれたのは幸いでした。

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アテンドスタッフの横田善広さん。団体見学などのアテンドもされています。

その後、団地に仮住まいをしていましたが、家族が戻ってきたときに住めないこともあって中通りに自宅を構え、在職中は県内の小学校に勤めました。いつか浪江町に戻りたいという気持ちがあったので、年に数回は一時帰宅の許可証をもらって浪江町の自宅の手入れに行き、なんとか家の維持もしてきました。定年後は震災の話を後世に伝えるような仕事ができないかと考えていたところ、伝承館のスタッフ募集を見つけたんです。いまは夫婦で中通りと浜通りの家を行き来していながら、伝承館に勤務しています」。

展示を見に来た教え子と再開を果たすこともあったそうです。

伝承館のホームページには、横田さんのようなアテンドスタッフの簡単なプロフィールが掲載されています。東日本大震災が起きた当初は小学生だったという若いスタッフから、教員や警察官経験者など、地元を中心にしたスタッフが大勢いることも、伝承館の展示説明がリアリティのあるものになる理由の一つだと感じました。

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「長期化する原子力災害の影響」の展示では、放射線の除染方法のほか、中間貯蔵施設への除去土壌や廃棄物の搬入状況などの説明書きもありました。

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福島県内の除去土壌や廃棄物を一時的に保管・管理する中間貯蔵施設は、大熊町、双葉町に作られ、搬入が始まっています。伝承館に隣接する双葉町産業交流センターの屋上から見渡した景色のなかには双葉町の中間貯蔵施設もあり、県内から輸送されたフレコンパックが積まれていました。

その後、展示は「長期化する原子力災害の影響」へ。

除染作業で出る放射性物質が付着した土などの廃棄物を詰めたフレキシブルコンテナバッグ(フレコンバッグ)、今も双葉町や周辺地域に積まれている場所があり、電車の車窓などからも見えていました。「長期化する原子力災害の影響」の展示では、そのフレコンバッグや除染作業をする方が着る防護服の展示などもありました。

風評被害で農作物・畜産物などを価格が下がっているといったデータもありました。被災地の取材をしていると、「戻って来ようにも仕事がない」という声をよく耳にしますが、農業、畜産業、漁業についても風評被害がなくならなければ続けていくことが難しいことをデータが表していました。

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「復興への挑戦」の展示では、廃炉作業の進捗や、現在福島県で進められている「福島イノベーション・コースト構想」の取り組みについての展示も。

最後の「復興への挑戦」では、福島県の原子力発電所廃炉に向けた取り組みや、被災地域に企業を誘致する「福島イノベーション・コースト構想」の展示がありました。

浪江町には、すでに世界最大の水素工場「福島水素エネルギー研究フィールド」やロボットの一大開発実証拠点「福島ロボットテストフィールド」などができています。自然エネルギーへのシフトを加速したり、被災地に新たな雇用を生み出したり、定住者を増やしたりといった、未来へ向けての復興計画を知ることができます。

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伝承館の前の芝生では、車型のロボットが芝刈りをしていました。

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伝承館の屋上や、隣の「双葉町産業交流センター」の屋上からは、帰還する住民の雇用の受け皿として周辺の整備が進められています。復興に向けて動き出している今の双葉町を見渡せるので、展示を見た後は屋上にも上ってみることをお勧めします。

<他にも行きたい> 地域ごとの震災の記憶や教訓を伝える施設

福島県双葉郡富岡町「ふたばいんふぉ」…福島第二原発のある双葉郡富岡町にあり、双葉郡の8市町村の避難の様子や復興に向けた歩みを展示。市民で発足した双葉郡未来会議が運営

福島県相馬市「伝承鎮魂記念館・慰霊碑」…津波により被災した相馬市の尾浜・原釜地区と磯部地区の震災前の姿や震災時の映像記録や新聞などを展示

【東日本大震災・原子力災害伝承館】

住所 福島県双葉郡双葉町大字中野字高田39
電話 0240-23-4402
開館時間 9:00~17:00
休館日 火曜日・年末年始(12/29~1/3)
入館料 大人600円 小中高300円
URL:東日本大震災・原子力災害伝承館

ホシカワミナコフリーランスの編集者・ライター

投稿者プロフィール

干川美奈子/フリーランスの編集者・ライター。長野日報東京支社広告営業、大村書店書店営業を経験後、女性向け情報紙「東京パノラマ」、TVスポーツTV誌「TV sports 12」、育児・教育誌「プレジデントFamily」、ビジネス誌「プレジデント」の編集部に在籍。「こだわって、楽しく」をモットーに、雑誌・書籍・紙媒体・WEBなど、さまざまなメディアで活動中。
この仕事の醍醐味は人との出会い。今回の浜通り取材は、バスや電車を乗り継ぎ、歩き回って浜通りの各自治体を体感してきました。ご協力いただいたみなさま、お力添えくださったみなさまにお礼申し上げます。

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