【福島なんです、実は】歌舞伎座の「土産物用紙袋」 定式幕三色大胆に

 
 東京・銀座の歌舞伎座を訪れた人が鑑賞の記念にと手にする土産物用の紙袋は、現代的な意匠の中に日本の伝統美が光る。歌舞伎の舞台の象徴である定式幕の三色を大胆に配し、みやびな印象を醸し出す。会津若松市の段ボール箱製造業「会津パッケージ」が、古典演劇のイメージと新たな客層のニーズをくみとり、今や定番となった形を作り上げた。

 1990(平成二)年。紙袋デザインの大幅なリニューアルに際し、原案に取り入れたのは「会津木綿」だった。木綿の縦じま模様を袋の下半分にあしらう構図を発注元に提示した。外国人客や若者の購買を意識し、「The Kabuki」の文言も添えた。全てが原案通りの採用とはいかなかったが、素朴で落ち着いたデザインは高い評価を得た。

 縦じま模様を定式幕に、文言を「KABUKI-ZA」に修正した上で、全体の構図はほぼ変わりなく採用された。定式幕の黒・柿・もえぎの三色を紙袋に再現するため、鈴木正博社長(72)らが舞台に通い、色合いの微調整を重ねた。2013年春、歌舞伎座の第五期改修のこけら落とし上演に招待された。多くの著名人らが集い、華やいだ雰囲気に包まれている。笑顔で歓談する人々の手には、自社で手掛けた紙袋があった。

 「地方の中小企業だが、日本を代表する大舞台で温かく受け入れられた。感謝しかない」

 取引が始まったのは1970年代後半。先代から会社のかじ取りを託されたばかりの鈴木社長はまず販路拡大を考え首都圏に足を向けた。当時、歌舞伎座の支配人だった大学の先輩を頼り、新たな取引につなげた。

 受注開始から十数年たち、バブル景気が終盤を迎えていた1990年、社業の売り上げも横ばいで推移していた。鈴木社長は係長以上の社員に意見を求めた。「変化がなく、面白みが感じられない」。大半が閉塞(へいそく)感を募らせていた。

 当時の歌舞伎座も、従来からの顧客である高年齢層から若年層や外国人客への浸透に腐心していた。若い人が楽しめるような紙袋を作ってほしい-。先輩の思いに応えようと、鈴木社長は初めて社内に開発チームを立ち上げた。半年間、会議を重ねる中で、社員から斬新なアイデアが次々と湧き出てきた。現在のデザインにつながる原案が生まれた。鈴木社長は懐かしむ。

 「オリジナル商品を作ること、そして歌舞伎座に関われるのが夢のようだった」

 受注から45年間。現在は歌舞伎座で土産物店を運営する歌舞伎座サービスと取引する。1月当たり大小合わせて約5万袋を提供しており、今年5月中旬には同社から初めて感謝状が届いた。

 ただ、新型コロナウイルス感染拡大の影響で在庫が滞り、受注は昨年5月から止まっている。歌舞伎座は再三の緊急事態宣言で入場制限を余儀なくされている。

 「多くの人が思い出と土産物を大切に持ち帰る日常の姿を取り戻してほしい」

 鈴木社長は遠い会津から、収束する日を願っている。

■取材メモ 県産品を歌舞伎座で

 鈴木社長は、紙袋の受注が軌道に乗った44歳の時、福島大大学院に入り、マーケティングなどを体系的に学んだ。首都圏など大きな商圏と地場産業とのパイプ役になりたいとの思いがあったという。現在は学んだ知識や経験を生かし、県産品を歌舞伎座の土産物店で取り扱ってもらえるよう取引先の歌舞伎座サービスに提案するなど販路開拓に力を注ぐ。新型コロナウイルス感染拡大の影響が続くが、「収束すれば、商機は必ず来る」と前を向く。逆境を乗り越えようと奮闘する経営者の強い決意を感じた。

(会津若松支社・堀田一真)

※会津パッケージ 1956(昭和31)年3月、一升瓶の木箱を製造する会津木凾(きばこ)協同組合として設立。主力商品を段ボール箱製造に移し、1980年に現社名に組織変更した。会津若松市門田町一ノ堰に本社・工場を構える。段ボール箱製造をはじめ、工業製品を保護する緩衝材の加工などを手掛けている。従業員28人。

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