【ふくしま創生 挑戦者の流儀】苦難乗り越え業績回復 花見台自動車(いわき)会長・能條健二(下)

 

経営危機を乗り越え、セフテーローダ製造に当たる従業員

 

2022/12/11 09:47

 

 1990(平成2)年に、福島県いわき市に本社を移した花見台自動車会長の能條健二=当時社長=は、セフテーローダの新商品開発に注力した。2台積み、重機運搬用などを相次いで発売。1993年にはトレーラー版を売り出し、1年半で260台を売るヒット商品とした。バブル崩壊後の不景気も乗り越え、順風満帆だった。

 だが、またもや苦難に襲われる。リーマン・ショックによる世界的な景気後退をしのぐため、新たに乗り出した海上コンテナ用トレーラーの開発で失敗し、経営破綻の憂き目に遭った。

 低燃費を可能とする荷台フレームを考案し、金融機関から資金を借りて鋼材などの部品をまとめて仕入れた。誤算だったのは、トレーラー業界に受け入れられなかった点だ。使い道のなくなった大量の部品の調達費が経営を圧迫し、負債は約23億円に膨れ上がった。

 どうすれば…。途方に暮れながら相談した弁護士から、会社を畳まずに再建を目指す民事再生法の利用を打診された。若き頃から独立を志してきた能條にとって、会社は人生そのものと言える存在だ。「磨いた技術力は業界内で定評がある。海上コンテナ用トレーラー事業を断念し、セフテーローダ業に専念すれば、立て直せるはず」。弁護士の提案に飛び付いた。

 2009年、民事再生法の適用を受け、負債額を圧縮。債権者集会では、引き続き能條にかじ取りを任せたいとの声が多数を占めた。「与えてもらったチャンスを無駄にできない」。取引先の温情に報いようと、再起を誓った。

 大型の25トン車セフテーローダを新たに手がけ、収益の安定化に腐心した。後発メーカーとの競争が激化したが、「花見台産は壊れない」との評価を追い風に資本力のある他社と渡り合い、業績をV字回復させた。

 85歳になり、10月に会長に就任した。今でも現場に出向く姿は、現役の技術者のようだ。人生を懸けて築いた工場を見渡し、未来を描く。「諦めずに努力を重ね、セフテーローダの市場をつくり出せた。これからも品質をさらに向上させる」(文中敬称略)

 

関連記事

ページ上部へ戻る