師走 ひと模様 閉ざした記憶伝える 福島県浪江町出身の高木舞さん 28 故郷離れ14年、語り部に

JR浪江駅前に立つ高木さん。東日本大震災・原子力災害伝承館の語り部となり、21日に初めて講話する
2025/12/01 09:36
解体された建物、故郷を追われた人々…。14年以上の月日が流れ、胸の奥に押し込んでいた記憶を、ようやく語る心境になった。
福島県浪江町出身の派遣社員高木舞さん(28)=東京都在住=は東日本大震災・原子力災害伝承館の語り部となり、21日に双葉町の館内で初めて講話する。
浪江中1年の時に東日本大震災と東京電力福島第1原発事故を経験。つらい被災体験を話すのは控えてきたが、語り部の講話を聴き、「当時、学生だった自分だからこそ伝えられる経験がある」と思い立った。
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冷たい風が吹きつける11月下旬。JR浪江駅前に立ち、辺りを見渡した。「景色が変わってきたな」。施設整備が進み、着実な復興を喜ぶ一方、母校など思い出の建物が解体されていた。父と祖母が帰還した古里に数カ月に1度、足を運ぶ。地域が一新される様子を手放しでは喜べない。震災前の記憶が薄れてしまうとの思いにとらわれるからだ。
浪江町幾世橋の自宅で被災し、仙台市に避難した。学校生活になじむのに時間を要した。「過去は忘れて前を向こうよ」「早く家に帰れると良いね」。新たな同級生から励ましを受けたが、「震災と原発事故はまだ終わっていないのに」と何げない言葉に心を痛めた時もある。避難生活の特殊な経験は理解してもらえないと感じた。いつからか、自分の被災体験を打ち明けずに過ごすようになった。
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帝京大への進学を機に東京に移り住み、都内で就職。今年8月、被災地の復興に関心がある夫と一緒に伝承館に足を運んだ。語り部講話を聴き、同世代の若者が被災地の今を知ろうと、次々に質問を投げかける姿に心を奪われた。
「当時を知りたい人は多いんだ。自分も発信したい」。複合災害の風化が不安視される今だからこそ、自らの言葉を通じて古里の力になろうと決心した。
2日後に伝承館に語り部としての活動を直訴した。練習を重ね、11月上旬に講話内容の精査を受け、12月21日の「デビュー」が決まった。
友人と離れ離れになった悲しみ、帰りたくても古里に戻れない苦悩…。当時、学生だった視点で話せる事実を講話する。3・11を知らない世代が徐々に増えていく中、若者の自分が経験を次世代に語り継ぎ、「風化防止や災害の備えへの一助になれば」と願う。帰郷するたびに語り部として活動する予定だ。
避難を経験した自分だからこそ、当たり前の日常の大切さを伝えられる語り部を目指す。「活動を通して被災地に興味を持ってくれる人を増やしたい」
慌ただしく過ぎゆく12月が始まった。「師走 ひと模様」では、一年の終わりに紡がれる人間模様を描く。




