「抱月荘」のごちそうで、10年後も20年後も語り合う思い出を

 

私の母が、「湖のそばで食べた朝ごはんが、美味しかったねぇ」と思い出したように話すことがある。家族で行った北海道旅行の宿のことだ。もう20年以上も前の出来事だけれど、その言葉をきっかけに、私も母も同じように湖と朝食のシーンを色褪せずに思い出すことができる。

湖の湿気を纏ってひんやりとした夏の風、湖の表面に見えた小さな魚、売店で買った濃厚な牛乳アイス。一緒にいた家族の声…。
湖のそばの朝ごはんは、記憶の扉を開いてくれる「鍵」のような思い出だなぁと思う。

その鍵のような思い出を、大切な人も同じように持っていることが何よりもうれしい。

南相馬にある抱月荘。訪れた日は、銀杏が綺麗に色づいていた。

抱月荘の3代目のオーナーであり、料理長の高藤さんが「食事を通じて、季節を感じてください」と迎えてくださった。その言葉の通り、抱月荘の料理にはその季節が表現されていた。

この宿を後にするとき、ここで過ごした時間は鍵のような思い出になるだろうと思った。
そして、その思い出の中心には料理があるに違いない。
そう思ったのは、美味しかったからだけではない。料理を通じて、料理人と迎えてくださった従業員の真心を感じたからだ。

その日、私たちが頂いたのは「時雨月の献立」だった。
抱月荘にある池をイメージした前菜。真ん中の薯蕷(やまいも)の練り切りの鯉が可愛らしい。

旬のお造りをいただいているとき、お供が欲しくなって日本酒を注文する。
「磐城壽(いわきことぶき)」というお酒を選んだ。きりっとした味の、磐城壽。

磐城壽は江戸末期から続く蔵元で、福島県の浪江町にあったそうだ。
東日本大震災の津波ですべて流されてしまったけれど、山形県に移り住んで再び酒造りを行っていると仲居さんが教えてくれた。

松茸の土瓶蒸しの後に続く焼き物は、わらさの照り焼き。ビーツでつくられた香の物が添えられていて秋を感じる色合いだ。

香野菜と牛すじ鍋、渡り蟹の唐揚げも新鮮な野菜と供に口に運び、さっぱりとした味わい。

十割そばで〆た後は、デザート。
さつまいもと生姜のプリンのほのかな甘味が、優しく染み渡る。

夕食後に今夜は満月だったことを思い出し、少し酔った体を冷ますために玄関を出た。

抱月荘は、3300坪の日本庭園に囲まれている。その庭園の木々の間から満月を見ることができた。

玄関で若女将とすれ違い、「今日は満月ですね」と伝えた。「昨日、私たちも満月を見ようと外に出たんですよ。この宿も『抱月荘』ですしね。」と若女将が笑顔で答えてくれた。

その晩は月を抱いて、静かにぐっすりと眠ることができた。

翌朝、温泉に浸かり、一面ガラス窓の向こうに、黄金に輝く銀杏を眺める。

朝食には、豆乳やしじみのお味噌汁。
若女将が「夜に飲みすぎた方も、美味しく召し上がっていただけるようにつくっています。」と話しかけてくれた。

朝食と共に、みかんジュースを注文。
仲居さんが、「愛媛でつくられた3種類のみかんをブレンドしたジュースで、毎年違う味がするんです」と笑顔で紹介してくれた。

その仲居さんは、愛媛県出身の方で震災後に福島に移住してきたそうだ。東日本大震災で四国に避難されて来た方々を支援するなかで、自分にも何かできることはないかと縁もゆかりもないこの地への移住を決心したとのことだった。

そして、このみかんジュースは、愛媛と福島をつなぐものだと教えてくれた。

震災後に福島から愛媛に避難した農家の方が栽培したみかんでつくられていた。地元から遠く離れた場所で、また美味しいみかんをつくる農家の方に思い受け止めながら美味しくいただいた。

同じ日に宿泊した家族がいた。おじいちゃん、おばあちゃんと孫も一緒の家族旅行だ。
夕食の時よりも、みんなの笑い声が柔らかくなっている。きっと家族でいい時間を過ごせたのだろう。孫たちはきっと、大人になったときに家族で同じ思い出があることを愛おしいと感じるだろう。

3代目のオーナーで料理長でもある高藤さんは、東京・赤坂の料亭で修行を重ねてきた料理人だ。抱月荘は震災後に休業を余儀なくされていたが、3年前に再オープンし、福島の料理を楽しめる旅館に生まれ変わった。

夕食には、約60種類の野菜をつかい全て地元から仕入れている。3ヶ月に一度は、季節にあわせて献立そのものを新しくしていると話していた。

「つぎは、春にぜひいらしてください。この庭に30本ある桜が咲きます。」とオーナーの案内と共に、名残惜しく抱月荘の庭を散歩した。


そこに、季節外れの桜が咲いていることに気がついた。

抱月荘の庭がピンク色に染まる景色を想像する。花見月の献立は、どんな彩りだろう。
春にもまた、大切な人と思い出をつくりに訪れたいと思った。

■ 四季を味わう彩りの宿 「抱月荘」ついて

<<住所>>
〒975-0063 福島県南相馬市原町区馬場川久保3
<<WEB SITE>>
https://www.hougetsusou.jp/

昭和45年10月に娯楽施設「遊園地バードランド」として開業。当時は、コーヒーカップの遊具や、ゲームセンターなどもあるテーマパークで地元の皆さまに愛されてきました。その後に、宿泊施設として運営。宿のお部屋には、桜の木の柱や、竹細工が施されていたりと、オーナーのお祖父様のこだわりが随所にみられます。抱月荘は、東日本大震災により休業していましたが、平成30年5月12日に再開。オーナーでもある料理長が織りなす四季折々の料理を楽しむことができます。

茅野 しおりトラベルライター

投稿者プロフィール

IT企業でPRの仕事をしながら、アロマセラピーの勉強をしています。
田舎育ちなので、自然が好きです。

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