帰還、移住・定住に力 古里のにぎわい取り戻す【復興を問う 帰還困難の地】(51)
「今年は第二期復興・創生期間の始まり。新たな取り組みを模索する一年にしなければならない」。富岡町の宮本皓一町長(73)は四日、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から十年を迎える今年の初めの庁議で、幹部職員に訓示した。
町内は二〇一七(平成二十九)年四月、町面積の約88%に当たる避難指示解除準備、居住制限両区域が解除された。現在、富岡小中富岡校の授業再開やJR常磐線の全線運転再開などにより、活気を取り戻しつつある。
一方、町内の居住者数は千五百六十七人(昨年十二月一日現在)で人口の一割強だ。町は二〇二三(令和五)年春の避難指示解除が予定されている特定復興再生拠点区域(復興拠点)内の人口について、二〇二八年までに千六百人を目指している。だが、実現できるかどうかは不透明だ。
町内の復興拠点には原発事故前、商店街や住宅地があり、約四千百人が暮らしていた。しかし、避難した住民の多くは町外に自宅を建てるなど、生活の場を移した。
「国の支援策を使って、いくら建物を造っても復興にはならない」。宮本町長は「復興には人口増が欠かせない」を信念に、帰還や移住・定住の推進に力を入れる。町が昨年三月に策定した復興拠点の再生に向けた実行計画では、「くらしの再生」「新たなにぎわいづくり」「健康づくり」を三本柱に据えた。拠点内の温泉施設「リフレ富岡」跡地には日用品などを購入できる健康増進施設を整備する。
実行計画では、除染が不十分と認められる場所は国に再除染を求めるとしている。政府は「線量が年間二〇ミリシーベルト以下に低下」を復興拠点の避難指示解除要件の一つに定めているが、町は最終的に除染の長期的な目標の「年間追加被ばく線量一ミリシーベルト以下」を達成するよう求めていく方針だ。
宮本町長の脳裏には、帰還困難区域となった夜の森地区がにぎわっていた様子が刻まれている。子どものころ、花見の時期に夜の森公園を訪れると、町内外の人々が紅白の幕を張って場所を確保し、宴会を楽しんでいた。
町は今月、原発事故発生後初の桜植樹を行い、桜の町を全国にアピールする。町内三カ所にソメイヨシノやシダレザクラなど合わせて三十本を植える。樹齢百年を超える夜の森地区の桜の植え替えも進め、桜並木の再生を進める。
現在、桜並木を含む復興拠点では、除染により線量を下げ、住民が居住できる環境にするための作業が続いている。「桜並木とともに、かつての夜の森のにぎわいを取り戻す」。宮本町長は古里の未来を見据え、決意を示した。(第5部「20ミリシーベルト」は終わります)