最終処分の議論進まず 帰れぬ場所になるのか【復興を問う 帰還困難の地】(52)
東京電力福島第一原発を囲むように大熊、双葉両町に整備された中間貯蔵施設。除染で大量に発生した土壌や草木を保管する役割を担う。敷地内には施設を造成する重機の音が響く。周辺の道路は、除染廃棄物を運び込む車両が行き交う。
除染廃棄物は、中間貯蔵施設への搬入が始まってから三十年以内に県外で最終処分を完了すると法律で定められた。二〇一五(平成二十七)年三月の受け入れ開始から間もなく六年となるが、どこで、どのように処分するか、議論は深まっていない。除染廃棄物の県外搬出、そして更地に戻し生活環境を回復させることが被災地復興には欠かせない。
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環境省によると、中間貯蔵施設への輸送対象となっている廃棄物の総量は全体で約千四百万立方メートル。東京ドーム十一個が満杯になる量だ。現在までに74・1%に当たる約千三十六万立方メートルが県内各地の仮置き場から運び込まれた。環境省は二〇二一(令和三)年度末までに搬入を終え、その後は帰還困難区域内にある特定復興再生拠点区域(復興拠点)からの除染廃棄物の受け入れを本格化させる構えだ。
中間貯蔵施設の敷地内には除染廃棄物から可燃物や金属などを分別する施設、分別した土壌を保管する施設、可燃物を焼却する施設などが立ち並ぶ。国は当初、約千六百ヘクタールという広大な用地を全て地権者から買い取り、国有化する方針だったが、住民から「先祖代々受け継がれてきた土地を手放したくない」との切実な声が上がった。このため、所有権を住民に残したまま土地を使用する「地上権」を設定した。現在までに土地売却や地上権設定に合意した千七百八十七人と契約し、公有地を含む千二百五ヘクタール(75・3%)を取得している。
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「中間貯蔵施設への搬入開始から三十年以内の県外最終処分」は、二〇一四年十一月の日本環境安全事業株式会社(JESCO)法改正により法制化された。二〇一五年三月十三日、最初の車両が大熊町の中間貯蔵施設に除染廃棄物を搬入した瞬間にカウントダウンが始まったが、最終処分に向けては膨大な量の土壌をどう減容化するかが課題となる。
環境省は除染土壌を放射性セシウムが付着しやすい粘土などと、砂や小石に分ける分級処理などで再生資材化することで最終処分量を大幅に減らせると見込み、二〇二四年度をめどに減容化に向けた技術開発を一通り完了させるとの戦略を立てている。
環境省福島地方環境事務所の三田裕信中間貯蔵総括課長は「県外での最終処分は法律で位置付けられている。実現するための技術開発に努めたい」と説明する。
ただ、三十年が経過する二〇四五年三月までに県外での最終処分が本当に完了するかどうか、先行きは見通せないのが実情だ。「ここが最終処分場になるんじゃないか」「住民が帰還できない場所になるのではないか」。慣れ親しんだ土地を提供した住民から懸念の声が上がる。
除染廃棄物の総量を減らすことが県外最終処分の道を開くという。国の描くシナリオは、線量の低い除染土壌を建設現場や農地で再生利用する仕組みの定着だ。
帰還困難区域の避難指示解除とともに復興の鍵を握るのが、中間貯蔵施設で保管する除染廃棄物の着実な県外最終処分だ。除染により除去した土壌などの施設への搬入が進んでいるが、最終処分先は定まっていない。県内の環境回復を願い、土地を提供した住民らは、さまざまな思いや悩みを抱える。