福島県内各地で追悼行事 次の時代へ語り継ぐ
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から十年を迎えた十一日、県内各地で行われた追悼行事では、参列者が犠牲者の冥福を祈った。
■大熊 町内で初めて実施「希望の灯り」ともる
大熊町は東日本大震災犠牲者町合同追悼式を町役場で行った。町内での実施は初めて。震災や原発事故による避難で命を落とした町民を追悼する碑「希望の灯(あか)り」の除幕式も行った。
町関係者約十人が参列した。吉田淳町長が式辞、吉岡健太郎町議会議長が追悼の言葉を述べた。参列者全員が献花して犠牲者の冥福を祈った。町によると、震災による直接死は十二人。震災(原発事故)関連死は十一日現在、百二十八人となっている。
「希望の灯り」は高さ約一・七メートル。阪神大震災の犠牲者鎮魂のため神戸市に設置されているガス灯を模した。町は脱炭素を新たなまちづくりの理念に掲げており、炎の代わりに発光ダイオード(LED)の赤い光が揺らめくようにした。吉田町長や神戸市のガス灯を管理しているNPO法人HANDSの藤本真一代表理事らが除幕した。吉田町長は「二つの震災を風化させず、新たな古里を創生していく姿を後世に伝えたい」と誓った。
■浪江
浪江町の東日本大震災十周年追悼式は町地域スポーツセンターで行われ、約七十人が参列した。
両親を津波で失った遺族代表で東日本大震災町遺族会長の川口登さん(71)は「亡くなった家族の分まで必死に生きようと、慣れない避難先で歩んだこの十年間はとてもつらくて苦しい日々の連続だったでしょう」と振り返り、「このような中でさまざまな人達の思いを私たち遺族は次の世代へ語り継ぐ責務がある」と訴えた。
吉田数博町長が式辞、佐々木恵寿町議会議長らが追悼の辞をそれぞれ述べた。
町によると、震災の犠牲者は百八十二人。震災(原発事故)関連死は二月末現在で四百四十一人。
■いわき
いわき市東日本大震災追悼式は市総合体育館で行われた。
参列者約百六十人が黙とうをささげ、清水敏男市長が「十年の歳月が過ぎたが、悲しみが癒えることはない。経験を忘れず、魅力にあふれたいわきの実現に全力を傾注する」と式辞を述べた。
遺族を代表し、妻政子さん=当時(70)=を津波で亡くした岡田良平さん(78)が「震災の記憶と経験を後世に伝えることが、犠牲者の思いに応える方法だと信じている」と語った。遺族らは祭壇に献花し、犠牲者を供養した。
市によると、震災の犠牲者は八日現在で、四百六十八人。津波などによる直接死が二百九十三人、震災(原発事故)関連死が百三十八人、死亡認定を受けた行方不明者が三十七人となっている。
■双葉 犠牲者に献花 町内初開催
東日本大震災双葉町追悼式は、昨年三月に避難指示が先行解除された町内中野地区の町産業交流センターで行われた。町内での追悼式は初めて。
津波被害や避難先で亡くなった町民の遺族ら約六十人が参列した。政府主催の追悼式に合わせて黙とうをささげた後、伊沢史朗町長が「悲しみに寄り添いながら、町の復興や町民の帰還に向けて力を注ぐ」と式辞を述べた。伊藤哲雄町議会議長らが追悼の辞を述べた。参列者は献花し、犠牲者の冥福を祈った。
相馬市で避難生活を送る設備業福田猛雄さん(67)は避難先で母親を亡くした。「双葉の復興は道半ばだが、常に古里を思う気持ちを持ち続けたい」と語った。
町によると、地震や津波などによる直接死が二十一人、震災(原発事故)関連死は十一日現在で百五十五人となっている。
■富岡
富岡町の東日本大震災津波犠牲者追悼式は町内のフローラメモリアルホール富岡で行われた。
遺族や町関係者ら約二十人が参列した。黙とうに続き、宮本皓一町長が「震災前の懐かしい日々が戻ることを願う。町民が安心して暮らせる町をつくっていく」と式辞を述べた。高橋実町議会議長が追悼の言葉を述べた。遺族らが祭壇に献花し、犠牲者の冥福を祈った。
大学生の麻原由雅さん(21)は両親と一緒に式に参加した。祖父の本多六(ひとむ)さん=当時(78)=が津波の犠牲になり、いまだ行方が分かっていないという。「一日でも早く祖父が見つかってほしいという思いで献花した」と思いを語った。
町によると、震災の津波により命を落としたのは二十四人。震災(原発事故)関連死は十一日現在、四百五十二人に上っている。
■楢葉
楢葉町の東日本大震災津波犠牲者追悼式は楢葉町コミュニティーセンターで行われた。
震災の津波で家族を亡くした遺族、町議や町民ら約二百人が参列した。松本幸英町長が「震災の試練と教訓を忘れず、町民が安心できる環境を整え、活力や笑顔あふれる町づくりを進めていく」と式辞を述べた。青木基町議会議長が追悼の言葉を述べた。遺族らが祭壇に献花し、犠牲者の冥福を祈った。震災発生時刻に黙とうした。
町内では震災の津波で十三人が亡くなった。震災(原発事故)関連死は三月五日現在、百四十人となっている。
■南相馬
南相馬市東日本大震災追悼式は市民文化会館ゆめはっとで行われ、遺族ら百三十三人が参列した。
門馬和夫市長が「先人が幾多の災害や飢饉(ききん)を乗り越え、豊かな大地と思いやりの心を残してくれたように、今を生きる私たちも未来の子どもたちにバトンをつないでいく」と語った。中川庄一市議会議長が追悼の辞をささげた。
津波で母と祖母らを亡くした南相馬市原町区の三浦光さん(18)=小高産業技術高機械科三年=が遺族代表の言葉を述べた。参列者の代表十一人が祭壇に献花した。
市によると、震災の津波などによる犠牲者は六百三十六人。震災(原発事故)関連死は十一日現在で五百二十人となっている。
■相馬
相馬市の追悼式はスポーツアリーナそうま第二体育館で行われ、遺族や来賓、市消防団員ら合わせて約二百人が参列した。
立谷秀清市長が「先達から受け継いだ共助の精神で相馬市の復興にまい進し、震災の教訓などを後世に語り継ぐことを誓う」と式辞を述べ、菊地清次市議会議長が追悼の辞を送った。遺族を代表して同市の宍戸ひかりさん(18)が追悼の言葉を述べた。最後に参列者が一人ずつ献花した。
同市の震災の津波などによる犠牲者は四百五十八人で、このうち震災(原発事故)関連死は十一日現在、二十九人。
■新地
新地町の追悼式は町文化交流センターで行われた。新型コロナウイルス感染防止のため規模を縮小し、遺族ら約百人が参列した。
大堀武町長が「これからも復興の歩みは続く。震災の心の傷はたやすく癒えるものではないが、一人一人が互いに支え合いながら、これからも住み続けたいと思える町をつくっていく」と式辞を述べた。
母の森愛子さん=当時(76)=を津波で亡くした同町の森仁市さん(63)は「震災をきっかけに、支援してくれた県内外の人とのつながりができた。絆を大切に災害からの備えを徹底したい」と話した。
同町では震災の津波などで百十人が犠牲となった。震災(原発事故)関連死は十一日現在で九人。
■須賀川 住民の慰霊碑除幕 藤沼湖
東日本大震災に伴う須賀川市長沼地区の農業用ダム・藤沼湖の決壊で亡くなった住民の慰霊碑の除幕式は、地区内の滝防災公園で行われた。出席者が犠牲者の冥福を祈り、地域復興への誓いを新たにした。
約百人が出席し、黙とうをささげた。慰霊碑建立実行委員会の柏村国博委員長(65)や遺族らが綱を引いて除幕した。遺族を代表して、母小針トシさんを亡くした小針義男さんが「供養できることに感謝したい。後世に受け継いでいく」とあいさつした。橋本克也市長や五十嵐伸市議会議長らが哀悼の言葉を述べた。
長沼高二年の五十嵐夏菜(かな)さん(17)が被災体験を語った。五十嵐さんは震災の語り部になることを目指している。「震災経験や地域の歴史を後世に伝えていきたい」と誓った。
引き続き、犠牲者を悼む「大震災と藤沼湖の記憶をつなぐつどい」が催された。出席者が慰霊碑の前に設けられた献花台に花を手向けた。
藤沼湖は東日本大震災で本堤が崩壊した。下流域に濁流が押し寄せ、七人の死者と一人の行方不明者を出した。
■白河 葉ノ木平
東日本大震災で発生した大規模地滑りで十三人が犠牲になった白河市葉ノ木平地区の追悼供養は、同地区の葉ノ木平震災復興記念公園で行われた。
地元の向寺自治会の主催で遺族や地域住民ら約六十人が参加した。全員で黙とうをささげ、自治会長を務める聯芳(れんぽう)寺の竹貫博隆住職が「十年の節目に皆さんと一緒に供養したい」とあいさつした。鈴木和夫市長と、震災時に現場で救命活動に携わった朝日茂樹日体大保健医療学部特任教授が哀悼の言葉を述べた。
竹貫住職らの読経に合わせて参列者が焼香した。地滑りで妻を亡くした市内の平山幸憲(ゆきのり)さん(78)は「若い世代にもあの時のことを忘れずにいてほしい」と語った。