「将来的に全て解除」 単なるリップサービス【復興を問う 帰還困難の地】(74)
福島県浪江町津島の下津島行政区長を務める今野秀則さん(73)は、避難している大玉村の住宅で、本棚に並ぶ百冊ほどのアルバムから一冊を引き抜いた。学校行事や地域のイベント、親戚の集まり…。ページをめくると、古里での懐かしい日々が浮かぶ。胸がじわりと熱くなる。「津島の姿が元に戻り、住民が住むというなら、帰りたいよ」
東京電力福島第一原発事故により、津島地区は全域が帰還困難区域となった。津島地区を含む町内の帰還困難区域の面積は約一万八千百三十九ヘクタールで、町の面積の約八割に当たる。国は二〇一七(平成二十九)年、区域内の計約六百六十一ヘクタールを特定復興再生拠点区域(復興拠点)に認定した。二〇二三(令和五)年春までの避難指示解除を目指し、社会基盤や生活環境の整備を進めている。
今野さんの自宅がある下津島行政区の一部も復興拠点に含まれた。拠点内に住民が帰還できるのは、早くても原発事故の発生から十二年後。「どのぐらいの人が帰るのか、想像できない。避難生活が長すぎた」。やるせない思いにかられる。
一方、復興拠点から外れた地域は約一万七千四百七十八ヘクタールで、帰還困難区域の約九割を占める。住民はいまだに古里に戻る見通しすら立てられない。
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政府は二〇一一年三月十二日、事故を起こした福島第一原発から半径二十キロ圏内の住民に避難指示を出した。町中心部の町民が次々と山あいの津島地区に避難してきた。着の身着のままの人々、途切れることのない車列が目の前に広がった。「ありえないことが起きている」。現実の出来事とは思えなかった。
その三日後には、第一原発の半径二十~三十キロ圏内に屋内退避指示が出された。町は独自の判断で津島地区から西隣の二本松市東和支所に役場機能を移転した。今野さんは行政区内の五十世帯ほどを回り、避難するよう呼び掛けた。
自身も福島市、南相馬市、本宮市、大玉村を転々とした。当時は、すぐに戻れるだろうと思っていた。「まさか十年が過ぎても戻れないなんてね。考えてもみなかったよ」
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今野さんは津島で生まれ育った。家族との思い出、幼少期の記憶、お祭り、近所との交流、伝統芸能、山、川、木、大地…。思い出の詰まった古里は、全て原発事故で奪われた。
国は帰還困難区域について、「将来的に全てを解除する」との文言を繰り返している。だが、原発事故から十年が過ぎた今も、復興拠点外の避難指示解除に向けた具体的な動きは見えない。今野さんは「リップサービスでしかない。何も言っていないのと同じではないか」と切り捨てる。
復興拠点のみが帰還できるようになっても、意味がないと感じる。津島地区の全域が元通りにならなければ、地域の復興はありえないからだ。「国は本当に復興を実現する気があるのだろうか」。いら立ちが募る。