「たとえ長い年月」とは ちゃんと示すのが責任【復興を問う 帰還困難の地】(77)
福島県富岡町深谷行政区副区長の松本哲朗さん(68)は、東京電力福島第一原発事故により福島県郡山市に避難してから十年が過ぎた。住居のある市内八山田から片道三十分ほどかけて、市内三穂田町にある約四十五アールの畑に通うのが日課だ。「富岡町に再び住めるようになったらすぐに動けるように、体力をつけておかないと」
親類の知人から「管理できない農地が郡山市にある。好きなように使ってほしい」と紹介された。町職員を退職後、農業を楽しむのにぴったりの場所だった。今はトマトやキュウリなどの夏野菜が勢いよく育つ。手作りした小屋で弁当を食べながら、一日中過ごしている。
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富岡町では町職員として勤務する傍ら、兼職の許可を得てコメ作りに励んでいた。地域の仲間と力を合わせ、ライスセンターを自宅の敷地内に設けた。コメはJAに出荷し、ネット販売も手掛けた。「良質な土壌で育てた自慢のコメは食味がいいと評判だった。自分で食べても本当においしかった」と笑顔で振り返る。
農作物を育てるには土が最も大事だ。「深谷での稲作はもう無理なんだろうな」。古里の深谷行政区は原発事故で帰還困難区域となった。放射線量を低減するには除染が不可欠だが、表土を剥ぎ取ってしまうと、先祖代々が作り上げてきた土が台無しになる。元の状態に戻すには十年以上かかると予想する。「十アール当たり十俵とれる土だったのに」と悔しさをにじませる。
深谷行政区に再び戻ってからも農業ができるようにと、郡山市で買いそろえた農機具も少なくない。二十馬力のトラクターもその一つだ。「深谷で使えるのは、いつになるんだろう」
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政府が「たとえ長い年月を要するとしても将来的に帰還困難区域全てを解除する」との方針を打ち出してから四年以上が過ぎた。帰還困難区域の特定復興再生拠点区域(復興拠点)から外れた地域の避難指示解除の見通しは、いまだに示されていない。深谷行政区も復興拠点外として取り残されている。
拠点外の除染対象は主に復興拠点に通じる道路やその両側二十メートル内に含まれる土地や建物に限られる。自分の宅地や農地が除染されるかどうかは現時点で分からない。対象外の地域は方向性すら示されていない。
これまでは国と意見交換の場が設けられていたが、新型コロナウイルス感染拡大で開催できない状況が続く。住民の思いが一層届きにくくなると危機感を抱く。「国の言う『たとえ長い年月』って、どのぐらいを指しているのか。再び住めるようになるのはいつになるのか、ちゃんと示すのが国の責任だ」