格差生んではならない 粘り強い働き掛け覚悟【復興を問う 帰還困難の地】(84)

 

 大熊町大川原地区に四月にオープンした商業施設の喫茶店「レインボー」で、吉田淳町長(65)はコーヒーを飲みながら、店主武内一司さん(68)と旧交を温めた。

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が発生するまで武内さんは町内で営業していた。避難先の会津若松市でも店を構えた。なじみの店で、昔の思い出や町の将来について語り合った。「若い世代にきちんと町を引き継いでいかねばならない」。二人の共通した思いだ。

 二〇一九(平成三十一)年四月、原発事故による避難指示が解除された大川原地区に、町役場庁舎や約百戸の災害公営住宅が整備された。今年二月には診療所が開所した。

 町民待望の商業施設ができた隣接地には、新たに多目的ホールを備えた交流施設と宿泊温浴施設の建設が進む。秋の完成予定で、原発事故以降、会津若松市やいわき市で行ってきた町の行事を町内で催せるようになる。

 吉田町長は「少しずつだが、大川原の環境は整ってきた。だが、それも町の一部にすぎない」と厳しい表情をのぞかせた。

   ◇  ◇

 東京電力福島第一原発が立地する大熊町は、町民の96%が住んでいた地域が帰還困難区域となり、避難指示が続いている。原発周辺は汚染土壌を一時保管する中間貯蔵施設となった。

 町は来春、かつての町中心部に設定された特定復興再生拠点区域(復興拠点)内のJR常磐線・大野駅周辺と下野上地区・大和久地区の約八百六十ヘクタールの避難指示解除を目指している。産業交流施設、産業団地、住宅団地の整備を計画。現在は電気や上下水道の復旧、家屋解体、除染が行われている。

 町内に居住する町民は三百十六人(四月一日現在)で、原発事故前の一万一千五百五人の3%に満たない。町は第二次復興計画で二〇二七(令和九)年の人口目標を、大川原周辺に千四百人、大野駅周辺に二千六百人の計四千人と掲げる。

 しかし、拠点外の除染や避難指示解除の方針は依然として示されていない。将来の見通しが開けなければ、居住をためらう住民もいる。拠点内の整備だけでは帰還が進まない。

   ◇  ◇

 「(町民の間に)差を生じさせてはならない」。吉田町長は思いを強くする。

 避難区域の設定に伴う賠償、中間貯蔵施設の敷地の境界線…。総務課長、副町長として渡辺利綱前町長とともに、町の復興に向けて、国や県にさまざまな要望を重ねてきた。

 少しでも差を埋めようと努力、工夫を重ねてきたが、どこかで必ず線を引かねばならなかった。そして今は、復興拠点と拠点外に格差が生まれかねない状況になっている。

 「いろいろな要素が絡み合い、複雑で簡単にいかないのは分かっている。しかし、差が生まれるのを認めるわけにはいかない」と強調する。町全体の復興を成し遂げるため、国が拠点外の方針を早急に示すよう粘り強く求めていく覚悟だ。(第8部「国の主張」は終わります)

関連記事

ページ上部へ戻る