「また大堀で相馬焼を作る」 窯元半谷さん、帰還見据える 福島県浪江町の復興拠点避難解除

 

二本松市に構えた窯元で自身が手がけた大堀相馬焼の焼き物を見つめる半谷さん

 

2023/03/30 09:50

 

 東京電力福島第1原発事故に伴う帰還困難区域のうち、福島県浪江町の特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示解除が31日に迫る中、二本松市に避難する半谷秀辰(ひでとき)さん(69)は近い将来の帰還を見据える。大堀相馬焼の始祖・半谷休閑(はんがいきゅうかん)の子孫で休閑窯の15代目だ。「また大堀で相馬焼を作る」。古里に復活の火をともす決意を抱く。

 「ようやく、戻れるようになる」。半谷さんは29日、二本松市の自宅に構えた窯元でそっとつぶやいた。古里を離れて約12年。必死に伝統を紡いできた。

 19歳で家業を継いだ。先代の父が病に倒れ、大学を中退して地元に戻った。不安で涙に明け暮れた日もあったが、「伝統を絶やしたくない」と焼き物を生み出してきた。2006(平成18)年からは大堀相馬焼協同組合理事長に就任。相馬焼を通じた地域活性化活動に励んでいた時に、東日本大震災と原発事故が起きた。

 大堀地区は全域が帰還困難区域となり、古里を追われた。「悔しくてたまらなかった」。それでも、組合のトップとして前を向いた。2012年7月に町役場が避難していた二本松市に窯元の共同窯となる拠点を構えた。「二本松の方々には本当によくしてもらっている。第二の古里だ」と感謝は尽きない。避難先にも相馬焼は親しまれ、多くの市民らが買い求めてくれた。

 ただ、大堀への慕情を抱き続けた。いつか帰る―。強い思いは消えなかった。その日が少しずつ近づく。今後、数年をかけて大堀にある作業場と陶器店を再建するつもりだ。「俺の死に場所は大堀。伝統を後世に必ず残していく」。固い誓いを焼き物に込める。

 

関連記事

ページ上部へ戻る