双葉高創立100年/歩み固かれ目は遠く(7)甲子園初出場時の三塁手 横須賀幸一さん(68)白球追い続け夢の舞台へ
現在も還暦野球の選手としてプレーする横須賀
2023/10/05 09:18
双葉高野球部は、全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)に3度、その名を刻んだ。初出場の1973(昭和48)年、1番サードで甲子園の土を踏んだいわき市の横須賀幸一(68)=1974年卒=は「半世紀たった今でも、双葉高の甲子園出場の話題が上がる。高校時代の大切な思い出」と振り返る。
初出場から7年後の1980年に初勝利を挙げ、さらにそれから14年後の1994年、2回戦から登場し3回戦に初めて進んだ。銀傘を背に後輩が校歌を高らかに歌い、「福島に双葉高あり」を知らしめた。
富岡町夜の森地区の出身で、1970年に双葉高に進学し野球部に入った。2年時は秋の東北大会を勝ち上がり、春のセンバツの次点になった。
当時、夏の大会の出場枠は福島、宮城両県で1校だったが、3年時の第55回大会は記念大会として各県1校になった。県内では負け知らずでも甲子園は「夢のような場所」だった。肩に力を入れすぎずに県大会に挑んだのが奏功した。チームワークの良さと堅守、強力打線で快進撃を重ねた。決勝は、後にプロ野球で沢村賞を獲得するなど活躍した本格右腕・遠藤一彦を擁する学法石川高と対戦。2―1で競り勝ち、甲子園行きの切符を初めて手にした。双葉駅での壮行会で大勢に見送られ、誇らしかった。
その年の甲子園は、作新学院の江川卓フィーバーに沸き立っていた。1回戦で達川光男率いる広島商と戦い、0―12で敗れた。「打球のスピードが速く、野球のレベルが違った」。広島商は日本一になった。
高校卒業後、富岡町職員になった。町のチームで野球を続け、1975年には官公庁野球全国大会に出場した。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故発生後は町の復興に駆け回った。現在は双葉郡の60歳以上でつくる「オール双葉還暦野球クラブ」の選手としてプレーを続ける。
ユニホームを着てグラウンドに立つと、暗くなるまで白球を追った高校時代を思い出す。50年の月日が流れても記憶は鮮明だ。「休校になってしまったが、双葉高の精神はつながっている」と信じる。(文中敬称略)