【双葉の選択8月30日復興拠点解除(5)完】町外にいても「古里感じて生きる」 福島県双葉町

 

いわき市で野菜作りに励む大橋さん(右)と福岡さん。いつか双葉の畑で野菜を育てることを夢見る

 

2022/08/29 09:38

 

 東京電力福島第一原発事故による帰還困難区域のうち、町内の特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示解除が30日に迫る福島県双葉町。解除に向け喜びの声が上がる一方、帰りたくても帰る場所がない町民も多くいる。古里とどう関わりを維持していくのか。葛藤する日々が続く。

 「今日はいいナスが取れた」。双葉町からいわき市で避難生活を送る大橋庸一さん(81)と福岡渉一さん(71)は共同で借りている市内の畑を訪れ、趣味で作る野菜の収穫に励む。2人はともに町の行政区長を務め、原発事故によりばらばらになった町民と接してきた。

 2人の住んでいた町内細谷地区と郡山地区は現在、ほぼ全域が中間貯蔵施設の用地となり、県内の除染で生じた放射線セシウムを含む土や廃棄物が保管されている。

 除染廃棄物は2015(平成27)年3月に中間貯蔵施設への搬入が始まった。30年以内の県外最終処分が法律で定められている。2人は町に戻りたくても2045年までは戻れない計算だ。さらに搬入開始から7年以上が過ぎた現在も最終処分の場所は示されていない。大橋さんは「本当に双葉から別の場所に運び出せるのか」と疑問を抱く。

 2人は中間貯蔵施設用地として国に町内の土地や建物を売却した町民の「古里離れ」を指摘する。町自体の避難生活の長期化に加え、新型コロナウイルスの感染拡大で町民同士の交流も希薄になりつつある。福岡さんは「特に若い世代は行政区の役員などを経験していない。町への思い入れを持つ機会が少なくなっている」と表情を曇らせる。

 ただ、双葉町を後世に残すため2人は懸命に活動する。福岡さんは震災前の地区の様子をまとめた冊子の作成に乗り出した。大橋さんは行政区の町民一人一人に手紙を送り、近況の報告を続ける。地区内の神社や墓地、薬師堂は国に売却せず、定期的に維持管理をして町民が戻ることができる場所として守り続けている。「たとえ町外にいても古里を感じながら生きる。自分たちにできる双葉との関わり方だ」。2人の夢は、いわきで育てた野菜を今度は双葉の畑でともに育てることだ。

 

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