【復興臨時支局・飯舘村編】15年ぶり“絆”復活に沸く 宮内の笠踊り・手踊り地元神社に奉納
15年ぶりに綿津見神社に踊りを奉納する村民ら
2024/04/30 10:16
東京電力福島第1原発事故の影響で途絶えかけた福島県飯舘村宮内地区に伝わる「宮内の笠踊り・手踊り」は29日、15年ぶりに地元の綿津見神社に奉納された。地域の繁栄や五穀豊穣(ほうじょう)を願い、宴席などでも演じられてきた踊りは絆の象徴。避難先から集った村民と新たな担い手が稽古を重ね、復活させた。踊り手たちは「伝統を次代に残していきたい」と前を見据える。
「アー、ちょいと出ました 三角野郎が~」。3年に1度の例大祭が開かれた神社の境内に、軽妙な音色が響いた。赤い長じゅばんに身を包んだ女性7人が、色とりどりの花で彩られた笠を手に踊りを披露した。全4演目を終えると、観衆から拍手が沸き起こった。
地区住民によると、宮内の笠踊り・手踊りの起源は昭和初期。地区に滞在していた群馬県出身の大工が、北関東の民謡・八木節を伝えた。軽やかな曲調は若者の心をつかみ、やがて華やかな笠を持つ踊りとなった。郷土民謡「相馬流れ山」なども取り入れ、10ほどの演目を口伝してきた。
祝い事があれば住民は深夜まで歌い、踊り明かした。笠踊り・手踊りが連帯感を生み、結束を強めた。だが、2009(平成21)年の例大祭での奉納の後、原発事故による全村避難で住民は散り散りに。宮内地区を含む村内の大部分は2017年に避難指示が解除されたが、新型コロナウイルスの感染拡大で復活の機運は高まらなかった。
このままでは地域の誇りが失われてしまう―。危機感を募らせた区長の中川喜昭さん(65)は昨年12月、住民と動き出した。踊り手を探し、30~40代の3人が手を挙げ、1月から稽古を始めた。地元出身の中川愛さん(41)も、その1人。南相馬市に避難後、2022(令和4)年夏に帰還した。母ひろみさん(64)も長年、踊り手を務め、笠踊り・手踊りは身近な存在だった。
「伝統を担う一員になりたい」と飛び込んだが、指先のわずかな動きにまで気を配る徹底ぶりに戸惑った。週1回の全体稽古の他、自宅でも動作を確かめ、本番を迎えた。情感を込めて踊り、無事に奉納を済ませた。「地域の方に喜んでもらえて感無量。今後も踊りを続けたい」と笑顔を見せた。
今後の課題は少子高齢化が進む中、新たな担い手をどう確保するか。地区は今回撮影した動画を活用し、担い手を志す人の掘り起こしに努める。
■再開「被災地の希望」 民俗芸能を継承するふくしまの会理事長
NPO法人民俗芸能を継承するふくしまの会の懸田弘訓理事長によると、飯舘村は度重なる飢饉(ききん)に悩まされ豊作への願いが特に強い。笠踊り・手踊りを「村民の切なる思いが表れた貴重な踊り」と評した上で「原発事故から13年が経過し、地域に根差した芸能の復活は被災地の希望だ」と語った。
NPOによると、相双地方で活動していた郷土芸能約360団体のうち、原発事故などで約210団体の活動が途絶えた。このうち、復活を果たしたのは約80団体にとどまるという。