相双地区の夜空を貫く「光のモニュメント」 土地に元々あった文化にもう一度光を当てる

 

 

福島県浜通りの北側を、地元では相双地区と呼んでいる。双葉地方と相馬地方を合わせた総称だ。その相双地区の各地で2017年から、サーチライトで夜空を照らす「光のモニュメント」が行われている。

 

会場となる場所は、南相馬市原町区の高見公園や、双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館、大熊町役場新庁舎前と、エポックメイキングな場所が多いように感じられるが、富岡町の諏訪神社、浪江町の大聖寺、飯舘村の山津見神社など、相双地区各地の神社仏閣でも多く開催されている。

 

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主催するのは光のモニュメント実行委員会。企画の中心となっているのは、南相馬市原町区でダイニングバー「だいこんや」を経営する須藤栄治さん。

本業は飲食業だが、震災後は、町の一部が避難指示区域に指定された原町区で、市民の対話の場「つながろう!南相馬」を中心になって運営するなど、町の人たちに寄り添う活動を続けてきた。

 

そんな須藤さんが、「光のモニュメント」を始めたのは2017年。
前年に、原発事故による南相馬市内の避難指示区域が解除(一部帰還困難区域を除く)された当時、同じ市内でも、東京電力福島第一原子力発電所からの距離で、鹿島区・原町区・小高区が同心円に区切られ、帰還の時期や賠償の違いなどが大きな問題になっていた。
また原子力災害が大きく取り上げられることで、語られることの少ない津波の被害など、住む場所による市民の意識、地域の分断が大きなテーマとなっていた時期でもあった。

 

町の人たちに誇りに思ってもらえるもの・多くの人が共感できるものでまちづくりのイベントをと考えた時、原町出身の須藤さんが思い描いたのが「原町無線塔(正式名称は、磐城無線電信局原町送信所の主塔)」だった。

 

(写真提供:南相馬市博物館)

 

関東大震災の第一報をアメリカに伝えたことで知られる「原町無線塔」は、1982年に老朽化のため取り壊されているが、約200メートルの高さの巨大な鉄塔は町のシンボルとして、今でも南相馬に住む多くの人たちの記憶に刻まれている。須藤さんは、その原町無線塔の功績になぞらえ、無線塔のあった高見公園から、鉄塔のように空高くサーチライトを発信し、鎮魂と地域再生の願いをこめたイベントを行うことを考えた。

 

しかし、南相馬市は旧鹿島町・原町市・小高町の2町1市が合併して誕生したまちで、高見公園のみでの開催となると、旧原町市のイベントだと感じられてしまうのではと、鹿島区・小高区、原町区の3ヵ所で開催することで、市全域へアプローチすることとした。

 

そうして第1回目の「光のモニュメント」は、3月10日に鹿島区小高区の2ヶ所で鎮魂と再生の光を灯し、その光を3月11日に、原町区の高見公園(道の駅 南相馬)に集め、地域再生の願いを天高く発信する形で開催した。(以降毎年、3月11日は高見公園で開催)

この時に生まれた流れが翌年以降、飯舘村・浪江町・双葉町・富岡町でも光を灯す流れへとつながっていった。

 

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第1回光のモニュメントで小高区の開催場所に選んだ、小谷摩辰(おやまだつ)と大富地区の境には小高い丘があり、その丘には一本の柿の木が植えられていた。その柿の木は丘の南側に住む蒲原さんが、畑の境が分かるように植えたもので、蒲原さんが住んでいた小谷摩辰地区に氏神様として山津見神社が祀られていたのがきっかけだった。

「光のモニュメント」開催をきっかけにその木を「精霊の木」と名付け、第2回目は、そのルーツである飯舘村の山津見神社を開催場所の1つとした。

 

特に神社仏閣に興味があったわけではなかった須藤さんだが、下見のため山津見神社に初めて訪れた際に、相馬中村藩の家紋である「九曜」を見つけ驚いた。同じ相馬郡ではあるがこんなにも離れたところにも九曜の家紋があることに興味を持ち、相双地区の神社・仏閣を調べ、訪ねるようになった。

 

須藤さんが訪問した場所をマップに落とし込んだもの

 

震災前から打ち捨てられているような場所、震災による避難で住民がいなくなったことで手入れがされていない場所などがたくさんあることを知った須藤さんは、「震災前から脈々と息づいてきたものにもう一度光を当てたい」と、相双地区の神社や仏閣で「光のモニュメント」やライトアップを行うようになった。

ただそういう場所はアクセスも良くないので、集客より、遠くから見えることで、存在を示していくような気持ちで、地道に行っていたという。

 

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3回目となる2019年には、活動を知った人からの紹介で、避難指示解除から2年目の浪江町・なみえ創生小・中学校で光のモニュメントを行った。

それまでは集客を目的にはしていなかったが、光のモニュメントを行うことで、なかなか足を運ぶ機会の無い、避難指示が解除された町に足を運ぶきっかけになればと、2021年には双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館、双葉駅前のキッチンたかさき跡地、2022年には大熊町役場、富岡町夜の森公園などでも、光のモニュメントを開催している。

 

(2019年 浪江町立なみえ創成小学校・中学校で灯した光 撮影:白岩忠市)

 

(2021年クリスマス 双葉駅前・キッチンたかさき跡地では、クリスマスバージョンの光を)

 

「先人が遺したもの、避難指示が解除されて足を運べるようになった場所、そういうすでに地元にある、歴史や文化を点でつなぎ、相双地区の横のつながりをつくっていきたい」と話す須藤さん。

その言葉の中には、震災と原発事故で、市町村の枠が色濃くなってしまった相双地区の現状がありながらも、「マップに落とし込んだ神社仏閣の地図を見ていると、福島第一原発からの同心円の線も、市町村の区切りも関係なく、文化圏として面的に広がる世界観に新たな地域再生の可能性を感じている」ことが大きいようだ。

 

光のモニュメントのテーマは、「見えない想いを、見える形に」。

「普段目に見えないものに光を当てることで、昔からのつながりや

埋もれてしまっている価値を見つけることができたら」と、須藤さんは地域に光を発信し続ける。

 

 

 

文・写真 山根麻衣子、トップ画提供 光のモニュメント実行委員会

 

 

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