二つの基準に困惑 行き来できる古里望む【復興を問う 帰還困難の地】(45)

〈夢に見る家が帰りを待っている〉

 東京電力福島第一原発事故で大熊町南部の熊地区から会津若松市神指町に避難している主婦泉順子さん(67)の手元に、四年半前に亡くなった母小倉昭子さん=享年(89)=の川柳や短歌を収めた作品集「夜空の星」がある。

 昭子さんが帰還を望んだJR常磐線大野駅前の家は町が二〇二二(令和四)年春の避難指示解除を目指す特定復興再生拠点区域(復興拠点)に含まれた。だが、泉さんの自宅は復興拠点や汚染土壌を置く中間貯蔵施設用地に含まれず、除染方針が未定の通称「白地(しろじ)地区」にある。「同じ町なのに…」

 政府は除染の長期目標として「年間の追加被ばく線量一ミリシーベルト以下」を掲げている。一方で帰還困難区域の復興拠点外でも人が居住しない場合に限り、年間積算線量が二〇ミリシーベルト以下になれば、未除染でも地元の意向に応じて避難指示を解除できるとする仕組みを定めた。

 泉さんの自宅周辺の除染は手付かずだ。除染をしないままでは放射線量は長い間下がらず、一ミリシーベルト以下を目指し除染を実施した地域と線量に差が出るとしか思えない。

 除染の長期目標とした一ミリシーベルト以下と、今回、条件付きで避難指示を解除できるとされた二〇ミリシーベルト以下。二つの基準をどういう理由で設けたか、泉さんは国から説明された覚えがないし、どう受け止めていいか困惑している。母との思い出が詰まった古里を奪われた苦しみがにじむ。

 昭子さんは原発事故前に計三集を編んだ。その後の作品は未収録となっていたが、「母の生きた証しを残したい」と泉さんが二〇一八(平成三十)年に第四集、四集改訂版、改訂版2を相次いでまとめた。

 小学校教諭だった泉さんは会社員の夫康弘さん(67)と共働きで多忙な上、嫁ぎ先の義母は早くに亡くなった。家事や子育てを助けてくれたのが昭子さんだった。町中心部の家から約三・五キロ離れた泉さんの自宅に足しげく訪れてくれた。

 〈五月晴れ曽孫の未来輝いて〉

 作品集には昭子さんが会津若松市で二年ほど一緒に暮らしたひ孫悠祐君(7つ)との日々もつづられている。

 泉さんは古里から遠く離れて思う。悠祐君の世代が社会を担うころ、大熊町は元のように家族同士が行き来できる環境になるのか-。「悠祐にルーツの場所を見せてあげたい。何十年かかっても復興してほしい」。町の再生を願っている。

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