【あなたを忘れない】女手一つ息子育てる 元気な義母、避難で一変 福島県いわき市

義母平山タケヨさんの写真を見つめながら思い出を振り返る文子さん
2025/03/09 09:56
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生当時に福島県いわき市内の介護老人保健施設に入所していた平山タケヨさん=当時(94)=は、施設が入所者をバスで千葉県まで自主避難させる途中に、車内で息を引き取った。死因は急性心不全だ。長男清司さん=2017(平成29)年に77歳で死去=の妻文子さん(84)=同市好間町=によると、震災関連死に認定されたという。文子さんは「義母は膝が悪いぐらいで、元気に暮らしていた。原発事故がなければ100歳まで生きられたはず」と快活な姿を思い返す。
タケヨさんは1917(大正6)年、福島県いわき市三和町の農家に6人きょうだいの3番目として生まれた。県内や山形県内で養蚕教師として農家を指導した。結婚後間もなく夫を病で亡くし、女手一つで一人息子を育てた。戦時中は幼かった清司さんを残して旧満州(現中国東北部)に渡り、青少年義勇隊員の生活指導に従事した。
終戦に伴い母国に引き揚げ、いわき駅前の銀座通りに女性用衣料品店を構えて繁盛店に育てた。20年ほど前に閉めるまで55年間、清司さんと親子2人で営業を続け、商店街のにぎわいを支えた。
心身とも活発で頑健な人だが、商いでは厳しさも見せる半面、家では文子さんらに優しく接した。店を畳んだ後は旅行を楽しみ、満州で過ごした仲間と旧交を温めた。戦争体験者らしく「平和が何よりも大事」が口癖だ。「孫と遊んでいる時が一番幸せ」と日記に書き残すほど、2人の孫をかわいがった。
14年前の震災と原発事故から程なく、入所していた施設は断水。物流が停滞して医薬品やオムツなど必需品が手に入らなくなり、千葉県内の宿泊施設への自主避難を決めた。お年寄りを乗せたバスは清司さんらが見送る中で午前に出発し、その日の夕方に受け入れ先に着く予定だった。無事を信じていた家族の元に電話で訃報が届いた。タケヨさんは千葉県内に入って急に体調を崩したという。文子さんは「あんなに元気だったのに…。急な長距離移動で心身に相当の負担がかかったのだろう」と想像する。
文子さんは毎年3月11日には市が催す追悼式に参列している。若い頃に苦労した分、義母には穏やかな晩年を過ごしてほしかったという悔いは消えない。
震災と原発事故の後も自然災害が相次ぎ、災害弱者と呼ばれる高齢者が命を落とす悲劇は後を絶たない。「震災を教訓に、義母のような犠牲者を出さないための仕組みを平時から社会全体で考えてほしい」