「復興の前」を考えたい

 

東日本大震災から5年経たない2010年代前半は、東北復興を後押しする機運が全国的に高かったように思います。しかし2010年代後半、「復興」のイメージが大きく変わったと感じます。「福島」への関心は下がり、「風化」が進んだのではないでしょうか。

なぜなら、残念ながら毎年のように「50年に一度」といわれる大きな災害が発生し、2020年にはコロナ感染が世界的に広がったからです。「復興」は全国で必要になりました。浜通りはいまだ住民避難が続く地域もあり、まだまだ復旧・復興の途上ですが、どのように考え伝えていければよいのでしょうか。

■相次ぐ自然災害■

東日本大震災以降の2011年から2015年ごろまでは、「復興」といえば、「東日本大震災からの復興」をイメージする人が多かったかと思います。

2016年4月、熊本地震が発生しました。震度7がなんと2度も計測されたのは、史上初めてとのこと。熊本城の石垣の崩落などは印象的で、死者は273人(2019年4月現在)にのぼりました。

地震後、現地に約2週間入りました。「がんばろう福島」とのステッカーをはった支援者に出会いました。東日本大震災での縁をきっかけに、熊本でも支援に携わる民間人や団体に多く出会いました。

この頃、関東以北では東北・福島への関心は依然高かったと思いますが、大阪など西日本ではすでに、「東北復興への関心が薄れている」という声も聞こえ始めました。

「車で行ける」距離にある都市間では、復興応援販売のイベントや実際の商品もたびたび目にします。しかし「飛行機で行く」距離になると、その広がりは厳しい。熊本の被災地を訪れて関東に戻ったとき、雰囲気や報道でも似たものを感じました。

2018年は西日本、2019年は東日本で、大雨被害がおきました。

2018年6月末から7月にかけ、「西日本豪雨」が発生しました。死者は237人(2019年1月現在)。「平成最悪の水害」と報道され、岡山・広島など中国地方に加えて、九州や四国、中部の岐阜県など、被害は甚大で広範囲でした。

翌2019年。9月の台風15号で、千葉県内が大きな被害を受けました。さらに10月、台風19号が決定的でした。「大雨特別警報」は静岡県から岩手県まで13都県で出され、大規模災害復興法の非常災害に、熊本地震に次いで2例目の適用となりました。災害救助法は14都県390市区町村が適用になり、適用範囲は東日本大震災を超えて過去最大とのことです。

そして2020年。コロナ感染が広がり、日本を超えて世界で「災害」がおきている状態となりました。

「復興」は、インフラの再建に加えて、人の暮らしや地域が元に戻ることを意味します。東北だけでなく、全国で復興が必要な状況になりました。

浜通りではいまだ、被災した個人や地区を再生するだけでも大変ですが、今後は地区をまたいで、また外部との協力もさらに得ていくことが、より重要だと思います。

■「復興の前」■

東日本大震災から10年となり、今後注目したいのが、「震災の継承」や「体験の語り部」など現地での伝承事業です。

これまでの、経済やまちづくり復興とは別軸で、「復興の前段階」ともいえる部分です。

住宅や街並みは、住民が住み続けないとすぐに失われていくことを、我々は目にしました。

2014年、全町避難が続く富岡町を案内いただきました。写真を撮ることもちゅうちょする、強烈な光景でした。

警戒区域解除「線量管理は自己責任」 全町避難の富岡町ルポ(上)

一番の被災は「加害者がいること」 全町避難の富岡町ルポ(下)

地震後の津波で駅舎が丸ごと流されたJR富岡駅は、複合災害のすさまじさを強く実感できる場所でした。現在、富岡駅周辺はきれいに整備され、ホテルも建っています。除染やまちづくりが進むことは地域にとって大きな前進ですが、原発事故の「象徴」だった場所は、浜通りから急速に失われています。「保存」や「伝承」を、強く考えないといけない段階に入りました。

「伝え方」も工夫が必要になるでしょう。

「地震でガラスが大きく割れた店舗」「バリケードで立ち入り禁止区域と分断された街並み」など、インパクトの強い場所を、多くの人が見学していたと思います。

しかし、そうした見学者から、移住や福島での起業につながったのでしょうか。必ずしもそうではないと思います。いまだ多くの人の記憶に残り、引き続き福島に心を寄せているとは思いますが、伝承プログラムや伝える人材は重要です。

そこで重要となるのは、大熊町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」と、それをとりまくプログラムです。

前回の記事で、いわき市の「いわき震災伝承みらい館」を紹介しました。「東日本大震災・原子力災害伝承館」は、福島県の外郭団体が運営主体で、「未来への継承・世界との共有」「防災・減災」「復興の加速化への寄与」の3つの基本理念で進めています。

注目点は何より、震災を知らない若い世代も多く訪れる場所だということです。

昨年11月、福岡県の高校生が修学旅行で訪れたそうです。震災時は小学生。おそらく、人生で初めて福島県に足を踏み入れた高校生も多かったと思います。そうした人々が、浜通りを見て福島を感じる場所になります。

設立当初、展示内容に疑問の声も多く聞かれました。自分も見学しましたが、まずは伝承施設としてスタート地点に立ったことに敬意を表したいと思います。そして今後、批判を含めた様々な声を踏まえ、「伝える」改善を続けていくことで、初めて浜通りの被害と復興が多角的に伝わるのだと思います。

「平和学習」や修学旅行先としては、広島の取り組みが参考になりそうです。

原爆ドームは一時取り壊しの議論もありましたが、約20年後の1966年、広島市議会が永久保存することを決議。被爆50年にあたる1995年に国の史跡に指定され、翌1996年12月、ユネスコの世界遺産への登録が決定しました。

振り返ると、被爆から世界遺産登録まで50年かかっています。原爆ドーム以外の多くの取り組みもあります。「平和学習」として定着するまで、世代をまたぐ年月と多くの人の力が必要になります。浜通りも同じでしょう。

令和以降の時代、「福島・浜通り」が修学旅行先で注目される_。そんな動きも作りあげたいと思います。

日本は世界で有数の災害大国ですが、「防災・減災」では、特にアジア諸国に対して伝えるべき教訓や防災の仕組みは多いと思います。

日本の若い世代や次世代に伝え、アジアなど世界にも伝承する。

そのハブに福島県(Fukushima)と浜通り(Hamadori)がなる意義は大きいと思います。

<今回紹介したリンクはこちら>

東日本大震災・原子力災害伝承館

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