「浜通り」への想い

「地震速報 福島県浜通り震度4」

2011年3月11日。
当時、テレビのテロップで「浜通り」という言葉を
見なかった日はなかったと思います。

あの日から3年程経ったある日、
福島県の川内村という場所に私は野菜工場の視察に行きました。
高速のインターを降りて、
最初に目に飛び込んできたのが廃墟のようなコンビニ跡。

当時はまだ崩れ落ちた屋根瓦の家の前を
イノシシが堂々と歩いていたような頃でした。

東京から3時間程度の場所がまだこんな状況なのかと
背筋がゾッとしたのを覚えています。

2014年。川内村に向かうコンビニエンスストアの風景

それから2年程経った2016年から今日に至るまで、
福島県浜通り地区に月一回のペースで訪れることになりました。

浜通りに定期的に通うに際して、
改めて、福島県の地図を見直してみました。

日本で3番目に大きな福島県。
その大きさは、北海道、岩手県に次ぐ大きさです。

福島県の地図を横にして
関東に当てはめると銚子から甲府までスッポリ入るくらい大きいのです。

新幹線が走っている福島市や郡山市が「中通り」、
磐梯山や喜多方市などがある雪が多い地域が「会津」、
そして、
いわき市から新地町までの太平洋沿岸の広大な地域が
「浜通り」です。

「浜通り」を構成するのは、
いわき市、広野町、楢葉町、双葉町、大熊町、富岡町、浪江町、
川内村、田村市、飯館村、南相馬市、相馬市、そして新地町の
13もの市町村が連なる広大なエリアです。

「浜通り」は、
会津や中通りに比べ、
雪もほぼ降らず、気温も少し高い風光明媚な居心地のよい地域です。

とにかく空気が澄んでいて、
思わす深呼吸をしたくなる、
自然が豊か…でもちょっと風が強いのが難点…
総じていえば非常に居心地の良い土地です。

その中でも一番好きなのは温かくて思いやりがある気さくな優しい人柄、でもその奥底には悲しみを乗り越えた強さがある、そんな地元の方々に触れるうちに私はすっかり「浜通り」の虜になりました。

しかし、
「仕事で福島に行っている」と話すと、

「え?大丈夫なの?放射能は?防護服着てるの?」と。
「そんなわけないだろ!みんな普通に住んでるよ!」

何度こんな会話をしたか数えきれません。
いい加減面倒になった私は、
「報道に惑わされずに、実際に福島に来て自分の目で判断しなよ!」と
言うのが口癖になりました。

また、こんなこともありました。
私が非常に懇意にさせていただいている大先輩がいます。
震災当時、非常に苦しくツラいご経験をされた方です。

何度か当時の話を聞かせていただいているうちに、
私はどうも違和感を感じるようになりました。

「自分は一体何をしに浜通りに来ているのだろう?」と。

私はいつの間にか当時のツラくて悲しい地元の方々の体験話に
共感以上に引き込まれるようになってしまっていました。

「そんなことがあったから仕方がない、あんなことがあったから当然…」

あれ?
そんな気持ちでいいのか?

そう振り返った時、私の中で一大決心が生まれました。

「俺は未来の浜通りを作りに来ている!だからこそ10年先の子供たちに誇れる街を作る!」と。

毎月一回、4年程通っていると変化がわかります。
人智がいかに凄いのかを実感させられます。
テレビで見たあの状態が10年も経たずにここまでになるのです。

それを証明するかのように、
文頭の「コンビニエンスストア」は、下の写真のようになっています。

震災以降、草が生え、人通りが無くなり、
建物の外観が削げ落ちた、あのコンビニエンスストアに、
人が集い、日常の生活が当たり前のように姿を見せています。

そんな「今」の「浜通り」は残念ながらなかなか全国報道されません。
報道されるのは「あの日、あの時」の「浜通り」のままなのです。

だからこそ、今の「浜通り」を伝えたい、
明るい笑顔を伝えたい、
この街の素晴らしさを伝えたい、
そんな想いを県外者の視点で伝えて行ければと思います。

「浜さ恋」は言わば「浜通りの玉手箱」です。
この地で暮らす人々の温かさと英知が詰まっています。

百聞は一見に如かず、是非「浜通り」に足を運んでいただきたいと存じます。

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