“結”がはじまる場所をつくる 〜まかない付きシェアハウス楢葉(仮称)〜

 

千葉の新興住宅地の端っこ、一歩出れば田んぼ、という環境で育った古谷さんには3つ上の兄がいた。真面目で優しく優秀で、大好きであると同時に、子ども時代の古谷さんにとっては、コンプレックスの対象。打倒兄!という勢いで猛勉強をし、地区トップクラスの高校に無事入学!途端、気が抜けた。

 

さて何をやろうかなと思ったとき、時代はカフェブームへと突入。空間が人と人の関係に作用するのを実感し、空間デザインに興味が湧いた。そして多摩美術大学で空間デザインや設計を学び、卒業後は空間デザイン会社に就職、バンコクに滞在しての設計アシスタントの仕事に突入した。万事順調に未来が拓けていくと思ったのも束の間だった。急速にはじまった慣れない海外での仕事スタイルに急速にストレスが溜まっていき、古谷さんは1年持たずに事務所を辞めることになった。

 

そこから様々なバイトや契約社員をしながらの生活へと移行。そこで古谷さんは、余暇に小さなイベント企画などをはじめ、その楽しさを覚えていくようになった。好きなジャズミュージシャンのライブを企画したり、友人のセラピストの応援企画を考えたり。趣味を楽しみながらの数年は、あっという間に過ぎていった。

 

それは、企画した阿佐ヶ谷でのジャズライブの当日だった。東日本大震災が起きた。ライブは中止となったがそれを十分に知らせる手段はすでに無い。現地に向かわなくては、と、麻布十番にあった会社から阿佐ヶ谷方面へと歩いた。歩いて歩いて、しかし新宿あたりまで来た時にはもうライブの開始時間は過ぎてしまっていた。新宿のビルの一角でダンボールをもらいくるまりながら、過ごす寒い夜。こんなに都市の生活って麻痺してしまうのか。こんなに家に帰りたいものなのか。古谷さんの体の中で何かが弾けた。「人々が安心して暮らせる環境づくりの仕事がしたい」そんな願望が生まれた。

 

まず向かったのは大学でも学んできた建築を通じての願いの実現だ。建築の勉強をさらに深めるため、夜間の学校で学びはじめた。そこでは“仮定の駅を複合施設にしなさい”“複合施設のコンセプトをどう地域に貢献するかも含め設計しなさい”“東京オリンピックの選手村がオリンピック終了後にも生かされるような設計をしなさい”といった広域な課題が次々と出された。設計の勉強ではあったが、気がつけば設計というハード面よりもその地域の歴史を調べたり、その地域に住む人々のことを夢中で考えている自分もいた。

 

そして仕事先として浮かび上がってきたのは“被災地“。東京から一番近くの東北・福島県の郡山に、復興関連の施設を設計している設計事務所がオープンデスク受入をしているのを見つけ、応募した。福島のことをもっと知りたいと、復興に貢献する企業家やリーダーを育てようと実施されていた「ふくしま復興塾」にも参加。そこでは参加者一人ひとりが福島の課題と向かい合い、プロジェクトを考え具現化していくことが求められた。設計事務所ではオープンデスクから本採用へと移行し、郡山での仕事が本格化したものの、古谷さんは浜通りへと、その中でも縁が深まっていった楢葉町へと、幾度となく足を運ぶようになった。

 

そこで見えてきたのは、帰還を悩む地元の人々の姿や、事故収束・除染などの仕事で来ている作業員さんたちとの間にある軋轢だった。ゼロからの再出発をした町では、頼れる人も少なく安心できる環境もまだ無いことへの不安も大きい時期でもあった。一方の作業員さんからは「飲みに行けるようなお店もなく、話を聞いてもらえる場所がない」という声も聞こえてきた。人もお店も少ない状況となっていた町では、誰もが拠り所を求めていた。“飲めて話を聞ける場所だったら私でも作れるかもしれない。ここで暮らす方の心の拠り所となれたら”そんなことを思った。それは、震災の時に沸いた想いそのもの。建築を通してそれを実現しようと思っていたが、現実に直面したら建築とは違う方法が見つかってしまった。矢先、偶然にもスナックだったお店が空き物件として見つかった。こうなったら全力で取り組むしかない。建築の道からコミュニティ作りの道へ。それは福島の復興という命題の前では大した違いではないのかもしれない。設計事務所を去ることを決めた古谷さんに、所長は理解と応援の言葉を贈った。

 

新しくひらいたお店には“結”というこの地域でも古くから使われてきた助け合いのコミュニティを指す言葉を入れ、「結のはじまり」と名付けた。ご飯を食べられる場所を探しているという地元の声も受け、地域のお母さんらに料理を教えてもらいながらお店の準備をし、2017年に飲食店をオープン。ビラ配りからはじまり、クチコミでお店の存在はひろまり、お店にはすぐにお客さんが集うようになった。そこでは自然と作業員さんと地域の人の交流が生まれ、お店は地域の人たちにも支えられながら、多くの人に必要とされる場となっていったのである。

 

一方で、楢葉町で一軒家を借り、3人でルームシェアをしていた古谷さんは、シェアメンバーが変わるタイミングで、その家をシェアハウスとして運営することに。ここに住もうという人たちは何かしたいと希望を抱いて来るのだろうと考え、自分が運営するのであれば、ただ家をシェアして住んでもらうこと以上に、その人たちの傍にいながらそれをサポートできたらとの想いもあった。

 

そして数年が経った頃、除染の仕事が一気に終わり、お店に来るお客さんが激減。お店のありかたを変えていく時期と捉えた古谷さんは、テイクアウトを中心とした店への転向や地域の味であるお漬物などの発酵物を押し出した展開をはじめた。並行して動き出したのが、廃業となった旅館を使ったシェアハウス兼ゲストハウスを作るという町の事業への関わりだ。そこに新型コロナウィルスの蔓延が加わり、さらに煽りを受けたお店は立ち行かなくなる寸前まで追いやられたものの、発酵物を特徴としたお弁当の配達をすることでお店の継続を守り、空いた時間で新しいプロジェクトの準備にあたった。

 

 

そして2022年、古谷さんを中心として運営する賄い付きのシェアハウス兼ゲストハウスがオープンしようとしている。ここに新たに住む人たちが地域にどう入り関わっていくのか、地域とここに来る人々のかすがいのような場。同じ釜の飯を食べ、日々のことや互いの夢も語りあえる場。彼らのサポーターのようなお母さん的な存在がいること。作る段階でも地元の大工さんと一緒にDIYでリノベーションをしながら地域に場所を開きはじめ、そこの住み始めた人たちもここを使って週末イベントなどが出来るようなことも、構想している。それは、結のはじまりとシェアハウスで取り組んできたことが合体したような場所なのかもしれない。そしてその根底にはやはり、誰もが“安心して暮らせるように”という想いが流れているのだろう。それはもしかしたら、この地域でかつてあった “結”そのものを、もう一度蘇らせることなのかもしれない。

 

文・写真 藤城 光

 

<まかない付きシェアハウス楢葉(仮称)>

福島県楢葉町に2022年春よりオープン予定のシェアハウス・ゲストハウス。

常磐線木戸駅から徒歩3分!

Instagram : https://www.instagram.com/makanai_sharehouse_naraha/

場所:福島県双葉郡楢葉町下小塙町116−1

連絡先:SNSよりお問い合わせ受付中。

4月のオープンへ向けて、みんなの家が育っていく様子をInstagramに更新して参ります!2月中旬にはDIYイベント等を実施予定!

関連記事

ページ上部へ戻る