「飯舘の豊かさ」を活用した、これからのむらづくり

 

「飯舘村は、浜通りと中通りのちょうど中間地点なんですよ」

 

飯舘村出身・在住で、現在は飯舘村議会議員を務める、佐藤健太さんが教えてくれた。

なるほど確かに、浜通りの南相馬市からも、中通りの福島市からも、飯舘村までは車で約40〜50分ほどで到着する。そのアクセスの良さで、最近はスポーツ少年団やユースチームの練習試合なども盛んに行われているそうだ。

飯舘村へはどちらから来るにも峠を越えなければならないが、だからこそ景色も空気も良く、土地も豊かだ。震災後は人工芝のサッカー場や天然芝の野球場を始めとして、屋内テニス場や小さい子どもたちも遊べる公園などの施設も備え、子どもたちが活動するには最良の場所であることは容易に想像できる。

 

飯舘村に生まれ育ち、県外の学校と村外での仕事を経て、20代前半に村にUターンした佐藤さんに、いいたて村の駅までい館で、「飯舘村の暮らし」と「これから」について聞いた。

 

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小さいころの遊び場は、住んでいる前田地区(北前田)の山。狩りや山菜取りに付いて行ったりもしていたので、どこに行けば何があるか、どこに入っちゃいけないのか、庭のように分かっていました。言ってみれば、家の周りの山がアスレチックのような存在でした。

でも子どものころは行動範囲が狭いので、外へのあこがれは強かったですね。

 

長男として、自分はここで生活をしていくんだと考えられるようになってからは、飯舘の四季の豊かさを、自分の中に落としこめるようになっていったと感じます。そうすると生活が楽しくなってくるんですよね。

 

春は、山菜が絶品です。村でとれたフキノトウやタラの芽を福島市内の天ぷら屋さんに持っていって、天ぷらにしてもらって居合わせたお客様にも振舞ったりして、みんなで春を楽しんだりもしました。これは田舎と都会の共存の仕方を感じられた瞬間でした。飯舘の夏は涼しく、過ごしやすい気候で、夏祭りなどイベントもあり商工会青年部員として出店したり、夜は松川浦まで行って夜釣りも良くしていました。意外と近いんですよ。

秋はとにかくキノコ採りですね。3世代で山に入ってキノコ採りに行ってました。冬はとても冷え込む厳しい環境ですが、年末には、父が仕留めてきたキジと飯舘産の蕎麦で、キジ蕎麦を作って年を越す、キジの油と牛蒡の効いた出汁ですごくおいしかったのを覚えています。自分でも鳥は捌けますよ。まだジビエとか流行る全然前から当たり前の生活でした。マタギの人も多くいました。

 

そういった「飯舘の四季」や暮らしを自覚的に楽しめるようになってきた時期に、震災が起こったのです。東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故で、山に入れなくなってしまい、飯舘村は1つの文化を消失したと感じています。

 

そんな中最近では、地の利を生かした花卉栽培が復活しています。震災前からトルコギキョウの評判は高く生産が盛んだったのでノウハウがあるんですよね。またカスミソウや他の品種の生産も始まっているようです。秋には、道の駅の前にコスモスや千日紅が咲き乱れます。

 

農業や畜産業を再開する事業者も増えてきました。個人的には「飯舘牛」の復活は大きな力になると思っています。震災前の「牛肉フェスティバル」の光景は忘れられません。

今は、点となる事業をつくっている時期。その点と点を結び付けて線となるように、飯舘村の土地や資源の豊かさを活用していきたいですね。

 

 

震災から10年経ったいま、飯舘村で何かイベントを企画するとそれなりに人が集まってくるようになりました。地元の人たちや関わる人たちの努力やPRが実ってきたのだと感じます。放射能が気になる、というような話はほとんど聞かなくなりました。

2021年12月に「いいたて村の駅までい館」で行われたキャンドルナイトにも、寒い中でしたがコロナ感染予防対策をしながら、多くの人が集まってくれました。

 

ただ、今でも福島市などに避難している飯舘村民は多くいるので、そういったコミュニティも大切にしなければと思っています。震災前に飯舘村でむらづくりを行いながら営業していて、今は福島市で営業している「椏久里珈琲(アグリコーヒー)」さんは、そんな人たちの憩いの場になっていて、そういった先輩たちを見て、我々も頑張らなくてはという気持ちでいます。

 

村内の「椏久里珈琲」の店舗跡には新しく「なごみ」というベーグル屋さんができたり、地域おこし協力隊がイベントや特産品開発を行ったりと、移住してきた皆さんの活動にも刺激を受けています。

元あった飯舘村の暮らしを戻すだけでなく、村に戻った人たちと新しく村に入ってきてくれた人たちがゆるやかにつながって、村としての飯舘を残していきたい、そう思っています。

 

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飯舘村出身だからこそ、村の文化、豊かさを熟知しながら、未来を見据えることができる。

そして何より、村を思う気持ちを強く感じたインタビューだった。

 

佐藤さんは2022年から、南相馬市にある「一般社団法人原町青年会議所」の理事長を務める。飯舘村のメンバーが理事長となるのは、原町青年会議所53年の歴史上、初めてのことなのだそうだ。

震災後、飯舘村だけでなく地域全体の人口が減少してしまっている今、外とつながり、村を発信していくことは必須のこと。

 

最後に佐藤さんは、「飯舘村はまだこれから。(30代である)私たちの世代は、経験豊富な年配の方から若手まで巻き込んでいけるので、飯舘村の豊かさを利用したむらづくりを進めていきたいですね」と笑顔を見せた。

 

 

 

文・写真 山根麻衣子(双葉郡在住ローカルライター)

 

 

 

までいライフいいたて(飯舘村観光情報サイト)

https://www.vill.iitate.fukushima.jp/site/kanko/

 

 

 

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