置いてけぼりの気持ち 古里の様変わりに困惑【復興を問う 帰還困難の地】(69)

 四季折々、さまざまな表情を見せてくれる大熊の自然が好き-。東京電力福島第一原発事故により大熊町野馬形行政区から会津若松市に避難している自営業庄子ヤウ子さん(73)は、記憶の中の古里に思いをはせた。

 「当たり前に過ごしていた日々の大切さを、失ってから気付いた」。父親から受け継いだ土地は、除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設の用地に含まれた。一家五人で暮らした家は、静かに解体されるのを待っている。

 野馬形行政区で六人兄弟の末っ子として生まれた。浪江高卒業後、都内で就職したため一度は大熊を離れた。数年後に帰郷し、一九七三(昭和四十八)年に三郎さん(80)と結婚した。その二年前の一九七一年に福島第一原発は営業運転を始めていた。「原発のおかげで人や商業施設が増え、町がにぎわっていた」。地域は原発と共存しながら発展していた。その原発が未曽有の事故を起こし、住民から大切な古里を奪った。複雑な思いが拭えない。

 原発事故の発生前、自宅では家族で穏やかな日々を過ごした。早春になると庭に咲く梅の花がお気に入りだった。山開きの時期に合わせて毎年、町西南部に位置する日隠山(ひがくれやま)に家族で登った。春には大川原地区の坂下ダム周辺で咲き誇る桜を見に出掛けた。

 近所では町の特産品である梨の生産が盛んだった。秋には豊水や幸水が、たわわに実った。洋梨も栽培され、風味豊かなラ・フランスやルレクチエを食べるのが楽しみだった。「大熊の梨が一番おいしい。それが恋しくなるから、他の産地の物は食べないようにしている」

 原発事故の発生から十年が過ぎた。町内では大川原地区に役場新庁舎が整備されるなど、復興は着実に進んでいる。だが、町の姿は自分たちが暮らしていた頃とはかけ離れていると感じる。

 「きれいになった大川原地区に行っても、古里に戻った気になれない。まるで原野を見ているようだ」。春と秋の彼岸には、墓参りのために大熊町に足を運ぶ。その度に変わっていく古里の景色に困惑する。「新しく作り変えられた町を、古里と呼べるのかな」

 帰還困難区域内の特定復興再生拠点区域(復興拠点)では、国が二〇二二(令和四)年春の避難指示解除を目指して整備を進めている。一方で、庄子さんは自宅の土地を中間貯蔵施設の用地として手放した。施設には連日、大量の除染廃棄物が運び込まれている。「帰る家はもうない。それでも戻りたい…」。帰還は諦めても、心は古里とつながったままだ。

 原発事故により、町は大きく変容している。将来の姿がどうなっていくのか、思い描くことすらできない。「国は、私たちの思いをくみ取るつもりはないのか。なんだか、置いてけぼりにされているみたい」。苦しくて胸が張り裂けそうになる。

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