【あなたを忘れない】家族思いの海の男 自慢の兄、身近なヒーロー 福島県相馬市

 

仏壇の4人に語りかける桜井俊夫さん

 

2025/03/04 10:40

 

大切な人を奪った海。「それでも俺にはこの仕事しかないから」。福島県相馬市の漁師桜井俊夫さん(70)は東日本大震災の津波で父勝さん=当時(82)、母キイさん=同(80)=、兄照夫さん=同(58)=、照夫さんの妻延子さん=同(62)=の4人を亡くした。あの日、津波の襲来に備え兄と別々の船で沖に出た。ちょっとした時間の差が命運を分けた。帰らぬ人となった兄と、生き残った自分。この命、大切にしなければ―。面影を胸に刻み、俊夫さんはきょうも船に乗る。

 

 勝さんは市内原釜で漁業に励み、子ども6人を養った。キイさんは夫を支え、休むことなく家事をこなした。延子さんは世話好きな人で、俊夫さんら家族に優しくしてくれた。

 照夫さんは子どもの頃から足が速く、短距離選手として活躍した。市外の陸上競技の強豪高校から推薦をもらうほどの実力。自慢の兄であり、身近なヒーローだった。だが、兄は進学しなかった。裕福でなかった家庭を思い、中学卒業後に父の跡を継いだ。

 俊夫さんも自然と兄と父の背中を追い、後に漁師になった。2011(平成23)年3月11日、漁を終えて隣に住む勝さんと照夫さんの家で網仕事を手伝い、休憩を取っていると激しい揺れに見舞われた。船を守るため「沖に出る」と兄に伝えると、「俺も後から行く」と返ってきた。その日は一夜を船の上で過ごした。兄や義姉、両親が亡くなっているとはこれっぽっちも思わずに…。

 明るくなってから自宅に戻ると周辺一帯は跡形もなく流されていた。市内の避難所を歩き回り、自分の家族とは巡り会えた。だが、両親と兄夫婦の行方は分からずじまい。延子さんは10日ほど後、両親は2カ月ほど後に遺体で見つかった。

 兄はまだ見つかっていない。震災発生から数カ月後、偶然に撮影されたというビデオの映像を見た。津波にのみ込まれる兄の船が映っていた。「あの時、船を諦めて避難していれば」。後悔にさいなまれ、震災後数年は海に出る気力が湧かなかった。

 でもあるとき、ふと思った。兄は高校を諦めてまで家族のために漁師になってくれたんだ―。「いつまでもこうしてはいられない」。中古の小型船を購入し、漁の仕事を再開した。

 現在はタコ漁を主にしている。家に戻ると必ず仏壇に手を合わせる。「きょうも無事に帰ってこられたよ」。一日のできごとや海の様子、家族のことなどを話しかけてみる。遺影の4人から返事はない。気付けば涙が頬を伝うことも。「残っている命は絶対に守るから」。一日一日を大切に生きる。

 

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