ゼロから再出発をした町を、日本一の幸せとワクワクの場所へ

 

「“なみえ星降る農園”の“星”は何とヒトデなんです!」

星型のヒトデを、関わる人たちが空高く投げながら農地に撒き、スター作物&スター生産者を作る!という、そんな遊びゴコロたっぷりのコミュニティー実験農園に取り組んでいる高橋大就さんが浪江町に住みはじめたのは2021年の春のこと。元外交官という経歴を持ちながら、今、ゼロから歩み出した浪江町の再生に向き合っている。

発端を辿れば高校時代。ある日、北朝鮮がミサイルの発射実験を行い、弾道ミサイル・ノドンが日本海に落ちた。ノドンが日本全体をすっぽりと覆える射程距離を持っていることを知った高橋さんは「原子力発電所に当たって爆発したら、日本は終わる」と恐怖感を抱き、そこから国や人々を守ることへの興味が湧いた。大学へ進学し、そこからアメリカの大学へ留学。帰国後、外交官を目指すことを決め、縄とびで椅子に体を括って机に向かい、無理をしすぎて肺に穴が空くほどの猛勉強をした。努力は報われ、外交官試験の一発合格を仕留めた。

 

外務省に入り、アメリカに渡りスタンフォード大学院へと留学後、ワシントンにある日本大使館での勤務となった。どれだけ精度の高い情報を掴み取れるかで日本の平和が左右される仕事。北朝鮮の核の問題に絡む情報の収集なども日常の一部となり、持っているコネクションを繋いで情報収集を重ね、その先でホワイトハウスにもネットワークを築き情報を得るなど、個人の裁量が生かされる業務に高橋さんはやり甲斐を感じていた。任務以外にも、独自にアメリカの論壇の動きをリサーチしニュースレターを企画・発行したりと、自ら楽しみや面白さを見つけて発信していく、そんな姿もあった。

 

2年後に帰国し今度は霞ヶ関で、日米通商問題を担当することになった。その頃の日本経済は特に農業・地方経済の悪化が目立ち始めていた。このままでは日本そのものが沈んでしまう…と危機感を持ち取り組み始めたものの、そこで壁となったのは自分自身だった。“一円も稼いだことがない自分が経済を語る資格があるのか?外からの批評的なことだけを言っていていいのか?”といった自分のあり方への疑問。日本の農業や地方経済を本気で立て直そうと思うなら、まずはプレイヤーとして経済が動く現場に身を置くことからではないか?そう考えた高橋さんは、“公共のために働く”ことは変えない、という意思を心に掲げて外務省を辞める選択をし、外資系の企業コンサルティング企業への転職を決めた。

しかし、民間には飛び込んではみたものの、働き方も公務員時代とはまるで違い、自分が取り組みたいと思える仕事にもなかなか巡り会えない。世界をフィールドに持つ会社にとっては、日本はその一部でしかなく、日本の農業のことを幹部に相談しても、なかなか相手にしてもらえなかった。「俺は農業を立て直すためにここに来たのに何をやってんだろう」、その葛藤をバネに高橋さんは自分で企画を立てることにした。そして、自力で企業初の日本の農業クライアントを獲得、成果を出すことに成功した。

 

そのプロジェクトが完了し、最終報告書のまとめをしていたその時だった。東日本大震災が起こった。その翌日、福島原子力発電所の爆発の映像がテレビで流れた。途端、高校生の時に感じた恐怖が蘇った。恐れていたことが本当に起きてしまった、と思った。このことは自分が一生をかけて取り組むことになる、と直感した。

現地で支援にあたりたいという高橋さんの希望は、企業内での実現は難しかった。高橋さんは休職願いを出し、3月の後半に単身仙台へ向かった。そして外務省時代の人脈を通じて繋がりを持ったNPOに合流し、緊急支援物資の調整役などを担い、岩手宮城の沿岸部を中心とした支援へと入っていったのだった。そこで直面したのが、漁業に関わる人々や、食の生産者の人々が、苦しんでいる姿だ。彼らの状況を改善していくために何かできないかと考えていた4月、東京で食産業復興のための動きがあるという話を耳にした。高橋さんは、東京で行われる初会合に参加することにした。

 

そこで目にした、たった1枚のスライドに、高橋さんは心を撃ち抜かれることになる。東北への支援をしようと揃った食業界の経営者たちと、生産者のネットワークづくりや、企業・飲食・小売りをプラットフォームとして繋いでいくことなどを話し合っていく過程で、代表理事となる楠本修二郎さん(カフェカンパニー代表)がプレゼンで見せてくれた1枚のスライド。それは、子供がヒーローのお面をかぶってちゃんばらごっこしている写真に『ヒーローを生み出す』というキャッチコピーが載ったものだった。震災後のこの時期は、壮絶な状況の中でシリアスな空気感が日本中を覆っていた。そこに現れたこの1枚には、そのタブーを勇気で越えていく圧倒的なパワーがあった。状況は厳しい、しかしながら想いを持ってポジティブに立ちあがっていこうという表明。そのワクワク感のあるコンセプト力に、完全にノックアウトされた。その仲間とともに一般社団法人「東の食の会」を設立、高橋さんは事務局代表に就任した。

 

現場をまわり、生産者や漁業者の人たちと飲み、話を聞く。出会う人々は皆、地域のことや次世代のことに目を向けながら生きる、ヒーローばかりだった。そしてその出会いを通じて東北の海産物・農産物の美味しさに触れ自然と湧き上がってきたのは、この美味しさをその価値のまま届けたい、多くの人に好きになってもらいたい、という気持ちだった。その解決の鍵はあのプレゼンにある、と高橋さんは信じた。漁師さんたちと一緒に渋谷でワカメの店頭販売するなどの地道な活動をしながらも、マーケティングをし、デザインやキャッチコピーを丁寧に作り込んでいくことを重ね、「サヴァ缶」ブランドなど、目を惹く商品を次々と生み出し、その応援者やファンも増えていった。そしてヒーロー生産者がどんどん生まれ、地域が活気を取り戻していく姿は、関わる側にとっても楽しく、嬉しいことだと感じた。

 

そんな活動を続けていく中で、国道6号線の規制が緩和され、浜通りの北と南が車で行き来出来るようになった。福島にも何度も通っていたものの、来る機会がなかったこの地域は、あの日、高橋さんを東北に呼び寄せた東京電力福島第一原発の事故がもたらした影響を強く受けた場所だ。なぜこれまで来なかったのか。避難指示区域を囲むように張られたバリケードの前に立つ高橋さんの体に、衝撃とともに罪悪感にも似た感覚が走った。「産業をどうするかを悩む以前に、そもそもその場所に住めるのかという状況でもがいている人たちがいる。自分がやってきたことは必要だったとは思っているし全力で本気でやってきたつもりだ。でも、どこかでここから逃げてはいなかったか?こぼれ落ちていくものに、目を背けてきたのではないか?」凍りつくように動けなくなった高橋さんの脳裏に、外務省時代の先輩に教えられた言葉が浮かんだ。

 

「迷ったら常に弱い者の側を選べ」

 

なんだかんだやっていても、自分は公務員なんだな、と高橋さんは思った。公のために働く、それが自分のあり方なのだと。高橋さんの前には、次なる目標が立っていた。

 

一度ゼロになったこの町のコミュニティーの再生へ。常に現場を大事にしてきた高橋さんの選択肢は1つだった。まずはこの地域に住むこと。縁が繋がった場所は、浪江町だった。浪江町は東日本大震災により津波の被害を大きく受け、原発事故によって全町民が強制避難を余儀なくされた町だ。2017年に町内の一部避難解除となったものの町の8割は帰還困難区域のまま。震災前は2万人以上が居住していた町には現在は1,800人ほどで、9割の住民は町外に住んでいる。大きな課題を抱えたその町にいち早く戻り、駅前キャンプなど、面白い取り組みをしている人たちと高橋さんは出会い、心が惹かれた。そして2021年、彼は浪江町へと移住したのだった。

 

コミュニティーをもう一度取り戻すということはどういうことなのか。高橋さんは、今までの経験を生かし、地域の企業や人々のサポートや様々なプロジェクトを立ち上げていきながらも、時間を見つけては地元の人たちの話を聞きに歩く。町内町外飛んで行き、耳を傾け、思い出を聞いて回っている。「十日市の日にはサーカスがやってきた」「昔はここに飛行場があった」など、思い出を語る時の人々の表情は明るく、かつての町の暮らしへの思い入れを感じた。そしてさまざまな話を聞けば聞くほど、町の風景が生きた記憶の中の風景として見えてくるのだった。町の伝統や文化は、コミュニティーの再生にとって重要なものだとの確信が深まり、高橋さんは今、街中の壁面にアートとしてその記憶をとどめていくプロジェクトを進めている。

 

そして一方で、高橋さんは「東の食の会」に関わる人たちと協力しながら、浪江町の一角に農園を借り、星=ヒトデが降り注ぐ「なみえ星降る農園」を開園した。「生産者も住民も訪れる人も一緒になってワクワクを生み出す農園にしたい」と高橋さんが語るここは、さまざまな作物を実験的に育て、地域を支える生産物の発見や生産者の育成を目指しているコミュニティー農場だ。現在も、日本では珍しいジュニパーベリーというジンの香りづけとなる植物の育成などを試みている。

 

 

ヒトデは畑の土壌改良に役立つだけではなく、イノシシが嫌がるとして注目されているのだという。星=ヒトデを撒くことは、すでにこの農園のエンターテイメントとして定着しつつある。“ここでヒトデを撒くと幸せが舞い込む”とも言われるようになった。そのヒトデたちは、震災後からずっと高橋さんも共に走り続けてきた東北の漁師のもとからやってくる。逆境をくぐり抜けた漁師たちから復興への祈りのバトンが渡されるように、ここを訪れる人々の手によって、星が浪江町に降り注いでいる。

 

さまざまに渡り歩きながらも、その道は一つに繋がっているのだろう。世界という舞台からはじまった高橋さんの道は、今、限りなくミクロな場所へと導かれてきた。しかしながらそこにあったのは、ミクロこそがマクロを変えていく原点だという気づきだ。高橋さんは今、この地を生涯かけて生きる場所として考えている。「浪江町を幸福度日本一の町にしたい!」そう語る高橋さんのキラキラとした少年のような瞳には、この小さな町から日本を変えていこうとする強い意思も、映っていた。

 

 

<なみえ星降る農園>

住所:福島県双葉郡浪江町北幾世橋中川原

問合せ先:  star-farm@higashi-no-shoku-no-kai.jp  (東の食の会 なみえ星降る農園 運営係)

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