1度ござれや 請戸の浜に 〜震災遺構・請戸小学校〜

 

浪江町の港がある請戸(うけど)地区では、毎年2月の第3日曜日には豊作や豊漁を願う「安波祭」が行われ「田植踊(たうえおどり)」が奉納されていた。踊るのは、請戸小学校の4年生〜6年生の女の子。学校で踊り手を募り集まった有志で担っていた。少女たちの踊りは、苕野(くさの)神社からはじまり地域の家々を巡り、請戸の人々の祭りの愉しみとなっていたのだそうだ。

その踊り子に憧れ、横山和佳奈さんは小学4年生で田植踊を始めた。踊りで請戸を巡ると、みんなが喜んでくれるのが嬉しかった。海の恵み、川の恵み、作物の恵みに満たされたここでの暮らしは、和佳奈さんの体に染み込んでいる。家からすぐの港。とれたてのしらすは山盛り、秋になれば請戸川で鮭がはね、イクラは毎朝白飯にかけ放題。一緒に住んでいた祖父は船大工で、船の塗装をしている祖父の背中を眺め、祖母が近くの畑で作る野菜も食卓に並んだ。小さな海辺の集落では誰もが親戚のようだった。どこに行っても「和佳奈ちゃん」と声をかけられるような、あたたかく濃い海辺の人々に囲まれていた日々。その場所は、原発から6キロの場所でもあった。

横山さんが震災を経験したのは、小学6年生の時だ。2011年3月11日の朝、偶然にも請戸小学校の職員室で津波時の避難の話が出たのだそうだ。「避難するなら大平山に」という情報が、この日の職員にはインプットされていた。それが功を奏したのかどうかは分からないが、地震が起きたあとの学校の迅速な判断により、77人の生徒たちは大津波が来る前に避難を終え、全員が助かったのだった。子どもたちは自然と年長者は年少者の手を取り2キロはある道のりを歩き続け、大平山を目指した。山の頂上についたその背後で、さっきまで生徒たちがいた請戸小学校はその1階部分は津波に押し流され、請戸全域が津波に呑み込まれ壊滅的な状況に陥ったのだった。彼女が育った家も、祖父母とともに消え、その後起きた東京電力福島第一発電所の事故により、この地区の捜索は中断を余儀なくされた。和佳奈さんは、家族とともに母親の実家がある郡山へと避難した。

田植踊が卒業生を交えて再始動したのはそれから間も無くのことだった。7月には練習が始まり、8月のいわきでの公演を皮切りにあちこちから声がかかり、全国各地で踊るようになった。「高校卒業くらいまで毎月のように何処かで踊ってました」と横山さんは当時を振り返る。最初は、友達に会いたいという気持ちで始まった踊りだったが、回数を重ねるほどに、請戸のことを伝えていかなくては、伝統を守っていかなくては、と思うようになった。「重荷に感じることもありました。でも、私が請戸のことを伝えなかったら、請戸という地域があったことすら無かったことになってしまうかもしれない、忘れられてしまうのかもしれないと思ったら、伝えたいという気持ちに変わった。だからこれからも、踊りを守り、語り続けたい」

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道の駅なみえでは、しらす丼やいくら丼、浪江焼きそばなど、浪江ならではのメニューが揃う。
写真はしらす丼の小どんぶり。

仙台の大学へと進学し卒業を控えた時、語り部のような仕事は無いものかと思った。そんな横山さんの目に飛び込んできたのが、2020年に請戸の近くにオープンした東日本大震災・原子力災害伝承館だった。2021年の春、横山さんは、そこで働くようになった。そしてこの年の秋、請戸小学校が震災遺構として整備されオープンしたのである。

請戸小学校の校舎は建てられてから23年。横山さんと同じ年齢だそうだ。まだ新しかったからこそ遺構として残せた面もあるという。

伝承館では福島で起きた全体的なことや経緯が掴みやすい展示となっており、一方の請戸小学校では、請戸という地域を見つめることを通して、複合災害が実際に何をもたらしたのか、津波の被害がどのようなものだったのかを直に感じることができる場所となっている。「伝承館と合わせて、請戸小学校にも訪れてみてほしい。スタッフも現地の人間が多いので、ぜひいろいろ聞いてみてください」と横山さんは言う。

「請戸小学校の1階は特に津波の爪痕が残っているので、生々しさを感じてもらい、津波の恐ろしさを知ってほしいです。私がしたような思いを、誰にも2度としてほしくないと思っています。

それともう一つ、2階には震災前の模型があって、この地区にこれだけの家や建物があったんだということが分かります。その隣の教室は当時の6年生の教室で、その黒板には、ここを訪れた生徒たちのメッセージが黒板いっぱいに書かれています。

請戸が地元の人に愛されてるっていうことをやっぱり知ってほしいんです。震災があったという面だけじゃなくて、ここには海辺の暮らしがあったんだよってことを感じてほしい。

あとこの学校が遺構として残ったことで、地元の人たちが集まれる場所にもなれるといいなと思います」

2階の6年生教室の黒板には、メッセージが溢れんばかりに書かれている。横山さんのメッセージも黒板中央あたりに置かれていた。

小学校を見つめる彼女の背景には、雑草に覆われた草っ原が広がっている。ここにあったはずの家々はもう無い。けれど、その草がそよぐ合間から、彼女の祖父母が微笑みながら彼女を支えているような気がした。いや、もっと多くの声があちこちから、ぼうぼうと生えた草の間から、喜び囁くのが聞こえた気がした。請戸で生きた人々、数百年、それ以上の時の重なりの中で生きた人々の声。ありがとう、ありがとう。請戸のことをあなたが覚えていたいと言ってくれた、それが嬉しい、と微かな気配は立ち現れ潮風に解けていった。

1度〜ござれや〜請戸の浜に〜

彼女は、田植踊を踊りながら、請戸の空気をその体に孕み、人々へと伝えてゆく。「芸能」というものが持つ力が、そこにもある。そして、踊り子を擁していた請戸小学校が震災遺構として残った。草原に立つ小学校の中では、もしかしたら、かつての4年生から6年生の女の子たちが、今も何かを祈り、踊り続けているのかもしれない。

 

<震災遺構 浪江町立請戸小学校>

所在地                〒979-1522 福島県双葉郡浪江町大字請戸字持平56

開館時間  9時30分~16時30分(最終入館16時00分まで)

休館日               毎週火曜日(祝日の場合は開館し、翌日休館)

年末年始(12月28日~1月4日まで)※臨時休館する場合あり

電話番号           0240-23-7041

文・写真:藤城 光

 

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