葛尾村の人々PART2

 

葛尾村の文化や歴史をアーカイブする取り組みとして、今回は「葛尾村に暮らす人々」をテーマに記事を公開いたします。本記事は、2019年の冬、2020年の夏に取材したものをまとめたものです。

米農家(葛尾村 広谷地地区)

松本 邦久さん

コメ作りと畜産は、震災前から行っていました。私の作ったコメは、去年から葛力創造舎の下枝君たちが作っている日本酒「でれすけ」に使われています。民泊施設であるZICCAで提供されているご飯も私が作っているものですね。コメづくりは手を抜いて作れば悪いものができ、一生懸命手をかければ良いものができます。コメが売れれば、次の年のコメ作りの資金になり、良いコメをさらに増やすことができます。良いコメができたときは、頑張って手をかけて育てたからだと実感することができますね。

震災直後は避難しましたが、育てていた牛が心配だったこともあり、まもなく村内パトロールに参加する形で村に戻ってきていました。翌年からは水稲試験栽培にも参加して、ずっとコメを作っています。3年前に品種を「里山のつぶ」に変えたことを除けば、震災前と比べて日頃の生活は何も変わりません。何か変わったことがあるとすれば、私自身が「無理をしすぎず、普通を目指して活動するくらいがちょうど良い」という考えを持つようになったことです。

牛を育てているのでそんなに遠出もできませんし、用事をたくさん作ってしまうと生活のサイクルが上手く回せなくなるので、何事も負担がかかりすぎないようにやらなければならないと思うようになりました。時間は自分で考えて作るものですからね。

人よりも儲けようと思えば、人の倍は苦労して働いてより良いものを作らないと売れないし、儲かりません。テレビで見るような儲かっている人は、ものすごい努力をしていますよね。何十年もかかってやっと良い環境を整えて、良い商品を作ることができているんだと思います。でも私は平均でいいんです。自分が最低限生活できることがいちばん大切なので、利益についてはどこかで折り合いをつけることが大事ですね。そうすれば自分の時間ができるので楽ですよ。私は今の生活に満足しています。

そうやってできた 時間を使って、農産物の差別化や付加価値について考えています。これからの農業は、人と違うものを作らなければやっていけない時代になるし、普通に売っていたのでは大規模経営の人に勝てませんから。ただ、ハイリスク・ハイリターンの挑戦ではなく、地道に必ず成果を出せる方法を試行錯誤しています。

肉牛生産(葛尾村 夏湯地区)

下枝 初恵さん

震災前まで、食用牛の繁殖経営を行いつつ稲を栽培する兼業農家を営んでいましたが、帰村後は今まで以上に畜産の方に力を入れるようになりました。その大きなきっかけが、一緒に仕事をするようになった息子の存在です。小さい頃、悪いことをしたら牛小屋に入れるよって言ったら怖がるほど牛が苦手だった息子が、村の避難指示解除後、家業を継ぎたいと言ってそれまでの仕事を辞め、平成29年春に葛尾村に戻ったのです。そこから繁殖経営を再開しました。

以前は収穫したコメの乾燥藁を餌や牛小屋の敷料として利用し、藁を食べて排出された牛のフンを肥料にし、その肥料で田畑を耕す、というように資源を循環させることができていました。その反面、朝5時に起きて牛に餌をやり、田んぼの手入れをして、夜も遅くまで牛の世話をする忙しい毎日でした。再開後は息子と二人で繁殖経営に専念したこと、機械の導入で餌やりや管理を効率化したことから、時間の余裕が出てきています。ただ現在、牛がのびのびと暮らせるように田んぼでの放牧していますが、山での放牧は落ち葉が除染しきれていないのでできていません。

この仕事をする中で、特に牛を飼育農家に売り出す際には様々な想いがあります。当然、産まれてからの9~10か月間、苦労して毎日手入れして育てあげた達成感はあります。でもそれ以上に、一頭一頭に名前をつけ、愛情をこめて育てた牛が自分たちの元から離れていくことに悲しさも感じます。牛も育てるうちに懐いてくれるので、我が子と同じように愛おしく思うのです。

現在、葛尾村には私たちのような個人経営の畜産業者が多く、みんなで協力し合えるよう、月に一度くらい集まって情報交換を行っています。村民同士の結びつきが強いからこそできていることですし、この集まりがなければ畜産の個人経営はなかなか難しいでしょう。飼育方法の情報共有以外にも、それぞれの苦労を語りあったり労いの言葉をかけあったりして、楽しいひとときです。モチベーションが更に上がりますよ。こうやって村の同業仲間と切磋琢磨しながら、今後は飼育頭数を増やし牛舎を拡大していくことが目標です。

株式会社大笹農場 取締役(葛尾村)

髙橋 憲司さん

2018年10月、私は家族とともに葛尾村に移住し、「伊達鶏」で知られる食品製造業・伊達物産が新設した「かつらお農場」を管理しています。全3棟の養鶏場で年間約22万羽のブロイラーを生産。エサやり・水やりから室内温度まですべてコンピュータ管理で自動化しており、飼育中はほとんど人手がかからない仕組みになっています。

私の実家は伊達市の月舘(つきだて)で、祖父母の代から養鶏業を営み、伊達物産とは長いお付き合いがあります。長男の私は、いずれは家業に入るつもりで東京農業大学に進学しました。でも実際に継ぐのは40歳を過ぎたくらいかな、と思っていたんですよ。卒業後は小売店に就職し、養鶏とは無関係の仕事をしていました。その生活を大きく変えたのが、忘れもしない、私の24歳の誕生日に起きた東日本大震災でした。

震災前の葛尾村は畜産業が盛んで、特に冷涼な気候が養鶏には適しており、伊達物産と契約していた養鶏農家が4軒ありました。祖父は伊達物産向けの鶏を各地の委託農家から搬出する仕事にも携わっていて、私も小さい頃、よく祖父と一緒に葛尾の農家さんを訪れ、かわいがってもらったのを覚えています。

その農家さんたちは、原発事故後の除染で鶏舎をつぶさざるを得ず、ご高齢ということもあってみな廃業を余儀なくされてしまいました。そんな中、以前から葛尾で生産する考えもあった父は、2016年に株式会社大笹農場を設立。元契約農家さんの土地を活用して村の養鶏再興を計画したのです。そして、私もついに勤めを辞めて養鶏の道に入ることを決意し、昨年10月より、大笹農場から伊達物産へ出向する形で「かつらお農場」の運営にあたっています。

髙橋さんご家族。奥様の夏希さんは経理ご担当。

実際に自分で養鶏を始めてみて、「鶏は一生勉強だ」と言われた意味がわかりました。雛から育てて約45日で出荷するのですが、毎回育ち方が違うんです。難しいですが、その分おもしろさもありますね。「かつらお農場」の土地所有者である元契約農家さんも、養鶏の大先輩として、まだ新米の私や他のスタッフにもアドバイスをくださるのは有難いことです。

このほか3軒ある元契約農家さんの土地でも、大笹農場として養鶏を再開する計画を進めています。伊達物産向けの生産に加えて、中期的には独自のブランド鶏を開発したいですね。正直なところ、味の点ではもはやどの銘柄鶏も大差はないでしょう。それよりも、エサや飼育環境などの点で「葛尾でしか作れない」という鶏をていねいに育て、そうした付加価値を理解してくれる消費者に届けたい。その開発には、たとえば葛力創造舎さんを通じて学生インターンの力なども借りて、取り組んでみたいと考えています。

葛尾への移住にあたって、もちろん不安はありました。でも実際に住んでみると、周りは若い家族連れが多いし親同士の交流もあって、思ったより孤立感はありません。こうして、辞めざるを得なかった農家さんの思いも受け継ぐ形で養鶏ができるのはすばらしいこと。再び畜産で村を元気にできるよう、がんばりたいと思います。

下枝浩徳地元記者

投稿者プロフィール

一般社団法人葛力創造舎 

葛力創造舎(かつりょくそうぞうしゃ)は、通常なら持続不可能と思われるような
数百人単位の過疎の集落でも、人々が幸せに暮らしていける経済の仕組みを考え、
そのための人材育成を支援する団体です。 葛力創造舎の「葛」は、福島県双葉郡葛尾村の葛です。原発事故により全村避難となった葛尾村。 震災前も1,500人しかいなかった村の人口は、避難指示解除後100人まで減り、将来も300人程度と
見込まれています。いずれ消滅すると思われてしまう規模でしょう。 しかし私たちは、300人の村でも人々が幸せに暮らしていける方法を模索すべきだと考えます。 そのためには、地域の資源を使って事業を起こし、収益をあげて地域に再投資する仕組みをつくること。 そして、その循環を可能にする人材を育成することが必要です。 葛力創造舎はそれらを使命とし、葛尾村をはじめ、極端な過疎に悩む福島県双葉郡の
原発事故被災地を中心に活動しています。

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