葛尾村の人々PART1

葛尾村の文化や歴史をアーカイブする取り組みとして、今回は「葛尾村に暮らす人々」をテーマに記事を公開いたします。本記事は、2020年の夏に取材したものをまとめたものです。

(葛尾村 上野川地区)

白岩 サチコさん

生まれは二本松市ですが、結婚を機に葛尾村に移り住みました。当時はお見合いが当たり前で、旦那さんとはたった3回会っただけで 結婚しました。また、昔は村内の結びつきが強く、嫁をとるのも村内からが普通でしたから、村外から嫁いできた私は“輸入品”とからかわれ、珍しがられました。しかし、結びつきの強さと同じくらい、外の人を温かく迎えてくれる雰囲気もあり、すぐ葛尾村の生活に馴染むことができました。

結婚して20年くらいは専業農家でした。旦那さんは長女が結婚してから震災まで郵便配達員、私はタバコの葉やコメの栽培、牛の飼育をして大自然の中のびのびと生活していました。しかし、避難後はそうした仕事がなくなって体を動かすこともなく、避難先の体育館では他の避難者に囲まれ、仮設住宅に入っても常に周りの視線を感じていました。そんな毎日に疲れ、戸惑いがあったことを覚えています。そのような状況だったからこそ、とにかく活動しようと思い、発災から2年後に除染作業員となって3年間働き続けました。

避難指示解除後はすぐに葛尾に帰村し、再び以前のような自由を感じることができました。戻ってからは自分が食べられるだけの野菜やエゴマのほか、花を育てたり、上野川地区の人たちでグループを作って焼き肉のたれや味噌を製造したりしています。

特に、私は人と関わるのが好きです。というのも、全国各地に旦那さんの10人兄弟、私の9人兄弟がいて、お正月やお盆になるとみんな集まってくるのですが、そんな普段の暮らしにはないにぎわいが新鮮で楽しいんですよ。そして、帰村後の最大の楽しみは多くの地域から訪れる学生・若者との交流です。実際、葛力創造舎の活動で村に来た若者たちがその後も村のことを気にかけて、私の家を訪れたり泊まったりしてくれます。そうやって来てくれる皆にもっと喜んでほしいと思ってご飯やお菓子をふるまうのですが、「サチコさんの作ったご飯がおいしい」と言われるとますます嬉しくなります。

工芸家 夢工房葛桜(かつろう)(葛尾村 野行地区)

大槻 勇吉さん

震災前は野行地区に住み、双葉地方森林組合に入って木を伐採していました。スギもヒノキも、なんでも切っていましたよ。

震災後に住んでいた仮設住宅はとても狭く、隣から住民の声が聞こえてきたり窓から中の様子が見えてしまったりと、プライバシーの確保が難しい環境だったため、なかなか気持ちが前向きにならず、これといった生きがいや趣味も持てませんでした。そんな状態で震災から1年が経った頃、特定NPO法人の「おにスポ」から「葛尾村民が生きがいを取り戻すため、仮設の木工加工場を開設して活動しないか」とお誘いがあり、木工細工を始めたのです。当時は時間だけはたくさんあったので、夢中になれることを発見できて本当に良かったです。以来、木工細工は私にとって心のよりどころのひとつになりました。

作品作りは全て独学で学びました。プレハブの工房も、電動ノコギリや彫刻刀などの道具も、全ておにスポに揃えていただきました。工房は最初、仮設住宅があった三春町の狐田に作られたのですが、そこからプレハブごと引越し、今は恵下越(えげのこし)の公営住宅にあります。材料の木材は、元々私が持っていて倉庫に保管してあったものや、周りの人が持ち寄ってくれたものを使っています。硬い木の方が艶が出てきれいなので、イチイ、ケヤキ、イチョウなどをよく使いますね。

4年半ほど前からは「しみちゃん(葛尾村公式イメージキャラクター)グッズ」として置物やストラップなどを作っていて、復興交流館あぜりあで販売されています。私のほかにもしみちゃんグッズを作っている方はいらっしゃいますが、少しずつ風合いが違って、やはり人それぞれの個性が作品にも表れるのだと思いました。ほかにも小さいダルマやフクロウの置物などを作っています。フクロウは恵下越集会所にも飾っていますよ。

今は野行地区にある愛宕(あたご)神社 の看板や賽銭箱など大きな作品も製作しているほか、自宅のテーブルやテレビ台などの家具もこだわって作っています。ものづくりが好きなので、木工細工は楽しくて時間を忘れてしまいます。これからも作り続けていきたいと考えています。

農家(葛尾村 岩角地区)

金谷 天さん

震災前は、タバコの栽培と畜産で生計を立てていました。いいタバコを作って表彰状をいただいたことも何度かあります。金杯なんかももらったことがあるけど、お酒は飲まないので使ってないね。コメも少し育てていたし、あとは浪江町の種屋さんから苗を買っていろんな野菜を作っていました。また、岩角地区の区長をはじめ様々な役員も務めました。その頃はいいことも悪いことも全部背負わなくてはならなかったので、部落をまとめるのは大変だったね。周りの人からの信頼がいちばん大事なんだ。

震災後、避難区域が解除になってすぐ葛尾に戻ってきました。牛小屋を立て直して畜産を再開しようと思ったけど、放射線の影響で牧草は食べさせてはいけないと言われてしまったから、牛は手放しました。畑も除染の影響で土が悪くなって、すぐには再開できなかったし、やっと野菜ができても、獣害がひどくて大変でした。長い間葛尾に人が住んでいなかったので猪や猿のような野生動物が増えて、畑を荒らすようになってしまって。昔はなんでも自分で 駆除したけど今は歳だから追い払うことしかできないんだよね。

最近は、ブロッコリー、カリフラワー、ピーマン、ヤーコン、ナス、パプリカなどを栽培しています。家で食べるだけ育てようと思っていたけれど、結局それぞれ40~50本ずつ育てているからとても食べきれない(笑)。

それから今年は黄色いスイカの苗を見つけて珍しいと思ったので初めて育ててみました。赤いスイカよりもさっぱりしていたかな。以前のように畑仕事に草刈り、収穫など忙しくやっています。これからの時期は、稲刈りをしてからじゅうねん(エゴマ)を刈る予定です。

現在、岩角地区にはほとんど人が住んでいないので寂しいです。人よりも動物と会う方が多いかな。カモシカとか。でもやっぱり葛尾でずっと生活してきたからこの場所で暮らすのが一番だと思っています。野菜作りが生きがいかな。今度は新しくチンゲン菜、小松菜、野沢菜なども作ってみたいです。

下枝浩徳地元記者

投稿者プロフィール

一般社団法人葛力創造舎 

葛力創造舎(かつりょくそうぞうしゃ)は、通常なら持続不可能と思われるような
数百人単位の過疎の集落でも、人々が幸せに暮らしていける経済の仕組みを考え、
そのための人材育成を支援する団体です。 葛力創造舎の「葛」は、福島県双葉郡葛尾村の葛です。原発事故により全村避難となった葛尾村。 震災前も1,500人しかいなかった村の人口は、避難指示解除後100人まで減り、将来も300人程度と
見込まれています。いずれ消滅すると思われてしまう規模でしょう。 しかし私たちは、300人の村でも人々が幸せに暮らしていける方法を模索すべきだと考えます。 そのためには、地域の資源を使って事業を起こし、収益をあげて地域に再投資する仕組みをつくること。 そして、その循環を可能にする人材を育成することが必要です。 葛力創造舎はそれらを使命とし、葛尾村をはじめ、極端な過疎に悩む福島県双葉郡の
原発事故被災地を中心に活動しています。

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