これから10年をどう生きていくか 大熊町にいるから感じる思いとこれから

 

今の自宅が、大熊らしい場所

大熊町に住む佐藤亜紀さんに取材の場所をどこにするか聞いたところ「うーん、じゃ家(うち)来る?」と明るく誘ってくれた。

大熊町大川原地区にある亜紀さんの自宅は、木目と石造りが優しい一軒家。

最大震度6強の東日本大震災と8年間の避難生活の影響はもちろん受けていて、きれいに直されているように見えるが「冬になるとすっごい隙間風なの!」とおどける。

それでも「新しくできた施設の周りじゃなくて、こっちの方が大熊って感じがするんだよね、私にとっては」と笑う。

 

 

 

亜紀さんは千葉県出身。東日本大震災が発生した当時は東京に住んでいたが、祖母が双葉町に住んでいたため、小さいころから「いなか」である双葉町を訪れ、双葉郡の大自然と人のあたたかさの中で育ってきた。

大熊町に関わるようになったのは、2014年に大熊町の復興支援員として働き始めてから。「おばあちゃんの家が双葉町なので、隣の大熊町だったら近すぎず遠すぎずって感じで働けるかなって思ったけど、やっぱり知り合いとか親戚に会いまくちゃって」とうれしそうに話す。双葉町と大熊町、ひいては双葉郡が、1つの町だけで生活していたわけではないことを感じさせるエピソードだ。

亜紀さんが働き始めた2014年は、大熊町と双葉町は、東京電力福島第一原子力発電所事故による避難指示解除のめどが全く立っておらず、亜紀さんは大熊町民が多く避難していたいわき市の大熊町役場の支所で働いた。

亜紀さんの仕事は「コミュニティ支援」。全町民が日本全国に散り散りに避難することになってしまった大熊町。避難先で生活する大熊町民同士をイベント開催や団体組織化支援等を通してつなぐ仕事だ。

持ち前の明るさとリーダーシップ、プロとして音楽活動をしていたスキル、そして幼いころから親しんできたふるさと・双葉郡への思いを隠さずに発揮し、あっという間に大熊町に溶け込んでいった亜紀さん。避難している人たちの話を聞き、心をつなぐ仕事。「こんなに幸せな仕事はない」と当時何度も話していた。

大熊町の皆さんと、避難先のいわき市で民謡のステージに立つ亜紀さん

 

 

町に戻れることは素直にうれしい でもそこで止まってはいけない

仕事を通して知り合った大熊町の男性と結婚した亜紀さんは、2019年4月の大熊町の一部避難指示解除に合わせて町に住み始めた。コミュニティ支援を始めた当初、帰町の目途がまったく立っていなかった中で、亜紀さん自身も「大熊町民として」様々な発信を続け、そしてようやく町に戻れたことは「本当にすごいこと!」と喜ぶ。

 

避難指示解除に合わせて開庁した、大熊町新庁舎の前で披露された大熊町伝統芸能「熊川稚児鹿舞(くまがわちごししまい)」

 

亜紀さんがコミュニティ支援業務の中で、町の人の中に見てきた大熊町の姿。「住んでみたい」「その思い出の場所をじかに見たい」と思い続けてきた。「暮らし始めてから、町の人たちの言葉の中にあった風景が目の前にあって、それを感じられることは学びのかたまり」だと目を輝かせる。自宅の庭には、震災前の大熊町で栽培が盛んだったキウイの棚を整備し、昔ながらの大熊町の文化や習慣を復活させるようなイベントを町内で次々と企画した。

 

 

町に住み始めてからも、先頭に立って大熊町を発信してきた亜紀さんだが「町に戻ったことでとても大きな安心感はあるんだけど、それと同時に危機感も感じてる」と真剣な表情になった。

2022年2月現在、大熊町内の居住人口は364人(住民登録数は10,153人)。暮らしていると見えるものはいいことばかりではない。一世代前の価値観、旧態依然とした体制……。様々な課題がある中、私の生き方は今のままでいいのか……。

そんな思いを抱えた亜紀さんは2021年、約7年続けた大熊町のコミュニティ支援の仕事から、浜通り13市町村の広域連携を通して持続的な地域発展を目指す団体「HAMADOORI13(はまどおりサーティーン)」へ転職した。「町に住み現場にいる人間として、底上げして高め合いたい。そのためには、大熊の中だけにいるのではなくて、周りの市町村ともつながって行くことが必要で、それは、外と中の視点、両方を持っている自分の役目じゃないかなって」。HAMADOORI13では事務局として、浜通りで活動する若者たちをサポートする役目などを担う。「浜通りの若者たちの台頭はすごくうれしい!町の外にも頑張ってる子、たくさんいるんだなって」。大熊町外での仕事を始め「見える世界や会う人が変わった」という亜紀さんの言葉は弾んだ。

 

 

「プライベート」を楽しめるように

 そんな亜紀さんだが、まだまだやりたいことはあるという。「年齢的にはサポート側だけど、自分でもやりたいことはある。それもちゃんとやりたいなって」。

そんな亜紀さんが、「ここに行けばいつも誰かに会える」とうれしそうに話すのが、大熊町に新しくできた商業施設「おおくまーと」内の「喫茶レインボー」だ。

震災前から約40年喫茶店を続けてきたマスターは、町の賑わいづくりにも一役買っている。オープンしたばかりの商業施設内でクリスマスコンサートを企画し、音楽大好きな亜紀さんもそこに加わった。店内には「音楽サークル 連絡帳」が置かれ、当日のフォーメーションや練習の予定が書きこまれていた。

 

 

亜紀さんのフェイスブックより

クリスマスコンサート当日、気持ちよさそうに歌う亜紀さんがいた。商業施設のスタッフや参加者が次々とSNSにコンサートの様子を投稿し、盛り上がっている様子は町外にも届いた。「大熊町で歌えたこと、本当にうれしくて楽しかったです…!」と亜紀さんもSNSにつづった。亜紀さんの「やりたいこと」がひとつかなった瞬間だった。

 

亜紀さんは、今と未来しか見ていない。取材を終えた感想である。

夢見ていた大熊町に住むことができた喜びに浸ることなく、そこで見えてきた課題をどうすれば越えていけるか。「町のためだけでなく、ちゃんと自分のためにも生きていきたい。その思いをかなえるために、一緒に今を変えていこう」。そんな亜紀さんのメッセージを受け取った人たちが、今日も亜紀さんの周りに集まる。

 

 

文、写真 山根麻衣子(双葉郡在住ローカルライター)

 

 

佐藤亜紀さんツイッター

佐藤亜紀(大熊町)

https://twitter.com/310akiokuma

 

一般社団法人HAMADOORI13

https://hamadoori13.or.jp/

フェイスブックページ
https://www.facebook.com/Hamadoori13-103271385191679/

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