蕎麦を召しませランララン

生まれ育った広島では、 蕎麦はまるで縁のない食べ物でした。
うどんが主流で汁は透明です。

上京して初めて月見そばなるものを注文し、 出て来た物を見て、これはお汁粉かと見まがう程でした。

川内村 へ移住して二年目の一九九七年の春、 親しくなったSさん夫婦がお出でになり、 今回そばを生産する会を立ち上げるので、 参加して欲しいとのお願いです。

かって村ではそばを生産し、 蕎麦がきにして食べていたが、米作が奨励され、 さらに耕地の集団化も行はれた為、そばの生産が一九六二年頃一旦途絶える。

これお再開しようと言う計画です。

部落の有志十六名が集まり初会合が開かれ「夢工房」 と命名し発足する事となる。調理師免許を持つKさんが会長、 私が会計を担当する事となる。

何をするにしても資金が必要。 五月の連休に村の 「いわなの郷」 と言う岩魚の養魚場、 釣り堀、 レストランのある施設の野外で、焼きそば、 磯辺焼き、 物産等々を販売し、 六月には  「高塚山」山開きでも販売し、 幾らかの資金を得る。

村の外れの丘陵地帯に鍋倉と言う地区があり、盛んな頃の桑畑の跡地の草原です。かって養蚕がそこを村の農業公社から借り受けることになる。

三ヘクター  ルの広さは東京ドー  ムに少々足りない位の広さです。
ここを耕すのかと思うと腰を抜かさんばかりの草原です。
夏の暑い盛りに、 トラクター 四台で掘り起こし、草や木をかたずけ燃やす作業がつずき、 毎日汗まみれで、都会の人間には酷と言う他は無い。

某女に「毎日やっていれば平気になるよ」 と、じつに適切な助言を頂いたけどそれは無いです。

その頃東京のTBSラジオに  「土曜ワイドラジオ東京」 と言う番組があり、 永六輔さんが司会、 リスナー  の投稿 ハガキ読むコーナーがあり、 「この夏一番辛かった事」 と言うテーマの日にこの開拓の模様を投稿すると、 何と見事採用されて、全国のリスナー に、福島県に川内村ありとしたのです。

そして苦労の甲斐ありで、 立派な畑となり、 種を播き、 やがて見事に花が咲き九月には 「そば花祭り」 を現地にて開催。 大勢のギャラリーに参加して頂く。

十月には村最大のイベント 「きのこ祭り」、「産業文化祭」と出店し、 打ち立ての蕎麦を販売し着々と実積を上げ「夢工房」 の名を高める。

九八年には中古の大型トラクター を購入し農作業の効率を高める。

九九年には、役場の向かいの高台に、 八九年に村が迎賓館として建設した「高山クラブ」 を借り受け、 スピンオフとして 「そば店」 を開業する。

村ばかりでなく、 相双地区のイベントに出店する他、 郡山の大型ショッピングセンター にも出張販売、 さらに東京電力の発電所見学ツアー  の中に川内村での 「そば打ち体験」 を組み入れて頂き、 川内村に蕎麦ありと、 その名を轟かすにいたる。

これも会員の皆さんの努力の賜物であり、 ほとんどボランティアなので大いに誇れる活動です。

そして2011年、 東日本大震災です。
全てが中断となりますが、 2016年、 全域の避難指示解除後、何とか力を結集し 「夢工房」 は再び立ち上がり、 むらのイベントに出店出来る体制となる。

村も蕎麦の生産に力をいれ、 20年度には作付面積四五、 四ヘクタ—ル、 収穫高、 七トンに達する。

村内では、 「いわなの郷」 に 「そば打ち体験」施設があり、商店には、 一味違う乾そばも販売、 そば関連の食品、 そばビール等も有り、 来村の折は是非お試しください。

思えば九七年の汗の結晶が実を結び、 現在も継続している事に、胸がいっぱいとなるこの頃です。

k-labo

投稿者プロフィール

川内村の資源を活かし、交流を促進する事により、川内村の新たな魅力を創出し、新たな村づくりを進めていくための支援や仕組みづくりを行っていきます。

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