ここに住む事にしましたので

新宿から小田急線で十分あまりの駅前商店街の真ん中。窓を開けると隣のベランダの鉢植えに手が届くような、過密な所に住んで居ました。

1994年。
世田谷区で流通の会社を経営していた私は、58歳。

1963年、オリンピックの前年を思わせる、背伸びして自己否定に走る東京の改革と変貌に、嫌気がさして会社を息子に任せ、妻とダラダラ暮らしていました。

■ 出逢いは銀行。見知らぬ土地への興味

或る日、銀行で目にした田舎の土地を紹介する小冊子を見ると、見知らぬ福島県川内村があり、敷地内の両側に沢がある。

妻に見せると、面白そうだとかなりの乗り気です。早速連絡してみると、Mホームが土地を仲介し、家を建てるプランです。

時は3月。
Mリゾートと云う子会社の人と、下見に行く事となる。いわき市を経て、富岡からくねくねした山道を川内村へ向かう。
道が工事中で狭くぬかるんでいる。しかし、1年以内に奇麗な舗装道路が完成するそうで一安心です。

やっと着いた現地。幅2メートル位の砂利の坂道がかなり奥迄出来上がっている。県道から100メートル位入った右手にやや平坦な土地があり、既に売約済みと言われる。 物好きは居るものだと思う。

さらに上ると雑木の小山があり斜面が上に通じている。ここが現場だとのことで、楢の林を伐採、整地して家を建てるのだと説明される。 約千坪の土地と言われるがまるでイメージ出来ない。

5月。
友達を誘って再び川内村へ。
今回はじっくり見て廻るが、やはりよく分からない。それなのに、一山買えば良いのだと、契約する事にする。

妻も私もデラシネ(根無し草)なので、地縁も知人も無くても余り気にしない質で、故郷にこだわりは持たない。

■ 移住に向けての準備。心得。

原子力発電所の建設に賑わう富岡町に、大型スーパーがオープンするとか、磐越道が開通し小野町にインターができる。気候は軽井沢程度とか、好いニュースのみ頭に入れる。

さて、
移住すると決めたが、二人とも車の免許証を所持していない。 川内村で車の無い生活はまず無理と、慌てて自動車教習所に通い、車も購入する

秋にはなんとか落ち着き、現場をみる。
基礎が仕上がり、道が斜面を横切って、北側に上がりパーキングとなっている。平地は100坪もあろうか。

吉日を選び、村の神主さんを招き、形を整え地鎮祭を行う。以降、度々訪れ、工事の進捗を見学する。

いわき市のMホーム事務所で、設計の変更、内装工事の打ち合わせ。翌95年3月、平屋建て、3LDK、白い壁、ブルーの屋根、広いスペースデッキに30坪の芝生の庭。

妻の理想通りの家が完成し、私は素寒貧となった。

■ 混沌とする都会を離れて、川内村へ

95年1月17日。
阪神淡路大震災。
続いて、3月20日。
東京地下鉄サリン事件が起こり、最早東京よさらばとばかり、5月半ば、友人、仲間の賛否両論を背に出発する。

いよいよ村での生活が始まる。地主のKさんの案内で近くの主だった家々を十数軒、タオルを持参して挨拶回りをする。

皆さんの驚きと歓迎の入り混じった表情。見知らぬ東京の人が突然現れて、ここに住みますと云うのですから、当然のことでしょう。

集落は同じ苗字の家が多い。
かつての分家制度の名残ですが。

我が家の隣はSさん。
その隣もその向かいもSさん。

だから苗字では呼ばず名前で呼ぶのです。

朝の目覚めの爽やかさ。静かで風のざわめきに小鳥の囀り。井戸水の円やかさ。とろりとした風呂の湯、と云っても浸って居られない。

やることは山ほどある。
家のまわりは全て自然。
必要品はちょっとした大工道具に農作業用の器具。

村には、名も知らないコンビニと、食料品店が数件ある。道具類は、離れた町まで買いにいかねばならない。そうこうするうち、かなり離れたところのM子さんが、初の訪問者としてドラム缶を持ってくる。これでゴミを燃やせとのことです。

これが、結構長居され、ほとんど一方的なお話の聞き役です。 皆さん楽しい人で、方言も余り気にならない程度です。

■ 川内村での交流。近所付き合い。

やがて、初夏。
朝の芝生は魚の鱗を撒いたようにキラキラ光り、新緑の香りが満ち、これぞ人の住む場所と感じ入る。

そして驚くのは、朝玄関に採りたての野菜が山と置いてあるのです。村の人は朝が早い。うちが寝ている間に持ってきてくださるのです。

小学生の子供たちも遊びに来て、ファミコンでドンキーコング大会です。

この頃になると地主のKさんが毎晩食事に現れ、一緒にお酒を飲むようになる。手ぶらで来るのは照れるのか、釣りたての岩魚、野菜、山菜が手土産。
学校の送迎バスの運転手なので、朝が早く、お帰りも早いので助かる。

お陰で村の事を知ることができました。

■ 野良仕事に、ゴルフに、忙しい村での生活

近くのM子さんが畑をやりなさいと、空いている土地300坪を貸してくれる。見よう見まねで作り、たくさんの野菜が採れ、東京の家族、友人に送り、大いに喜ばれる。

村での生活は忙しい。
晴耕雨読なんて格好良いものではない。畑の世話は勿論、草刈り、月3回の芝刈りと全て肉体労働で、ゴルフに行く時間と体力が無い。

あっという間に2年が過ぎると、ゴルフ愛好会が誕生する。早速入会。

9月に富岡町でコンペが行われる。続いて第1回村民ゴルフ大会が楢葉町で開催され、100名もの参加者に驚く。女性のプレイヤーは妻一人だけ。その上、各大会で、ドラコン賞、ニアピン賞、更には優勝まで果たすのです。

この快挙、私たち夫婦は、多くの人々に認知されて暮らし易くなる。

■ 「郷に入っては郷に従え」。愛と勇気とサムマネーを持って川内村へ

集落ではイッキに入会してくれと言われる。

今時、一揆でもあるまいとよく聞けば、お葬式の互助会で、お通夜から納骨までのお手伝いです。

現在のように葬儀社で行うのではなく、自宅で全て賄うので3日間のお勤めで、初めての参加では貴重な土葬を体験しました。

次に来たのは村興しに特産品として蕎麦を生産する会に参加せよです。いきなり会計係に任命されたる。まあ、現金を任されるくらい信用されたのだと思うことにする。

色々な経験をし、「郷に入っては郷に従え」で相手中心に考える様にしてきました。以降、四季折々に接しながら暮らし、楽しい思い出ばかりの25年が過ぎ、後幾年かでここを旅立つことになるでしょう。

私たちの時代と違い、今は村も移住者を優遇する措置を行なっています。村人の意識も変わっています。

田舎暮らしを考えている方々、

愛と勇気とサムマネーを持って川内村へ

是非是非、どうぞ。

川内村の移住・定住をサポートするWEBサイトがございます。
ご興味のある方は、下記URLよりご覧ください。
移住・定住 | 川内村公式ホームページ

竹本 厚徳川内村 村民・移住者

投稿者プロフィール

広島県出身、8歳の時爆心地から3.5Kmで被爆、子供ながら死生を知る。
23歳で上京、商事会社勤務後28歳で起業。
1995年に川内村へ移住、多趣味なれど浅し。
妻と二人暮らし、自然に囲まれ目下幸せ。

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