双葉郡のいまを学びに「ふたばいんふぉ」へ

福島第一原子力発電所と福島第二原子力発電所を有する双葉郡は、東日本大震災・原子力災害で原子力緊急事態宣言が発令されたとき、郡内の多くの地域で避難指示が出されました。各自治体で避難場所が違い、また一つの自治体でもエリアによって避難指示が解除された場所とされていない場所があり、郡内で復興の足並みが揃わないなか、「双葉郡の住民同士の情報・意見交換やつながりが必要」と生まれたのが、民間団体の「双葉郡未来会議」です。

「ふたばいんふぉ」「Cafe135(カフェひさご)」の外観。富岡駅から徒歩10分かからないくらいのこの場所まで津波は来ませんでした、沿岸部やJR富岡駅のあたりは津波被害が大きく、小学校の体育館あたりまでは浸水被害がありました。

同団体が運営する「ふたばいんふぉ」(富岡町)は、双葉郡8町村の震災時や避難の様子、復興に向けての取り組みなどが展示されたインフォメーションセンターです。町の駅として誰でも気軽に集まれる場所であり、資料を読んだり情報交換に使えるテーブル席があったり、双葉郡の特産品が購入できるコーナーもあったりするので、被災地域の情報を知りたい方にとっても有効な情報を得られる場所です。ボリュームたっぷりのランチや、ディナータイムにはアラカルトメニューやアルコールを提供するカフェ「Cafe135(カフェひさご)」も隣接。浜通りに行くなら最初に訪れることをお勧めします。

今回はこの双葉郡未来会議の運営者であり、震災以降、地元である富岡町だけでなく、双葉郡のさまざまな復興活動に従事し続けている平山勉さん(トップページ写真)にお話を伺いました。

双葉郡8町村の情報を発信する展示がある「ふたばいんふぉ」。

東日本大震災から10年目を迎えます。被災地のことを知らない人たちに、現状をお伝えいただけますか。

双葉郡には浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町、葛尾(かつらお)村、川内村の8町村があり、そのうち双葉町と大熊町にイチエフ(福島第一原子力発電所)、富岡町と楢葉町にニエフ(福島第二原子力発電所)があります。

東日本大震災後に発令された原子力緊急事態宣言で避難指示が出たイチエフから半径20キロ圏内にあたるのが、双葉郡では双葉町、大熊町、富岡町が全町、浪江町、川内村、葛尾村、楢葉町の一部地域で、このほかに南相馬市と田村市の一部も圏内です。ニエフではメルトダウンは起きませんでしたが、半径10キロ圏内のエリアに避難指示がでました(ニエフは2011年12月に原子力緊急事態解除。現在は停止していて廃炉が決定しています)。

2011年4月にイチエフから20キロ圏内が警戒区域に設定され、2012年以降「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除区域」に再編されていきました。同じ自治体でも場所によってその3区域に分かれているので、段階的に避難指示が解除されていますが、震災から10年を迎えようとしている2021年1月現在でも、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、南相馬市、飯館村には帰還困難区域が残っています。

ここ富岡町の場合は、2017年4月に帰還困難区域を除くエリアの避難指示が解除されてまもなく4年が経ちます。夜ノ森地区や小良ヶ浜地区の一部など、まだ帰還困難地域も残っていますが、地震だけでなく津波の被害も大きかった沿岸部も含めてインフラなどの復旧工事も佳境に入り、人が普通に暮らせる町に戻ってきています。最も、それは元の町に戻すという意味ではなくて、一旦ゼロになったところからの町づくり。それが始まったばかりといった意識でいます。

堤防が作られている富岡町の海岸沿い。写真奥に見えるのが福島第二原子力発電所(撮影は2020年11月)。

隣接している自治体でも、それぞれ状況が全く違うのですね。現在、富岡町にはどのくらいの方が戻ってこられているんでしょうか。

震災前の富岡町の人口は約1万6000人でした。避難先としてはいわき市と郡山市が多く、今でもいわき市に5000人以上、郡山市に2000人以上など、避難先で暮らしている方が9割くらいです。

現在の富岡町の町内居住者約1500人のうち、避難先から帰還した町民は約半数で、そのほとんどが60代以上。残りの半数は仕事の関係で新しく移住されてきた方です。富岡町は双葉郡の中心にあって、廃炉、中間貯蔵、除染、解体等の拠点になっていますし、そこに従事する方たちの居住地として新築アパートがこの2~3年で130軒以上建ったりしています。こんなに新しい物件が建つエリアは全国的にも珍しいと思います。

2018年4月に町内に戻ってきた小中学校でも、約半数は移住してきた子どもです。震災前に比べるとまだまだ人数は少ないですが。

新しく家やアパートが建つ、富岡駅周辺の町並み。

2011年8月に平山さんが避難した人や全国の人に向けて書いたメッセージ「富岡は負けん!」の横断幕を掲げた歩道橋が話題になりました。その後すぐに立ち上げられた富岡の復興情報を発信する「富岡インサイド」を、2013年にはボランティア団体も立ち上げられましたね。

震災後に全国各地に避難した富岡町の人たちに、町の状況や支援情報、メディア情報等を1つのサイトに分かりやすくまとめたのが「富岡インサイド」です。

ボランティアはもともと個人で助け合っていたのですが、人手を補い合ったり、助けが必要な人や行政に情報を届けるには団体にしたほうがいいということになって、「相双ボランティア」を立ち上げました。

今でも土日はほぼボランティアに行っています。ボランティアをする側は30代~50代くらいが多く、登録制にしてその都度募集、実施をしています。手弁当の完全ボランティアで、現地集合・解散が多いですが、それでもいいという方たちが気持ちで集まって来てくれています。

ボランティアを依頼する方の多くは高齢者です。震災後の数年間は「持ち出せなかった荷物を搬出して欲しい」とか「地震で家の中がめちゃくちゃになってしまっているので片付けて欲しい」といった依頼が多かったですが、ニーズはだんだん変わってきて、近年は庭の草刈りとか、解体した後の敷地の手入れとか、家の外の依頼に変わってきています。

家の解体が進む富岡町と浪江町ではそれぞれ解体件数が3000軒を超えているので、解体した後の土地を誰が管理するかが問題になっていて、放置された土地を荒れたままにしておくと、周辺住民にも迷惑がかかります。こういう居住放棄地の問題は、大熊町と双葉町でも出てきています。

土地勘のない人は、ふたばいんふぉの地図で位置関係のおさらいをすると、より理解が深まります。「住民同士が集ったり、外から来られた方が学んだり、地元の人とネットワークを作ったりするのにも使っていただいています。プラットフォームのような場所ですね。資料を持って行ったり、Wi-Fiもつながるので、ちょっと仕事して帰る人もいますね」(平山さん)。

平山さんは、もともとは東京でお仕事をされていて、家業の旅館業を継ぐために震災の数年前に富岡町に戻ってきていて震災に見舞われたのですよね。お仕事と平行して個人で復興のために富岡インサイドや相双ボランティアを立ち上げ。2015年に双葉郡の人たちでつながりを作ろうと「双葉郡未来会議」を作ったのも、必然性があったからですか。

大震災前、青年会議所やスポーツイベントなど、双葉郡内の8町村で集まる機会はありました。それにうちのホテルもそうですが、職場が町村をまたくのは普通だったので、横のつながりはそこそこあったんです。

ところが避難先は自治体ごとで、富岡町だったら郡山やいわき、大熊町は会津若松、浪江町は二本松が多く、役場機能もそちらに移ったりしました。親戚筋や友人を頼ったりして個人で避難する人もいますから、日本全国に避難先が散らばったうえ、復興のスピードも自治体によって違います。

そこで、散り散りになってしまった双葉郡の人たちで民間レベルのゆるいつながりを作り、情報を交換・発信したり、なにか協力し合えることがあれば動ける人が動こうという想いで「双葉郡未来会議」を作りました。フェイスブック上に事務局を置いたところ、今では300人以上が登録してくれています。町村の枠を超えた繋がりは、生まれ変わる地域コミュニティとして必然の動きだと思っています。

これからの復興に向けた意見交換をするシンポジウムや会議もやってきましたが、もっとざっくばらんに会話ができるような場所や、外から来た人たちも情報を仕入れられる場所があるとよりいいだろうと、2018年11月には「ふたばいんふぉ」を開設しました。情報発信を基本に、様々な人々が集まる学びと繋がりのプラットフォームとしても機能しています。

平山勉さん。

昨年、2020年はコロナウィルスの感染拡大防止のために閉めた時期もありましたが、8月に浪江町に「道の駅なみえ」、9月に双葉町に「東日本大震災・原子力災害 伝承館」ができて、合わせてここ、ふたばいんふぉにも立ち寄る方が増えました。ほかに福島県が力を入れている「ホープツーリズム」等の団体視察でいらっしゃる方も多いです。双葉郡の歩みを住民目線で伝える事を大事にしながら、私も依頼があれば、団体の方向けに双葉郡の現状や自分の経験をお話ししたりしています。

2020年3月14日にJR常磐線が開通した際、ホームで電車を迎えるために作られた横断幕なども展示されていました。
 

先ほど、富岡町には移住の方も多いとのお話がありました。復興に向けての課題と感じられていることはありますか?

震災後の復興予算で、自治体それぞれが似たような箱ものばかり作ってしまっていることは気がかりです。震災前の人口がいるかのような町づくりをしていますが、維持管理を考えたらこの先やっていけるのかと。住民が戻ってこなければ税収は減る一方ですし、復興予算も減っていくわけで。まだ何十年も先の話ですけど、廃炉が完了したら原発の固定資産税も入らなくなりますから。

人口を増やしていくという点では、町づくり会社が上手に機能し始めた楢葉町や、早めに避難指示が解除されてキーマンがいた南相馬の小高エリアは、町の活性化とともに若い移住者が増えました。それによってもともとの若い世代の住民も戻りやすい環境が整ってきているように思います。

私の場合は仕事や活動を通して新しく移住してきた方とのお付き合いもありますが、一般的にはもともといた住民と移住してきた若い世代と接点がないと思うので、これから町を作っていくにあたっては新旧の住民同士の交流は不可欠だと思います。

「ふたばいんふぉ」には双葉郡で作られている物産品の販売コーナーもあり、地元の人も手土産などを買いに訪れていました。「地元のモノづくりを紹介したり、地元企業の応援のつもりで販売しています。ミニ道の駅みたいな感じです」(平山さん)。

いま、「福島イノベーション・コースト構想」が進んでいます。これは地方における企業誘致の一つの形で、福島県の浜通り地区に新たな産業基盤を創出するために企業を誘致するということです。浪江町の水素工場や南相馬市のロボットテストフィールド、双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」もこの一つです。そこで雇用が生まれて外から人が入ってくることによって、将来的に町の人口が増えていくのではないでしょうか。楢葉町が機能しているように、自治体ごとに町づくり会社がありますから、上手に新旧住民がつながれるようになるといいですよね。

新旧問わず住んでいる地域に愛着のある人が増えれば、おのずとネットワークも強くなってくるのではないかと思います。

Cafe135(カフェひさご)では、日中はボリュームたっぷりのランチを。夜はイタリアンをメインに幅広いラインナップが楽しめます。

<他にも行きたい> 福島県浜通り地区の震災関連施設

・福島県双葉郡双葉町「東日本大震災・原子力災害伝承館」…東日本大震災で地震、津波、原子力事故という複合災害の記録と防災の教訓を伝えていく大型施設。語り部講和なども行っている

・福島県相馬市「伝承鎮魂記念館・慰霊碑」…津波により被災した相馬市の尾浜・原釜地区と磯部地区の震災前の姿や震災時の映像記録や新聞などを展示

●訪れた場所

ふたばいんふぉ https://futabainfo.com/
住所 福島県双葉郡富岡町大字小浜字中央295ふたばタイムズ1F
電話 0240-23-6612
開館時間 11:00~18:00
休館日 日祝
入場料 無料

Cafe135(カフェひさご)
住所 福島県双葉郡富岡町大字小浜字中央295ふたばタイムズ1F
電話 0240-23-5204
営業時間 11:00~22:00(LO21:30)
定休日 土日祝(※ドリンクのみゲリラ営業あり)

●平山勉さんが立ち上げられた団体

富岡インサイド  http://www.tomioka.jpn.org/
相双ボランティア http://sosovolunteer.com/
双葉郡未来会議 https://futabafuture.com/

ホシカワミナコフリーランスの編集者・ライター

投稿者プロフィール

干川美奈子/フリーランスの編集者・ライター。長野日報東京支社広告営業、大村書店書店営業を経験後、女性向け情報紙「東京パノラマ」、TVスポーツTV誌「TV sports 12」、育児・教育誌「プレジデントFamily」、ビジネス誌「プレジデント」の編集部に在籍。「こだわって、楽しく」をモットーに、雑誌・書籍・紙媒体・WEBなど、さまざまなメディアで活動中。
この仕事の醍醐味は人との出会い。今回の浜通り取材は、バスや電車を乗り継ぎ、歩き回って浜通りの各自治体を体感してきました。ご協力いただいたみなさま、お力添えくださったみなさまにお礼申し上げます。

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