双葉町に「WOW!」と驚くウォールアートが続々出現中! 今秋に音楽フェスも予定

 

福島県双葉郡の双葉駅前に複数のウォールアート(壁画)が続々と制作され、話題になっているのをご存知だろうか。描いたのは、アートカンパニー「OVER ALLs(オーバーオールズ)」。もともと福島県とは縁もゆかりもない彼らだったが、双葉町出身の髙崎 丈さんとともに、2020年夏から「FUTABA Art District」プロジェクトをスタートさせた。2021年秋には、音楽とアートを融合させたフェスを開催する構想もあるという。そこで東京都内や双葉町でプロジェクトの経緯や想いを聞いた。

 FUTABA Art Districtを立ち上げた、双葉町出身の髙崎 丈さん(左)とOVER ALLsの赤澤岳人社長

JR双葉駅に電車が停車すると、柱の間から駅前の壁に描かれたカラフルな女性の顔が少しだけ見える。駅を出ると見えたのは、正面のコンクリートの壁に、人の指と「HERE WE GO」という文字、その隣に建つ店の壁には、ドーナツの穴から目を出すお母さんの顔、左側奥の二階建てのビルには、絵を描く幼児。1つ1つが、カラフルで強烈なパワーを放つ作品群を前にしたら、なぜここに絵が描かれているかを知らなくても、思わずカメラを取り出してしまうに違いない。
描き手は、今の日本に、企業に、働く人に、アートを通して『WOW』と「楽しむ」気持ちや「情熱」を生み出すことを事業とする「株式会社OVER ALLs(オーバーオールズ)」だ。OVER ALLsは代表取締役社長の赤澤岳人さんがクライアントから相談を受け、取締役副社長で画家の山本勇気さんが中心になって作品を描くといったスタイルで、あるときはコーヒーショップの店内の壁一面に、あるときは企業のエントランスに、あるときは社員食堂に、あるときはビルの外壁に、あるときはホテルの壁面に、あるときは駅に――と、クライアントの「想い」を圧巻のウォールアートに表現している。

アートのセレクトショップ「OVER ALLs STORE」(東京・目黒)

国内外で注目される彼らが「FUTABA Art District」をスタートした双葉町には、福島第一原子力発電所がある。東日本大震災とそれに伴って起きた福島第一原発事故で、10年経つ今も双葉町のほとんどの場所が「帰還困難区域」、つまり住むことが許可されていない地域で、原発付近の町で最も復興が遅れてしまっている町だ。
その双葉町出身の飲食店経営者に、髙崎丈さんがいる。髙崎さんは日本酒好きには名の知れた人で、東京で熱燗のさまざまな飲み方を提案する居酒屋「JOE’S MAN2号(ジョーズマンニゴウ)」を開いていた(現在は新店舗「髙崎のおかん」オープンに向け閉店)。2020年の7月、そこに赤澤社長が知人と飲みに行き、髙崎さんを紹介されたことが、そもそもの始まりだった。
OVER ALLsの作品に、コロナ禍にソーシャルディスタンスする「ロミオとジュリエット」をモチーフにした『Graph Balcony』がある。バルコニー越しに2人が離れていることで、コロナ患者数を示したグラフが下がっていく作品だ。赤澤代表はその作品に原発被災地を重ねていた。「放射線量が減っていくことで町が復興していくという希望のメッセージとして被災地でこれを描いてみたいが、被災地と関係のない我々がそれをやったら失礼だし、アーティストのエゴと受け取られてしまうかな」といった話をしていた。

髙崎さんが三軒茶屋で開いていた「JOE’S MAN2号」。魚と日本酒にこだわった人気店だった(新店舗オープンのため閉店しています)

店のカウンターで仕事をしていた髙崎さんのもとには、時折、赤澤さんの会話の内容が聞こえてきていた。折しも、髙崎さんは知人のオランダ人アーティストから、アムステルダムの旧造船所がアートによって生まれ変わった話を聞いていた。そして双葉町も同じようにアートで生まれ変わらないかと感じていたところだった。赤澤さんももまた、ロス・アンジェルスの荒廃した町がアートによって生まれ変わった現場を見ていたため、2人はすぐに意気投合した。
その後、「お話しされていた、双葉町に絵を描くという話、あれ、やりませんか?」という髙崎さんからの相談を赤澤さんは快諾する。日頃から自社で実践している「『WOW』と言わせるアートの可能性」を試してみたいと考えていた赤澤社長と、「アートによる町の再生の可能性」を考え、実行できる術を模索していた髙崎さん、2人の意見が合致した瞬間だった。
「人が集まるきっかけに、『WOW』と言わせるアートを僕らが描かせてもらう。そして、新たな町づくりや復興は丈さんたち双葉町の人がやる、それで行こう」(赤澤社長)。
こうして2020年夏、OVER ALLsと髙崎さんは、双葉町で「FUTABA Art  District」をスタートさせることになったのだ。

『Graph Balcony』は、東京の「OVER ALLs STORE」外壁にも描かれている

8月6日、福島版の『Graph Balcony~FUKUSHIMA~』を描くため、髙崎さんの案内のもと、OVER ALLsのメンバーは初めて双葉町に向かった。
「まだ駅前は除染解体作業が行われていました。そこで丈さんに町を案内してもらいました。大震災当時のまま、崩壊したままの建物が並んでいて。特に衝撃的だったのは、墓石が倒れたままになっている墓地を見たときです。9年ぶりに双葉町に来た丈さんがお参りをしている姿も、御先祖様に『実家もお墓も町もほったらかしにしてごめんなさい』と謝っているように感じました」(赤澤社長)。
この日のキャンバスは、駅前にあった髙崎さんの店「JOE’S MAN」と、お父様が経営されていた「キッチンたかさき」のコンクリートの壁だった。
「当初、壁の駅側に描くつもりだったんですが、現場を見て歩いた山本が『描けない、ここは好きな絵を描きに来るような場所じゃない』と言い出しました。もちろん僕も同じ意見だった。だから初日は裏側の壁に爪痕だけ残すつもりで『Graph Balcony~FUKUSHIMA~』を描いたんです」(赤澤社長)。 

昨年(2020年)12月に撮影した双葉町の駅周辺の様子。消防署の時計は2011年の震災時に止まったままだった

OVER ALLsは普段の仕事ではクライアントから依頼され、その想いをアートに落とし込んでいくが、髙崎さん以外の双葉町の人とは会っていなかった。だからこそ、2回目に訪れた時、赤澤社長は駅の階段を何度も上り下りして、モチーフを考え続けた。9年ぶりに双葉町を訪れたとき、町の人たちはどんな気持ちになるのか、迎える作品がどんなものならいいのか―。
そして駅正面の壁に描くことに決めたのが、高崎さんの指の絵と「HERE WE GO」という言葉だった。
「駅に降り立った双葉町の人に向けて最初に目に留まる作品です。打ち出すメッセージは、『お帰りなさい』とか『久しぶり』じゃない、それは違うと思いました。避難してから初めて双葉町に帰る人たちは、昨日の丈さんのように「町や御先祖様に申し訳ない」といった気持ちを抱く。でも双葉町の人はなにも悪くないわけですから、『ここが自分たちの場所、ここから皆で狼煙を上げる』と宣言する作品にしようと。だから『HERE』の後に『WE GO』という言葉をつけました」(赤澤社長)。

赤澤さんたちの様子を見ていた髙崎さんにも、ある感情が芽生えていた。
「1日目に壁の前に立った山本さんが『今日描いちゃいけない気がする』とおっしゃって、赤澤さんも『今日(1日目)俺たちは、ここに負けに来たんだ』って話されて。2日目に、何度も階段を上り下りして、ここに描くべきものを考えてくれました。僕は赤澤さんと出会ったときに、『こんなにアートに熱い人を僕は知らない。今お願いしなかったら絶対に後悔する』と思ってダメ元でお願いしたわけですけど、赤澤さんたちは描くことでいろんな批判を受けたり、批評されたりすることも含めて、全てを背負って描いてくれていることを痛感しました。そして、僕自身も『赤澤さんたちはいろんな覚悟を持ってここに人が集まるきっかけを作ってくれている。この先の復興は、自分たち双葉の人間がやらなければいけない』と、あらためて覚悟を決めました」(髙崎さん)。

駅の裏側の壁にあるVol.00『Graph Balcony~FUKUSHIMA~』(上)と、表側の壁にあるVol.01『HERE WE GO』(下)。ともに双葉駅前で営業していた「JOE’S MAN」と「キッチンたかさき」のコンクリートの壁に描かれた

8月に制作された「FUTABA Art  District」のVol.00は『狼煙・Graph Balcony』、Vol.01は『HERE WE GO』と名付けられた。
その2ヵ月後の10月に『HERE WE GO』の隣に描かれたのが、Vol.02『ファースト・ペンギン』だ。双葉町の子どもたちの溜まり場だった駅前のお菓子屋「ペンギン」の名物お母さんが、自慢の自家製ドーナツの穴から顔を覗かせている作品だ。モチーフは、髙崎さんや双葉町の髙崎さんの友人にあらかじめ話を聞いて決まった。
「ペンギンは、双葉の子どもたちが最初に出会う地元のファーストフード店です。やさしいお母さんっていうよりは、一見素っ気なくて『食べたらさっさと帰んな』なんて言うんですけど、温かい人。ペンギンは放課後みんなで集まったり、話を聞いてもらったりするような場所でした」(髙崎さん)。
「丈さんたちから、双葉の子どもたちが誰もが知っている店としてペンギンの名前が上がって。『駅を降りて、ペンギンのお母さんの顔が描かれていたら?』と聞いたら、一緒にいた丈さんの友人が『フッと吹き出してしまうかも!』って。それでモチーフが決まりました」(赤澤社長)。

Vol.02の『ファースト・ペンギン』と、子どもの頃ペンギンを利用していたという双葉町出身の男性(昨年12月のイベント時に撮影)

双葉町で先行して避難指示を解除した区域(町の約4%の面積であり、居住はできていない)にある「双葉町産業交流センター」の1階には、昨秋「ペンギン」がオープンした。モチーフとして描かれたお母さんの娘さんにあたる山本敦子さんが切り盛りし、自家製ハンバーガーやサンドイッチ類を販売している。「山本さんの家は双葉町でガソリンスタンドも経営されていて、原発事故で避難指示が出た日も最後まで営業して、町の人のためにガソリンを入れ続けてくれていたんです」(髙崎さん)。
現在は、いわき市に避難した息子さん(敦子さんの弟さん)がガソリンスタンドを引き継ぎ、敦子さんの夫と営業を再開しているそうだ。「弟も夫もいわき市から双葉まで通ってガソリンスタンドの営業を再開しています。母は避難先の埼玉県にいますけど、私も震災前は実家で音楽教室の先生をしながらペンギンを手伝っていたので、産業交流センターができたとき、『私がこの店をやらなかったら誰がやるの』って思いました」(敦子さん)。ドーナツは敦子さんのおばあさまが作っていてレシピがまだ再現できていないそうだが、人気メニューのハンバーガーは、ビーフパテがボリュームたっぷりで絶品だった。テイクアウトもできるので、ぜひ試して欲しい。

双葉町産業交流センター内にオープンした「ペンギン」。店主の山本敦子さんとスタッフの舛倉 渚さん

2020年12月12日、13日には、避難先のいわき市で塗装屋を営む髙崎さんの友人・松永直人さんが高所作業車なども手配し、二階建てのビルにVol.03「FUTABA(フタバ)」が描かれた。今回のモチーフは、ビルのオーナーの息子さん。震災時に2歳だった男の子が、花の絵を描いているところをビルの横面に、現在12歳になった少年が植物(二葉)の絵を描いているところを正面入り口に描くことで、「震災で町の時は止まってしまってますけど、子どもは成長する。その姿を描きたかったんです」(山本さん)。
13日午後からは髙崎さんがキッチンカーを出して双葉町の人たちに集まってもらってプチ同窓会を開いたり、OVER ALLsのメンバーであるプロミュージシャン、サーカス田中さんと、葛西孝道さん(雨ふらしカルテット。2021年1月現在「雨晴らしカルテット」に改名)を招いて音楽のライブを行う試みもあった。「2021年には僕らが関わるプロジェクトの最後の試みとして、有料の音楽フェスを開きたいと思っているので、その予行練習も兼ねました」(赤澤社長)
町のコミュニティセンターから9年ぶりに出したピアノを調律し、ポップな歌やピアノが流れるなか、山本さんを始めとするアーティストたちは午前中の雨による中断を取り戻そうと、一心不乱に描いていく。音楽を楽しみながら壁の絵を眺める人、食事をしながら久しぶりの再開を喜ぶ人と、そこには思い思いの時間が流れていた。

双葉町に残されていたピアノを調律し、ウォールアートの前で行われた雨ふらしカルテットのミニライブ

現場は多くの取材陣が来ていて双葉町出身の人たちを取り囲む形になってしまったが、数人からコメントをいただいた。
「東京に住んでいるんですが、イベントのことを聞いて彼女と一緒に来ました。これから協力できることがあれば、手伝いたいです」という髙崎さんの後輩の男性。
「震災前も今も、福島第一原子力発電所で働いています」という男性は、現在は避難先の南相馬市から、このイベントのために集まった。「事故が起きた日は避難しましたが、翌日呼び出されて、元請け会社の社長にもすごく世話になっていたし、町をなんとかしたいという気持ちもあって現場に戻りました。復興の手伝いができるようなら協力したいと思っています」と話してくれた。
近隣自治体からイベントを見に来ていた人たちもいた。
大熊町から友人と来ていた女性2人は、「今日のイベントのことは知人から聞いて来ました。駅前におしゃれな絵があったら、町が明るくなる感じでいいですよね。写真を撮りにくる若い人も多いだろうし。うちの町にもこういう絵があったらと羨ましいです」と話しながら、壁画の前で写真を撮影し合っていた。
偶然通りかかったら人だかりができていたので立ち寄ったという浪江町在住の母娘は「こういう絵だと、私たち年配者にも分かりやすくていいわね。上手だと思ったらプロが描いているのね。すごく迫力がある」と感心した様子。
イベントがあることを報道で知り、南相馬から来たという70代くらいの男性は、「双葉町は平屋の駅だったのに、こんなに立派なのが立って。駅前も更地になったりしているから、ずいぶん印象が変わったね」と言いながら、熱心に撮影していた。

ビルのオーナーの横山敦さんは双葉町では髙崎さんとはご近所で、現在はいわき市で単身赴任をしている。家族は避難先の埼玉県にいるが、息子さんが春になったら作品を見に双葉町に来たいと話しているそうだ。「いま、双葉町は駅西口に住宅整備を進めていて、住民の居住再開は2022年春を目指しています。今の子育て世代がすぐに帰ってくるのは難しくても、子ども世代が戻って来て住んでくれるような魅力のある街になれば嬉しいです」(横山さん)。

12月のイベントに来ていた人たち。左下がビルのオーナーの横山敦さん

そして、2021年。東日本大震災と原発事故から10年目を迎える今年、高崎さんは株式会社タカサキ喜画(きかく)を立ち上げ、双葉町の仲間たちと本格的に町づくりをしていくという。
2月26日と27日には、Vol.04となる「バック・トゥ・ザ・フタバ」の制作も行われた。驚くべきは、Vol.03で描いた少年の絵に上描きされた作品だったことだ。
「当時2歳だった息子さんは、双葉町の記憶がありません。でも前回壁画を描かせていただいたことで、双葉町に行ってみたいと言ってくれたそうです。双葉町で育ったお父さんにとって嬉しい言葉です。それなら、息子さんが記憶にない双葉町に初めて来る時を表現しようということになったんです」(赤澤社長)
車のフロントガラスを通して現在の双葉町が描かれ、運転席に父親が座り、後部座席から身を乗り出して双葉町を見る息子さん。バックミラーに、息子さんの顔と10年前の双葉町が描かれる。
「バックミラーにかつての双葉町を描いたのは、『10年間、時は止まっていない。双葉町の人たちは前に進もうと走ってきた』そういった意味も込めました」(赤澤社長)
息子さんの目は、前回の絵では手元の絵を描くために目線が下だったが、今回は目の前の景色を見るために正面を見ている。
描いた山本さんは、「今回、一番難しかったのは、息子さんの目の描き方です。親御さんから双葉町のことはいろいろ聞いているでしょうけど、彼が初めて双葉町を見るとき、どんな感情を持ってどんな表情をするのかわかりません。笑顔ではない気もするし、後からいろいろな感情が湧き出てくるかもしれない。だからあえて、笑ってもいない、驚いてもいない、ただ前を向いている目を描きました」。

2021年2月に制作されたVol.04「バック・トゥ・ザ・フタバ」

その後、2021年3月26日の聖火リレー前に、2月に制作途中だったVol.04「バック・トゥ・ザ・フタバ」が完成。助手席にお母さんも加わり、家族3人で双葉町に戻ってきた様子を表した。隣には『ON YOUR MARK!!!(位置について!!!)』(2020年10月に行われた展示会rooms41でライブペイントした作品)も設置された。(画像提供:OVER ALLs)

 浜通りの各町ごとに進む「ゼロからの街づくり」は、特に、その町を愛する人と人が出会ったとき、歯車がうまく動き出すように感じる。いまだ多くの場所が帰還困難区域になっている双葉町でも、ゆっくりとその歯車が動き出したのは、Vol.00-01とVol.02、Vol.03の活動を行なったことで、メディアに取り上げられる機会が増え、「双葉町でなにか始めるなら、自分も手伝ってもいい」と考える地元の人たちが増えてきたからだ。赤澤社長は、もともと「復興自体は僕らはできない。丈さんたちがやるものだから。僕らはあくまできっかけを作って、復興するときには、今までの作品は全部壊してもらったっていいと思っているんです」と話していた。
「スピリチュアルに聞こえてしまうかもしれないんですが、商売人が新店舗を開いたりするときって、最初にレセプションパーティなんかを開いて、験担ぎするんです。箱(新店舗)に人をパンパンに入れることによって、建物を目覚めさせて強くする。そうすると、いい気が入ってきてその店は繁盛するんですよ。双葉町も、帰還困難区域になって土地自体が怠けてしまってるんです。だから音楽フェスで人を集めて、悪い『気』を出して、怠けていた土地に目覚めてもらおうと思っています」(赤澤社長)。
そして髙崎さんも、「アートがあって、お茶したり食事したり、洋服を買ったりできる店があって、町にお金が入ってくるようにしないと、復興はできません。毎回、プロジェクトが大きくなるごとに、協力してくれる人が増えているのが嬉しいです。役場の人も協力を得られるようになった。これから皆で考えていこうと思います」と話し、仲間と街づくりのための会社を立ち上げた。 

2021年3月10日~12日に描かれたVol.5『HERE WE ARE~ヨイショ!~』。双葉町の企業、双葉中央アスコンの40mに渡る巨大な壁に、伝統行事「ダルマ市」で行われる「巨大ダルマ引き」のイベントをモチーフに、復興を手繰り寄せる老若男女の手を描いた。双葉町の方々に手のモデルになってもらったという。産業交流センター内のペンギンや、産業交流センターに隣接する「東日本大震災・原子力災害伝承館」に行きがてら見学すると、今の双葉町の様子も感じられる。(画像提供:OVER ALLs)

動き出した双葉町の歯車。これからも「FUTABA Art District実行委員会」としてOVERALLsは、1~2ヶ月ごとに制作を行う予定だ。既に、ウォールアートを見る目的のためだけに双葉町を訪れる旅行客も出てきているという。秋の音楽フェスでは、双葉町のもともとの住人も、近隣の町に住む人たちも、福島には縁もゆかりもない人も、多くの人が集まるはずだ。そこで一気に、町に活気が出て、土地も元気になる。
もし浜通りを訪れるなら、まずは作品郡を見に、双葉町の駅前を目指してみてはいかがだろう。作品から、「WOW!」と、ワクワクするようなパワーをもらえるはずだ。

制作は毎回早朝から日が暮れるぎりぎりまで行われ、雨天の場合は中止。取材するメディアだけでなく一般の方の見学も増えている

訪れた場所
・ウォールアート(FUTABA Art District) JR常磐線双葉駅前(東口 特定復興再生拠点区域)
・ペンギン 福島県双葉郡双葉町中野高田1-1 双葉町産業交流センター1Fフードコート(営業10:00-16:00 土日祝休み)
・アートショップ「OVER ALLs STORE」東京都目黒区下目黒5-2-17(営業 平日13:00-20:00  土日祝11:00-20:00 不定休)http://www.overalls.jp/
・タカサキ喜画 ※今後の髙崎 丈さんの活動や新店舗「髙崎のおかん」の情報はJOE’SMAN2号のHPで確認してください https://www.joesman2go.com/

ホシカワミナコフリーランスの編集者・ライター

投稿者プロフィール

干川美奈子/フリーランスの編集者・ライター。長野日報東京支社広告営業、大村書店書店営業を経験後、女性向け情報紙「東京パノラマ」、TVスポーツTV誌「TV sports 12」、育児・教育誌「プレジデントFamily」、ビジネス誌「プレジデント」の編集部に在籍。「こだわって、楽しく」をモットーに、雑誌・書籍・紙媒体・WEBなど、さまざまなメディアで活動中。
この仕事の醍醐味は人との出会い。今回の浜通り取材は、バスや電車を乗り継ぎ、歩き回って浜通りの各自治体を体感してきました。ご協力いただいたみなさま、お力添えくださったみなさまにお礼申し上げます。

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