天山文庫と風夏さん〜川内村の暮らしに惹かれて〜

 

山々に囲まれ、空気と水が澄み、昔ながらの山里の風情と暮らしが残る川内村。川内村は不思議と、独特の感性を持つ人々を魅了し、その感性を育み、豊かな創作を生み出してきた。その1人が、宮沢賢治を紹介した人物としても知られる草野心平さんだ。心平さんはこの川内村と出会い、天山文庫という斬新な場所を村人たちと作り、晩年そこで詩も紡いだ。そして現在、その天山文庫の管理人をしているのは、川内で生まれ育ち、陶芸や絵画などの制作活動をしている志賀風夏さん。彼女もまた独自の感性を持つ1人である。

天山文庫を訪れ、風夏さんの案内で歩いてゆく。木立の向こうに筒に屋根のついたキノコのような可愛らしい建物群が現れる。酒蔵の樽を使った文庫なのだそうだ。心平さんが考案したというそれらに近づき小さな扉をパカっと開けると、丸い壁に沿って本がぎっしりと並んでいた。小人たちでも出てきそうな絵本の中に迷い込んだような気もしながらさらに歩くと、藁葺き屋根の真ん中を切り取るように窓が顔を出している、特徴ある建物が見えてきた。美しい庭園の向こうに佇む、天山文庫だ。

 

心平さんは元々いわきの小川で生まれた。白井遠平の孫にあたる。白井遠平と言えば、いわきの炭鉱の本を開けば最初のページに出てくるような人物である。明治・大正にかけて国が近代化を目指し推し進めた炭鉱開発や常磐線の開通など、現在の浜通りの姿の礎を築いたと言っても過言ではないだろう。そんな大物の孫でもあった心平さんが、幼少の頃からきかんきが強く、激しい性格は時に周りを困らせるほどだったというのも、祖父のことを思えば、わからなくもないように思う。あまりにも強いエネルギーを内に秘めているが故に、時にコントロールが効かない。しかしその激しさと同等のあたたかく深い母のような情がそこにはあった。その、底に流れる溶岩のようなものが草野心平の人間味あふれる人生と、独特の詩の世界をゆらし立たせ、多くの人を包み込み、変化を起こしていったようにも思う。

 

その心平さんが川内にやってきたのは晩年のことである。元々いわきの小川で生まれ育った心平さんが川内にやってきたのは、詩作の中でも多く登場する「かえる」が縁であった。時は昭和25年。「モリアオガエル」の生息地を探す新聞投書に返事をしたのが、川内村にある長福寺の当時の住職だったのだそうだ。その頃の心平さんは地元に戻ることを考えてもいたそうだが、素朴な農村であった小川も時代とともに変わりつつあり、どうにも帰るには一歩踏み出せずにいたという。そんなタイミングで蛙に会うために川内を訪れた心平さんは、そのの自然豊かな美しい山里の姿に、どこか生まれ育った小川が重なるような思いもし、大変に気に入ったのだそうだ。毎年のように村を訪れるようになった心平さんは1960年に川内村の名誉村民に任命された。心平さん蔵書3000冊を村に寄贈することにし、村からのお礼をどうするかという話し合いの中で、心平さんの発案で文庫を作るのはどうかという話が持ち上がり、村の一大プロジェクトとして動き出したのである。

文庫の建設には村が木材を提供し、設計は建築家の山本勝己氏が担当し、その設計図を元に村の大工が心平さんの希望を聞きながら、制作にあたることになった。建物の随所に、心平さんのこだわりが詰まっている。居間は庭の景色を見るため、角の柱を消している。(これは大工泣かせだったという)。外と内の連続性がある開放的な部屋には、外の緑の葉の色が床面に映り彩りを見せ、天井を見れば吹き抜けとなっていて、今でいうロフトのような和洋の混ざったテイストが入り込んでいる。その壁に掲げられた「天山道」というのは、心平さんがかつて歩いたシルクロードに纏わる言葉。心平さんが見ていた視線が、この小さな、しかし仕掛けが随所に埋め込まれたこの空間から、開かれているようであった。2階の窓の下の藁葺き屋根が切れているのも、窓から庭が見えるようにしたいという心平さんの希望だったのだそうだ。そういったこだわりの一つ一つが、建物の特徴にもなり、無国籍な不思議な愛着を感じるこの天山文庫の魅力を作り出している。その建物の一角に、床から天井まで本が並ぶ書庫が、ひっそりとした時間を刻んでいた。

時代が降り、平成の世。同じようにここ川内村の自然の美しさに魅せられ、川内村に居を構えた夫婦がいた。ルーツを浪江町に持ち、京都で陶芸家として腕を磨いた志賀さん夫妻だ。志賀さんは実家の母を支えるために福島へと足を運ぶようになり、Uターンを考え始めていたある日、いわき市の三和町で取り壊しが決まっている古い日本家屋に出会った。「取り壊すのならば、移築させて欲しい。この家屋を残したい」そう切り出したものの、移設ができる技術を持った大工はなかなか見つからない。探していくうちに飛び込んできたのが「川内村であれば、移築できる技術を持つ大工がいる」という情報だった。そこで川内村を訪れた夫婦は、その自然の美しさ、山に囲まれた風土を気に入り、移築を決定。ひょんな縁ではあったが、川内村に古民家を移築し、陶芸用の新しい窯を作り、その側に自宅を建て、住み始めたのだった。

 

友人が多かった志賀さん夫妻は、遠方から遊びにくる客人に川内の景色を見せ、移築した古民家で酒を飲み交わし、川内村の美しさ、自然が織りなす季節の様々を、彼らに自慢して語っていたのだそうだ。そして彼らはその美しさを取り込むように陶芸や絵などの作品を生み出していった。

 

やがて志賀家には女の子が誕生した。女の子の名は風夏。天山文庫の現在の管理人である。彼女はこの地域の素晴らしさを語る父と母の言葉を通して川内を見つめ、山々に守られた胎内のようなこの川内村で、この土地に愛着を持ち、小さな山村で暮らすことを“愉しみ”としてその小さな体に蓄えながら、絵を描いたりすることが好きな少女に育っていった。彼女は子どもの頃から、大人になっても川内村に住む選択があたりまえのように感じていた。

 

川内村の小中学校を卒業後、祖母の家に住みながら相馬高校に通うようになった高校1年の終わり、震災が起きた。幸い風夏さんも祖母も家も無事だったが、同じ高校には津波被災などで家に帰れない友人知人も多くいた。風夏さんは、祖母の家と避難所となった体育館を往復し、ご飯を持っていったり、炊き出しを手伝ったりしながらの数日間を過ごした。その後、原発事故の影響を受けて川内村は全村避難となり、両親は鎌倉へと避難。両親を追う形で、風夏さんも鎌倉へと避難することになった。

 

しかし避難してみると、戻りたい気持ちが芽生えはじめる。5月頃の学校再開の報せを受け、数ヶ月で風夏さんは高校に戻った。両親である志賀さん夫妻もまた、福島に戻りたい、川内村に戻りたいという思いが強かったのだろう。2012年に川内村の帰町宣言後いち早く、風夏さんの両親も川内村に戻ったのだった。

 

その後風夏さんは、絵画や陶芸の手法を使ったアート作品の制作にもさらに打ち込むようになり、その独特の作風で様々な賞を受賞するようになった。そしてそのまま美術の道を選び、福島大学の美術科へと進学。大学で出会った一風変わった自由な生き方をしている面々との出会いから服飾の世界へと惹かれはじめた。その自由な精神に、風夏さんは自分の在り方が肯定されたように感じた。友人たちと服を作ってファッションショーをしたり、仙台の古着屋でアルバイトをするなど、一気に服の世界へとのめり込んでいった。

 

そこでまた湧き上がってきたのは、川内に戻りたいという気持ちである。ちょうど服飾の世界でも、地方にアトリエを持つスタイルが広がってきた時期でもあった。風夏さんは、陶芸などの自分の表現や制作活動をしながらの生活が、今なら川内村で描ける、と思った。

 

中学卒業以来で戻った川内は、様変わりしていた。地元にいた友人がほとんどいない。実家ごと避難している家が多いので、戻ってくる目処も今のところない。一抹の寂しさを持ちながらも、自身の陶芸などの制作活動と並行し仕事先を探した。仕事をするならば、アートや文学に関わる仕事をしたいとまず浮かんだのが「天山文庫」の管理人だ。復興支援を目的に2016年に川内村にオープンしたCafe Amazon(カフェ・アメィゾン)でアルバイトをしながら管理人の空きを待っていた。すると偶然にも、その1月後に管理人の募集が!まるで謀られたかのように、風夏さんは天山文庫の管理人になったのだった。

 

 

また一方で、川内村に再び住むようになってみると、川内ならではの魅力というものが改めて目に入ってくるようになった。山に囲まれ、ある種閉ざされた環境だからこそ残ってきた昔ながらの生活のありようや、手仕事の文化。こんな素晴らしいものが残っているならば、守り伝えていきたい。それと同時に、遠方にいる友人たちや、川内に興味を持った人や地元の人たちが立ち寄れる拠点も作れたらと思いはじめた。村で頑張る風夏さんの元には、福島大学のゼミがフィールドワークとして川内を訪れるようにもなり、天山文庫の管理人としてSNSでの発信やイベント企画など、新しい風がもたらされていく中で、興味を持って川内に来る若者も増えてきていた。

 

そこで浮上したのが、風夏さんの両親がいわき市から移築した古民家の存在だ。風夏さんは一念発起し、助成金などを集めて古民家をキッチン付きカフェとしてリノベーションすることにした。そう決めると地元の方からも様々な希望が届き始め、地域の野菜などの直売、それを味わえるカフェ、手仕事の籠や織物、手作りのお菓子などを置いたり、風夏さんがセレクトした洋服を置いたり、人と人の交流の場、川内村に興味を持った方の宿泊の場としてなど、総合的な拠点として開いていこうと、古民家改修プロジェクトが動き始めている。

 

全く違う人生のようでいて、いやしかし眺めてみるとどうにも、偶然か必然かわからない引力が働いているようにも見えてくるのがまた不思議なものである。志賀夫妻といわき市の三和の古民家の出会い、偶然の重なりで天山文庫に引っ張り込まれた風夏さん、そしてまた1つ、村の人々を巻き込んでの交流の場が作られようとしている。もしや心平さんの悪戯なのではないか?いや、もしや川内のかえるの神様の??ときつねに、いや、カエルにつままれたような気にもなる。そして彼らは揃って、川内村をこよなく慈しみ、美しい環境の中で創作に向かう時間を持ち、詩・陶芸・アートなど、表現を深め、花開かせてきた。それはまるで山々に囲まれゆっくりと時間が過ぎる、小さな美しい里山の魅力が呼び寄せた幻燈のようだ。一歩足を踏み入れたら、あなたも川内村の虜になるかもしれません。ケロ!

 

文・写真 藤城光

 

 

天山文庫

場所       川内村大字上川内字早渡513

TEL       0240-38-2076

開館時間              午前9時~午後4時

休館日    月曜(祝日の場合は開館)

駐車場    5台

入館料    一般300円、高校生・学生250円、小・中学生150円(20名以上の団体は50円の割引になります)

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