【震災から10年 再会と浪江町オンラインツアー (後半)】

 

前半までの話

・10年前に出会った浪江町の高校生 沼能奈津子さんとの再会

・浪江町のオンラインツアー「まちづくりのキーパーソンから聞く~震災から10年 福島県浪江町~」

   ‐ 浪江町の歩んできた10年の振り返り 新しい取り組みや見えてきた課題

   ‐ 浪江町の特産品が並ぶ「道の駅なみえ」のライブツアー

   ‐ まちづくりのキーパーソン菅野孝明さんによるトークセッション これからの想い  など

 2011年震災後、浪江町の沼能奈津子さんは原発事故の影響により避難を余儀なくされた。通っていた原町高校も再開されず、福島市の福島西高校の教室を間借りすることになったため、福島市で避難生活を送っていた。そのような複雑な状況と、放送部としてこの現状を伝える為に、私も含めメディアからの取材などを受けたり、番組に出演したりして話をする機会も多かった。

▲ラジオ福島の番組に出演

「何故帰れないんだろう。何で狭いところにいないといけないんだろう。」というやり場のない気持ちもあったというが、その気持ちに向き合うことは辛く、放送部として先生が与えてくれた「あなたたちは伝えることが使命」という言葉と活動に救われた部分もあったと話した。

一方で、メディアの取材を受け続けるうちに「メディア側が何を求めているのか。何を言って欲しいのか」が分かってくるようになったという。そして、「求められているのは被災地の高校生」「皆が大変な中で空気を読まないといけない」と思いはじめ、自分の思考や感情とは別に求められる言葉を取材時に口にしていたと話した。

その話を聞いて、私自身反省をした。

アナウンサーになって間もなく未熟だったにせよ、当時“震災後、故郷の為に頑張る高校生”を心のどこかで期待していたからだ。その感情は知らず知らずのうちに取材相手に伝わっていたかもしれない。当時地震、原発事故により先が見えず、放射能や生活への不安が漂う福島で次の世代を担う子供たちの故郷への想いや頑張って物事に取り組む姿は、表情さえも暗くなっていた大人たちに希望を与えていたのは確かにあった。

また、子どもたちの中には「将来福島の為に何かしたい」と本気で思い、行動している人々もいる。しかしそれが当たり前ではなく、絶対にそうしないといけないというわけでもないのだ。

さらに福島は地震、原発、放射能、風評被害など様々な問題に直面し、人によって抱えている問題・課題も異なる。震災後、福島から離れて新しい地で生活をするという人もいる。沼能さんも高校生の時に仲良しの友人が転校し、その友人が1人で新しい学校・クラスにいると思うと「大変だろうな」という想いが募った。そして「自分以上に大変な友達がいる。自分が大変と思ってはいけない、楽しんじゃいけない。」という感情になってしまったという。こうして被災地に漂っていた“何かに関して不謹慎である””がまんしないといけない”という空気を感じ、自分の思考や感情が無になっていったと話した。

そんな彼女の状態を変えてくれた1人が、大学時代のゼミの先生だった。

社会学部メディア社会学専攻であった沼能さんが所属したゼミの先生は元新聞記者で、ゼミの課題で行っていた取材の度に「(沼能はその取材対象の)何がおもろいんや?」「何を伝えたいんや?」と何度も問われ続けた。時には「(相手が求めていることに応えようとし過ぎて)沼能は、自分というものがないのかもしれないな。」と厳しいことを言われることもあった。当初はこの言葉の真意が掴めなかったが、対話していくうちに、自分が他人の言葉を借りて表現していること、自分の心が動いた瞬間を素直に言葉に出していないこと、そして表現には正解がないからこそ感情を素直に口に出していいことに気が付いた。

また、ゼミの友人との交流でも、被災地出身の学生として振る舞わなくていいことを感じ、徐々に自分の感情を表に出していった。

そして、社会人となった彼女と私は再会するわけなのだが、現在彼女は旅行会社に勤務している。彼女の経歴からも彼女はメディア業界に身を置くと私は思っていたので、最初は少し驚いた。しかし理由を聞くと、彼女の中で経験や想いが現在の仕事と一本の線で繋がっていることが分かった。

彼女は高校の放送部や大学のゼミなどの経験から伝えるという活動が多かったが、一方で大学時代の経験でそれ以上に“地域と関わりたい”という気持ちが強くなり、仕事を選択する上で軸となっていったという。彼女が示す地域とはローカル全般だ。

大学時代のゼミの活動で栃木県の冊子づくりや島根県での本づくりなどを通して、地域の魅力に触れた。当初、田舎で出来る仕事は限られ、自分の理想とする働き方・生き方は出来ないと思っていたという。だからこそ上京への憧れは強かったというが、実際に地域を訪ねてみると、公務員で働く人が新しい取り組みを地域で立ち上げていたり、演劇の活動をしている人がいたりするなどとても生き生きと働く人々の姿を目にした。

「地域でも楽しく働けるんだな。もしかしたら自分自身の捉え方次第で、地域は面白いかもしれない。場所じゃない、何をやるかなんだ。」と気付き始めたという。

そしてメディアは媒介するものと言うが、大好きな旅行も地域と人を媒介していくものであると考え、結果、旅行会社に就職することとなった。実際に身を置いてみて自分に合っていることも感じているという。

「窓口業務をしたときは、目の前のお客様のニーズを知って、期待以上の情報をお伝えるようにしてきました。それがお客様の役に立てたり喜んでもらえたりすることに繋がったとき嬉しいんですよね。あと、時々旅行後にお土産を頂いて旅話を聞くことができることも楽しいです。目の前の人に伝えて反応があるこの仕事は自分に合っていると思います。」

その後、旅先での体験や経験をつくってみたいと「学びの旅」をつくっているスタディツアーデスクへ異動し、国内外のスタディツアーを販売や添乗を担当していた。その部署でこれまで福島へのスタディツアーを企画・運営していたことも彼女は知っていて、徐々に手伝いをするようになり、先輩の異動を機に担当になったという。

「好きな旅行という仕事を通じて福島、そして浪江に関わる。そんな地元への関わり方の選択肢もあるということを知ってもらえたら。」

彼女は今までの経験の結果、想いを背負い過ぎない、自分と故郷との心地よい距離感での働き方、生き方があることを知ったということだ。

要するに心地よい故郷との距離感を見つけられたのは、故郷を離れる選択をし外から地域を見られたこと、様々な出会いで気付けなかった視点を得られたことなどからだ。もし過去の自分と同じように感情を隠して苦しく辛い想いはしている人がいるのならば、他の選択肢もあることや視点を変えてみることも伝えたいという。

相手の本当の感情を知る為にも「自分の中で相手の存在を決めつけずにまずは話を聞いていきたい、また言葉だけを受け取らない。言葉の奥や先にあるものも考えられるようになりたい。」と話した。そんな彼女からは誠実に人と向き合いたいという想いが伝わってきた。

今回の浪江のオンラインツアーでも菅野さんが語る浪江への想いに対して、彼女自身の経験や感情を素直に伝え、寄り添いながらツアーを仕切っていたように思う。

▲ツアーで司会を担当する沼能さん

また、彼女はアンケートに書かれた感想を見てこの仕事の意義も改めて感じたようだ。

アンケートには「楽しそうにしているのが伝わってきた」「実際に行ってみたい」「地域の人と対話をしてみたい」「これから考える糸口を知れてよかった」などといった声が聞かれ、浪江町と繋がるきっかけになっていることを感じ取れた。

「今回のツアーが最後ではなく、今後も地域を知るきっかけを作っていきたいです。外にいることで地域と繋げていける人たちもいると思います。そうゆう関わり方があることも知ってもらえたら。」

10年が経ち、彼女は仕事を通じて外から福島・浪江を伝え、そして地域と人を繋いでいる。

▲左:沼能奈津子さん 右:佐々木瞳(筆者)

取材日:2021年2月15日

今回のオンラインツアーを主催したHISスタディツアーデスクでは実際に浪江町を訪れるスタディツアー参加者募集中!

HISスタディツアーデスク主催 福島スタディツアー

「福島の今を知り、私たちの未来を考える浪江町の2日間」 2021/3/20~2021/9/25

詳しくはHPをご確認ください。

https://eco.his-j.com/volunteer/tour/TF-FUKISHIMA-NAMIE2

佐々木 瞳トラベルライター

投稿者プロフィール

地域のキラキラを伝えたい 日本酒ナビゲーター 福島県とみおかアンバサダー 文化放送 ・SAKIDORI レポーター 金15時半〜 ・サンデーNEWSスクランブル パーソナリティ 日17時50分〜 東京MX東京ホンマもん教室 MC 日19時〜

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