僕にとって東日本大震災は遠い国の出来事だった。
こんにちは、ブロガーのゴーゴーケンゴです。
今回は、福島県に訪れて感じたことをツラツラと書いていきたいと思います。
■ 当時の僕の記憶
2011年3月11日、東日本大震災が起きた日。
当時、僕は京都の高校で野球部に属する青年だった。
今でも覚えている。
野球部専用グランドで普段と変わらぬ練習をしていたとき。同じ日本で起きていることに、現実味が湧いてこなかった。
まるで、遠い国に出来事のように…
■ 2011年のセンバツの選手宣誓
平成23年3月23日
創志学園高等学校野球部 野山慎介主将
これは、2011年のセンバツでおこなわれた選手宣誓の全文です。
野球をすることで被災地の復興が進むわけではありません。しかし、みんなが一致団結して一生懸命にプレーする姿は、多くの人に勇気を与え、その勇気が一歩踏み出す力になっていくんだと思います。
僕にとっては、遠い国の出来事のように感じていたけど、「目の前の仲間と一生懸命頑張ることで、誰かに勇気を与えれる」というのは頑張る理由として十分すぎるものだなと。
そんな当時のかすかな記憶を辿りながら、今回はじめて福島県に訪れました。
■ 初めて福島に訪れて
僕が滞在していたのは原ノ町駅周辺だったので、あまり被災地感はなかったのですが、滞在中に双葉駅周辺に行ってみて驚きました。
これらの写真はすべて双葉駅周辺の現在の写真です。
倒壊したままの家が並んでいて、人影はなく異様な光景でした。本当にこれが9年前に起きた出来事なのか?と目を疑いたくなりました。
こちらの写真は少しわかりづらいのですが、右にうつるカレンダーが3月のままになってます。2011年3月11日、その日から止まったままのカレンダーは、この街が9年前から変わらないことを表しているようで考えさせるものがありました。
聞けば、この双葉駅は最近になって立ち入り禁止区域から外れたそうです。街に人気はなく、作業員の方達がトラックで除染作業に勤しんでいるようでした。
この写真は大きく傾いた電柱。
この状態が9年間続いていることを想像すると、ほんとに時が止まったような感じがしました。
普段みている景色がいかに尊いものなのか、改めて考えさせられる風景でしたね。
こちらは完全に倒壊した門。
かつてはここに人が住んでいて、暮らしがあったことを想像すると、1つの街が消失するというのは、そこで育った人たちの思い出やアイデンティティをも奪い去るものなのかなと。
ただ、建物が壊れただけじゃない。
そこに積み上がった想いも壊れる。
それが、どれほどのものなのか僕には分かりませんが、想像を膨らませるだけで胸がギュッと締め付けられました。
こちらは建設途中の足場。
ここにマイホームを建てて、家族団欒の暮らしに想いを馳せていた家族がいたのかと思うと、こみ上げてくるものがありました。
災害は避けられない。誰かが悪いわけじゃない。過去にしがみついても何も進まないから、前を向いて頑張るしかない。
そんなことを考えながら、散策を続けました。
お寺も倒壊していました。
看板だけは生き残っているのが、また皮肉な気もします。
精肉店も一階部分が崩壊していました。
精肉店のほかにも飲食店などもあり、この街が生きていたときに一度訪れてみたかったなと思います。
■ ネットの情報だけでは分からないことがある
今回、福島県に訪れてみて感じたのは「ネットの情報だけではわからないことがある」ということです。
普段からネットを使って情報収集をする人間だからこそ、足を使って現地に赴き、そこの空気を吸うことが大事だなと痛感しました。
同じ福島県のなかでも、「原ノ町駅」と「小高駅」と「双葉駅」では全く雰囲気が変わるので、3つとも行けて良かったなと思います。
「原ノ町駅」は整理されていて生活にも困らない雰囲気、「小高駅」はOMSBや小高パイオニアヴィレッジなど新しい風が吹き、「双葉駅」はこれから再出発する街なのかなと。
文章や写真だけでは伝えきれない空気が双葉町にはあったので、みなさんも是非一度は福島県の空気を体感しにいってみてはいかがでしょうか?