疫病退散!魔除けの神様「田村のお人形様(オニンギョウサマ)」
歌舞伎の隈取りのように鮮かな赤や黒に塗られた木彫りのお面。
大きなお顔のその表情はまるで修羅の形相。
木や藁などで作られた刀やなぎなたを持って長い両手を左右に大きく広げ、行く手をはばむ「通せんぼ」のポーズでこちらを睨むように佇んでいる。
その見上げるほどに大きな姿はしかし、恐ろしさよりも愛情や優しさにあふれていて、より人間的で身近な心の拠り所として多くの人々から愛されてきたものと感じます。
お人形様の起源については歴史をさかのぼること一体どれだけになるのでしょう、およそ江戸時代あたりの悪疫が流行した際に、現在では県道となっている磐城街道沿いの集落でまつられたことが始まりとのいわれがあります。
かつては三春町芹ヶ沢・船引町光大寺・屋形・朴橋・堀越の5ヶ所にあり、やがてそれが「磐城街道の五人形」と呼ばれるようになり、そこから「五人形様」今では「お人形様」と呼び方こそ変わりながらも長く親しまれてきたようです。
長い歴史の中で一度は途絶えた時期があったようですが、のちに見事に復活させ現在に至っているとのこと、地域住民の方々のお人形様への思い入れや気概を感じます。
お人形様と、それを維持していく毎年春に行われる「お衣替え」の神事などをまとめて「盤城街道沿いのオニンギョウサマ製作の習俗」として福島県無形民俗文化財に指定されています。
■ 船引のお人形様
お人形様巡りは船引駅からスタートしました。
地理に疎いので単純に地図上でわかりやすい駅を起点に始めてみたのですが、効率的にはどうなのか、その後の目的によっては順番はフリーでいいかと思われます。
野外活動は天気と時間次第で動き方は臨機応変に、やはり車移動がマスト。
今回は利用していませんが恐らくはタクシー利用でも「お人形様巡り」と伝えれば即対応していただけると思われるほど、人気も知名度も高いお人形様。
さて、まずは駅に到着。
綺麗な現在の駅舎は2004年に建て替えられたもののようです。
磐越東線におけるSuica利用区域の最東端との説明がある駅舎は綺麗で清々しい雰囲気。
駅舎内の待ち合いスペースでは、のんびり談笑するご年配の方が程よく傾いた陽射しを受けながら午後のひと時をお過ごしでした。
電車利用者だけでなく地域の憩いの場にもなっているのかもしれません。
ところでお人形様はいずこ。
駅員さんに尋ねてみます、「恐れ入ります、お人形様の写真が撮りたいのですが、お姿が見つからず。どちらに…」
「あぁ、そこですよ。写真だけならどうぞお撮りください。」
伝えられたのは駅員さんのいる窓口のすぐ横、改札の先です。
なんと快く撮影の許可をいただき気持ちよく目的が叶いました、ありがとうございます!
昔のまま保存されているお人形様は「屋形・朴橋・堀越」の3ヶ所ということなので、ここ船引駅のお人形様は悪玉退治のニューカマーとして期待されているのでしょう。
そう言えばどことなくフレッシュな勢いすら感じるお人形様と出会い、次はいよいよ古参のお人形様探しに出発です。
■ 朴橋(ほおのきばし)のお人形様
県道沿いのすぐ脇の丘上に存在するお人形様に会うには、まずは車を安全なところに停めましょう。わりと交通量は少なくありません。
「朴橋のお人形様」の案内看板の矢印は真上向きですが、その通り。
看板のほぼ真上にあたる丘の上にいらっしゃいます。
ほんの少し急な坂と階段を進んだ先に、「ジャーン!」と効果音が聞こえてきそうな勢いで両手を大きく広げて出迎えてくださるお人形様。
いや、歓迎のポーズではなく本来は悪疫病疫を拒否している身がまえだとわかっているのですが、お目にかかれて光栄ですといった気持ちが勝り親愛の情が。
吊り上がった目の中は金色に光り、瞳孔が開いた緊張状態のよう。
遠い先から入り込もうとする邪悪なものを見落とすまいと睨みを利かせているのでしょう。
丘の上に立つ姿は遠目にも分かるほど目立ちます。
明かりも少ない古い時代に、遠くから訪れる旅人や通りすがりの人々にもきっと恐れられたことでしょう。
この朴橋のお人形様のお面は、氏子になっているヤシキと呼ばれる地域の人々が材料を持ち寄って、2002年に74年ぶりに作り替えられたものだそうです。
毎年春に行われるお衣替え同様、古風なお祭りの伝承と継承によって今日まで家内安全・無事息災が祈り願われ守られてきたことを改めて知ります。
恐らくそんな地域愛がお人形様に込められ、溢れる愛が温かさのある情愛感じる風姿に味付けされているのでしょう。
俄然、その他のベテランお人形様にも早く会いたくなりました。
■ 屋形のお人形様
県道から少し入った場所に車を停めて、斜面を少し登ると整備されたちょっとした平地に出ます。小さな公園といったところでしょうか、マイナスイオンを浴びながらお茶でも一服。
視線を頭上に移動させると、目を見開きこちらに何か忠告でもしてこようかといった雰囲気のお人形様に出会います。
約4メートルもの長身は近づくとより迫力を感じます。
木彫りのお面はベンガラや胡粉などで綺麗に彩られ、豊富な髪やヒゲは杉の葉、胴体は竹や藁でつくられているようです。
頭の杉の枝葉はまるでライオンのタテガミのよう、大きなお面の周り全体も杉の葉のヒゲで覆われモジャモジャ。
鬱蒼とした森の中で出会う存在としては、これ以上ないくらいのおっかないオーラのはずが、何故か哀愁漂う雰囲気に心が傾いていくのでした。
今のように医療が発達していない時代からずっと、ひたすら祈り続ける人々を悪疫から守ろうと、いつからか自ら意思と使命を持ってここに立ち続けているのではないだろうか…。
小高いこの場所から、朝に夕に、地域の方々の安心と安全を見守るミッションを遂行する勇敢なレンジャー。
勝手な妄想の中、もの言わぬお人形様の後ろで心地良い風が一瞬、木々をゆすり落葉を散らせた昼下がり。
秋の日暮れは早い、先を急がねば。
■ 堀越のお人形様
57号線に面したとてもわかりやすい場所。
明石神社の鳥居横に、威風堂々とその存在をアピールしています。
一本の木をくりぬいて作られた大きなお顔のまわりには、他同様杉の葉をふんだんに使用して髪やひげがたくわえられ、明石神社境内に勇ましい姿で立っておられます。
こちらは屋根付きとはいえ、お人形様のボリュームからいってほぼ帽子並みですが、少々の雨は避けられるでしょうか。
右手になぎなた、腰には刀。そのお顔はよく見るとまんまるな瞳で何かを語りかけてくるよう。お人形様と一口に言えど表情は全て違ってそれぞれに愛着が湧きます。
そんな愛すべき堀越のお人形様文化ですが過去に大飢饉があった頃から、その後長きにわたり一切のまつり事が途絶えていたようです。
しかし1992年に87年ぶりに現在の三春門沢線、郡山大越線の分岐点にある明石神社の境内に復元されたことで、堀越のお人形様は見事に復活を果たします。
それを切望されるほど、お人形様はこの地域の人々の生活と心に寄り添ってこられたのでしょう。
なんとこの堀越のお人形様のお面自体は、屋形や朴橋のお人形様よりもその歴史は古く、おそらく江戸時代に作られたものと推測されているようです。
最古と言われるお人形様ながら、その表情は特に躍動的で威勢の良い若々しさ。
訪れたのは11月。その潤沢な髪やひげは褐色で、その分量の相乗効果もあってか貫禄すら感じましたが、毎年春の明石神社祭礼の日に合わせて行われるお衣替えで、瑞々しい青葉にお召し替えされた姿も拝見したいものです。