【震災から10年 再会と浪江町オンラインツアー (前半)】
来月3月11日で東日本大震災発生から10年が経とうとしている。
定期的に福島を訪れ地域の人々や復興関連の団体にも話を聞くようにしているが、福島は東京電力・福島第一原発事故の影響により、地域によって現状や課題が異なる。その為、私は、3.11を前に、日に日に変化する福島の現状を改めて知ろうと、あるオンラインツアーに参加することにした。
それが「まちづくりのキーパーソンから聞く~震災から10年 福島県浪江町~」だ。
震災後から実際に浪江町を訪れるスタディツアーを実施している旅行会社HISスタディツアーデスクの企画で、浪江町の一般社団法人まちづくりなみえの菅野孝明さんが案内人となり、浪江町の現状や未来などについて知るツアーである。
そのツアーのHPをスクロールしていくと、見覚えのある名前が目に入ってきた。
“沼能奈津子”
「あれ!?」
彼女の紹介の説明文には、「浪江町出身。HIS勤務4年目で、今回のツアーの司会を担当する」と書いてある。その文を読んで確信に変わった。実は、彼女が高校生の頃、私は取材をしたことがあるのだ。
私は当時ラジオ福島にアナウンサーとして入社し、半年で震災が起き震災報道にも携わりながら、中高生向けの番組のパーソナリティーも担当していた。高校生の文化芸術活動の祭典「第35回全国高校総合文化祭(ふくしま総文)」がこの年2011年8月に開かれ、私はその祭典に出場する高校生たちに取材やインタビューなどを行っていた。この祭典は「文化部のインターハイ」とも呼ばれ、全国から各都道府県を代表する高校生が集まり、美術作品の展示や演劇・演奏・合唱の舞台発表などを毎年選ばれた都道府県で行う。震災前からこの年に福島での開催されることは決まっていて、震災により縮小ではあったが無事に行われた。
その時にインタビューした高校生の1人が当時、南相馬市の原町高校に通う沼能奈津子さんだった。彼女は放送部所属ということもあり受け答えがしっかりしていたことを覚えている。また浪江町出身で原発事故に伴い避難生活を余儀無くされていること、また福島への想いなど言葉にしてくれていた。当時、震災により福島の未来に不安を感じる中で、次の世代を担う高校生たちの「福島の為に何かしたい」「将来福島で仕事がしたい」といった言葉は私も含め大人たちに希望を与えていたと思う。
そんな彼女との出会いから10年。
今回彼女の名前をHPで見て驚き、またあの時の高校生が成長して社会人として仕事に取り組んでいることに嬉しくなった。そして久しぶりにやりとりが再開されたのである。
震災から10年 キーパーソンが伝える浪江町の今
ツアーは2021年2月13日に開催された。
このコロナ禍よりZoomでのオンライン開催となり、学生も含めた35名が参加した。浪江町に何度も足を運んでいる人もいれば、はじめてという人もいたようだ。オンラインツアーは3部構成で行われた。
「まちづくりのキーパーソンから聞く~震災から10年 福島県浪江町~」
第1部 浪江町の歩んできた10年
第2部 これからの浪江町~”道の駅なみえ”を中心に~
第3部 まちづくりのキーパーソンによるトークセッション
ツアーではまず沼能さんの司会で始まり今回のツアーの趣旨が説明され、案内人の菅野さんを紹介。菅野さんの口から浪江町の10年を振り返る内容が話された。
浪江町は福島県の浜通りのほぼ中央に位置し、東は太平洋、西は阿武隈山系に囲まれた自然豊かな地域である。
震災当時、浪江町は震度6強の地震に襲われ津波の被害も甚大で、651戸の家が全壊、182人の方が亡くなった。また、福島第一原発から20~30キロ圏内に位置する為、避難指示区域に指定され、浪江町民は避難を余儀なくされた。その後、震災から約6年後の2017年に避難指示が解除され(帰還困難区域を除く)徐々に人が戻りはじめてはいるが、震災時にいた人口2万1434人(2011/3/11現在)のうち現在の居住者は1529人(2020/11/30現在)とまだまだこれからであることを感じさせた。また、復興計画によって進んできた除染・放射線の管理や昨年2020年3月に全線開通されたJR常磐線といったインフラの復旧・整備、町の特産品トルコギキョウやリンドウの市場出荷などの農業・漁業の再興、道の駅なみえなどの新たな産業と雇用の創出などについても話された。
▲道の駅なみえ
そして事前に撮影した浪江町の様子が分かる写真を画面に映しながら、町がこの10年でどう変化しているかも説明された
津波の被害が大きかった沿岸部・請戸地区では、水産業の共同利用施設が去年4月に再開。 試験操業だが捕った魚を競りにかけ、町内でも買うことが出来るようになった。また、新たな取り組みも始まっている。国策である水素・エネルギーの研究・開発拠点やロボットテストフィールドとしてドローンの滑走路などもできている。さらには米作りも再開され、町が動き始めていることが伝わってきた。
ただ、課題も出てきているという。
津波の被害で更地になった田んぼに再生可能エネルギー事業としてメガソーラーのパネルが沢山並べられている。福島の沿岸部にはそのような光景がとても増えていると福島を訪れる度に感じる。菅野さんからはこの事業は20年後に終了予定で、終わった後の撤去作業などは誰が行うのか、その後の土地の活用方法などにも課題があると話した。
新しいものが生まれる一方で、もともとあるものを解体せざる負えない現実もある。
町内にある4つの小学校は解体が決定し、今月から解体工事が始まる。町のシンボルである学校の為に「何かできないか」といった町の声から、草刈りのイベントなどを通して地域の交流活動も行われているという。
▲浪江町の小学校閉校・解体 イベント実施
沼能さんも幼少期に通っていた小学校が解体されることに寂しく、複雑な心境であることを話していた。
また、住宅が解体されて更地になった土地と、解体するかまだ迷いそのまま残された住宅が共に並んでいる。浪江町の現状を象徴する写真から町の複雑な状況を感じ取れた。
続いて行われたのが、今回のツアーの醍醐味である「道の駅なみえのライブツアー」だ。
昨年8月にオープンしたばかりの道の駅なみえをリアルタイムで中継していき、異なる場所から菅野さんがその映像を見ながら説明を行う内容だ。外観が見える位置から実際に道の駅なみえの入り口を通って建物内を進んでいく映像は、まるで自分たちが建物内を歩いているように感じられて臨場感があった。
▲道の駅なみえの建物内
建物内には、地域の人々が育てた米や野菜、花き、水揚げした水産加工物など沢山の地域の特産品が並ぶ。また、並んだ商品のそばには地域の人々が作った手作りのポップも飾られていた。町の人々が楽しみながら、この空間を創ろうとしていることが伝わってきた。
また、ライブツアー中は、Zoomのチャット欄に参加者の感想がどんどん書き込まれた。
「すごい!ライブ感たっぷりですね!」「美味しそう!」など反応があり、私自身参加者の1人として現場と繋がっている感覚が楽しかった。
道の駅なみえには、3月下旬には隣に2号館がオープンする予定だ。浪江町の大堀相馬焼の体験工房や鈴木酒造の酒蔵などが入ることで、町の文化の復興も進むことが分かった。
そして、ライブツアーの最後に見せてくれた夕日は圧巻で、画面越しでもその美しさが伝わり、「実際に浪江町へ行ってみたい」とワクワク感が増すライブツアーであった。
▲道の駅なみえ2号館・浪江町の夕日
ライブツアー後は、菅野さんと浪江町の駅長・東山晴菜さんによるトークセッションが行われ、事前に参加者から募った質問やチャットの質問に答える時間も設けられた。沼能さんが司会を行なったが、テキパキと仕切る姿にかつての放送部の彼女が思い出された。
“10年の変化”という質問に対して、菅野さんたちは
「正直、10年でどう変わるというわけではない。どちらかというと、避難指示が解除されて、徐々に復興への進むスピードが変わってきた。」「解除後、町の住民の表情が変わってきた。」という話があり、震災から10年だが、この10年は区切りでも節目でもなく、すでにこの10年の間に様々な出来事が起こり、進んでいることを感じた。
今後について、菅野さんは
「これからも自分自身が町の為に楽しいと思うこと、チャレンジしたことをやっていく。そうゆう人たちがこの地域には沢山いる。そして地域の人たちと一緒に出来ることが何なのかを考え続けながら、やり続けることがまちづくりには大切だと思う。」と話した。
▲ツアー案内人の菅野孝明さん
1時間半という限られた時間ではあったが、浪江町の過去・現在・未来が伝わってくる内容だった。また、あの時高校生だった沼能さんが社会人となり、しっかりツアーを仕切っている姿に私は個人的に感動を覚えた。
そんな彼女にツアー後、今回のツアーのこと、また10年を振り返り現在思うことなども聞いてみた。そして彼女の話を聞く中で、私は震災から10年目にして気付かされることとなる。
(後半に続く)
取材日:2021年2月13日
▼今回のオンラインツアーを主催したHISスタディツアーデスクでは実際に浪江町を訪れるスタディツアー参加者募集中!
HISスタディツアーデスク主催 福島スタディツアー
「福島の今を知り、私たちの未来を考える浪江町の2日間」 2021/3/20~2021/9/25
詳しくはHPをご確認ください。