富岡町<漂流する舟とヱビスたち>その③

富岡町仏浜海岸(富岡川河口付近) <震災時津波でいわき市小名浜から漂着した石船> 

(石船は海底の岩石を積んで運搬する自力航行能力のない船であり、津波によって流され、当初福島第二原発に漂着後、再び流され、仏浜海岸富岡川河口付近で座礁し、今現在までそこにある。自重によって砂浜に沈みつつある。)

さて、「富岡町<漂流する舟とヱビスたち>その1」では、富岡町の「一意法師とうつろ舟伝説」を紹介し、前回「富岡町<漂流する舟とヱビスたち>その2」では富岡町の「えびす講市」から、そもそも「えびす」とはなんであったかを紹介してきました。私はこれまで富岡町をリサーチしながら歴史的にどのような性格の地域だったかを、色々と想像を膨らませていきました。ここでもう少し「えびす」について触れていこうと思います。

光と闇の神

前回で「蛭子」=「えびす」であることに触れました。蛭子は水蛭子というイザナギとイザナミの間に生まれ、不具の子であることから葦船に乗せて海に流されてしまった漂流の神でした。不具の子は古代において忌み嫌われてきました。蛭子は恐らく怪物のように扱われたのです。不具であることから異形の神として、同時に穢れをおびた存在として、海に流され、それによって穢れは浄化されたと考えたのかもしれません。怪物として穢れを帯びた神・蛭子は海を漂流し、そしてやがて海神となって、海の向こうから福をもたらす恵比寿神として回帰してきたのです。穢れは海で清められ、福の神として再生した蛭子=恵比寿は、葦船=うつろ舟に乗って海の上の常世を彷徨いながら、生まれ変わりの時を過ごしたのだと想像することもできるのではないでしょうか。

ヱビスは穢れた異形のものと、外から福をもたらすものとの、光と闇の両犠牲を帯びた存在だと考えることができます。そとからやってくる者が、穢れや悪疫をもたらすのか、福をもたらすのか、ヱビスとよばれるもの自体にはそのような対立する2つの側面が同居していると言うこともできます。そして、うつろ舟にはそのような生まれ変わりの時を内包する器としての役割があるように私は思います。

 <浜下り>再生の海と聖域

海は古来より聖域でした。海の水は穢れを洗い清め、ケガレからハレへ。そして海はあらゆる恵みをもたらします。浜通りには「浜下り」という神事が多くの神社の祭礼で見られます。神社から御神体をのせた神輿が浜まで下り、海に奉じ海水で清めるなどする祭祀で、これも日本人のケ・ケガレ・ハレの概念と結びついているようです。毎年行われ、御神体を洗い清めてケガレを祓うことで、一年の豊漁豊作や悪疫退散を願うものであったりします。海は再生をもたらす聖域として古来より考えられてきました。富岡町では諏訪神社と四十八社山神社で浜下りが行われてきました。しかし原発事故の影響で中断されているといいます。ところが、私が地元の方に聞いたところ、四十八社山神社では原発事故後も伝統を絶やすわけにはいかないと地元の氏子数名で密かに続けていたと言います。

諏訪神社の浜下りは、天狗の面をかぶった猿田彦が行列を先導し、ふれ太鼓に続いて装束をきた稚児や巫女が進み、神輿は仏浜まで下ってそこで潔斎し、人々はこれを拝んだといいます。四十八社山神社の浜下りは、地区の各戸から一人ずつ集まり、「千度、千度」と唱えながら社殿をまわる「千度あげ」の祈願を行い、その後神輿が行列をなして毛萱の浜に下り、宮司が波打ち際に立って榊を海水に3度浸し、それを神に供え、お祓いと祝詞奉上を行うものだそうです

このような浜下りの神事は、海浜を神が至り着き顕現した聖域として巡る漂着神信仰の伝承によるものだと考えられています。加えて地域によっては、田の神・山の神と海の神が一年に一回再会する伝承などもあります。

富岡町の諏訪神社の御祭神は美穂須須美命(みほすすみのみこと)です。この神は海の神とされ、度々あの事代主神(えびす)と異名同神として扱われているそうです。この神もこと民間信仰における、恵比寿系の神として考えることができるようです。諏訪神社は信州諏訪郡からこの地に奉遷され、その勧請年月は明らかではないものの、かなり古いとされています。

富岡町 諏訪神社

富岡町 諏訪神社

富岡町 諏訪神社 拝殿(震災により損壊、2019年再建された)

四十八社山神社と海の王

私が個人的に惹かれたのは四十八社山神社です。その名の珍しさもさることながら、調べていくと大変興味深いことがわかってきました。この社の歴史は大変古く、806年の勧請と伝えられています。古代、標葉郡の小社四十七社を一つの社に統合し総社としたところから、旧号を四十八社大明神といったそうです。祭神は、大綿津見神という海の神で、大漁や海上交通の守り神として、どうやら、いわき地域と相馬地域の双方の漁民からあつく信仰されてきたといいます。歴史上岩城領と相馬領のちょうど中心であり境界であった富岡町に、このような社があることはとても興味深いものがあります。大綿津見神といえば龍宮の王として知られています。娘は豊玉姫命で、神話では龍宮にきた山幸彦と結ばれます。四十八社山神社の社殿には龍の彫り物が散見され、瓦葺きの屋根はまるで龍の鱗のようにも私には思えました。

富岡町 四十八社山神社 鳥居から

 富岡町 四十八社山神社 社殿

ところで、いわき市久之浜にある津守神社には、八大龍王尊碑が立っています。以前資料を読みながら津守神社の写真を目にしたとき、八大龍王尊碑の隣に、四十八社山神社と書かれた石碑が立っているのを見ました。なぜここにそんな石碑があるのか気になって、訪れることにしました。

いわき市久之浜の津守神社       

八大龍王尊碑

龍道大龍王・戒道大龍女 

いわき市久之浜の海を臨む高台に津守神社はあります。境内の更にすこし高いところに上ると、八大龍王の石碑がありました。しかし、資料で見たような四十八社山神社の石碑が見当たりません。すこし探してみると草に覆われた中から、大きな石が出てきました。龍王の石碑のすぐ横です。あの資料写真で見た位置と同じでしたが、どうやらこれは石碑が前倒しになってしまい、肝心の記名が見えなくなってしまっているようでした。いつ倒れたのかはわかりません。私はなんとか起こそうと試みましたが、あまりの重さに断念しました。しかし形状からして間違いありません。

八大龍王は法華経に登場する仏法の守護善神である八つの龍王のことですが、その石碑の横に四十八社山神社の石碑があるのは、祭神である大綿津見神が龍宮の王であることと関係しているのでしょうか。この石碑にあるような龍道大龍王、戒道大龍女は、山形県鶴岡市にある善寳寺に、法華経の功徳を受けたいと言って顕現した八大龍王のうちの二龍神だそうです。いわき市にも龍宮伝説は多く、その関わりから久之浜地域にも善寳寺信仰が入ってきたのかもしれません。いずれにせよ、海神・龍神は航海安全、豊漁の神として信仰され、尚かつ、四十八社山神社がいわき地域の漁民からもあつく信仰されていることから、この地にその石碑があってもなんら不思議ではないのかもしれません。

倒れている「四十八社山神社と」記された石碑

これら海を統べる神道や仏教における龍神は、龍宮の王として、時に海上の安全と豊漁を、そして時に荒ぶり、高波や津波を引き起こしました。されど海の神々は、彷徨う魂を龍宮で迎え入れ、いつかその魂は再び生まれ変わり、時を経て戻ってくるのです。あるいは神として、浜辺に漂着して。海の常世は地上に流れる時間とは異なるのです。

<その④>へとつづく

キヨスヨネスク地元記者

投稿者プロフィール

1992年生まれ。俳優。劇ユニット「humunus」結成。
ソロで創作活動も行う。声と身体の関係から、風景とそれらを構成する"空間の肌理"を
いかに「うつし」「かたどる」かをテーマに、地域の歴史や風景の変遷、
人の営みのリサーチを通して創作活動をしている。
大学在学中から折に触れて東北のリサーチをはじめ、
2020年より富岡町を中心に浜通りのリサーチを本格的に開始。
富岡に活動拠点として「POTALA-亜窟」を開設。
現在東京と富岡の2つの拠点を行き来しながら活動している。

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