2020年 桜の記録

2020.3.23〜2020.4.19

私の生まれ育った富岡町は震災後10年目を迎えた。

3月10日には夜ノ森駅前周辺の帰還困難区域が先行解除、3月14日には夜ノ森駅、大野駅、双葉駅が再開し、常磐線が全線開通された。

今年私は桜が咲いてから散るまでの間、夜の森に通って写真を撮り続けた。

今までは震災前も、震災後も、あまり桜の写真を撮っていなかった。震災前、わたしは中学生で、通学中に飽きるほど見ていたから特別感はなく、震災後は満開の桜に会いに来ていただけだったからどこか遠い存在だったからだ。

富岡での勤務も今年で3年目。広野町からの通退勤中に夜の森の桜を見ることはない。退勤中ふと桜を見に行こうと思って、引き返して桜を見にいったのが、3月23日。桜色の空をした夕暮れ時。

夜の森のソメイヨシノの蕾はほんのり紅く色づいていたものの、花開くにはまだまだ硬かった。真新しいJR夜ノ森駅に植えられている早咲きの桜や小学校の近くの大きな木蓮はまもなく満開を迎えるところだった。

それから毎日、大体17時40分から日が沈むまで、桜を見に夜の森へ通った。

2020年3月29日

宝泉寺の枝垂れ桜が満開を迎える頃、間も無く4月になるというのにその日は大雪が降っていた。樹齢900年の桜の太い幹から垂れる枝や花が重たい雪を支えている。

新型コロナウイルス感染症の影響による自粛ムードで例年よりも人は少なかったが、そこには満開の桜を見守る人の思念のようなものが確かに在った。この町に暮らしていた人々は桜に見守られ、桜を見守っていた。毎年変わらず咲き続ける桜は、いつだって暖かく迎えてくれる。

2020年3月9日

一橋のゲートの前に立つ。明日からこのゲートは撤去されるらしい。震災後に見続けた町にはこのゲートがいつだって立ち塞がっていた。この境界は一体何なのだろう。16歳になるまで私はこの境界を越えることができなかった。

2014年3月。15歳になり、震災後初めて家に入るために境界を越えた。あの時の私は見慣れた景色が懐かしくて、嬉しくて、幼い自分がしていたように、縁石に登りバランスをとりながら、夜ノ森駅前まで歩き風に漂う椿の香りを味わいながら、町の面影を探していた。あのときはまだ生活の面影がだ色濃く残っていた。

あれから、道沿いの家々が次々と解体されていった。私の家も2年前に解体をした。ゲートから見える私の家の跡地が見える。解体によって自宅まで見通せるようになったからなのか、昔より距離が近くに感じる。風景が変わっていくにつれて、残酷に。

2020年3月10日

ゲートが開かれ、境界の向こう側の道路と歩道が解除される。ただ、家に入ることは出来ないらしい。それには先行解除なんて名前がついていた。先行解除は午前6時ちょうどの鐘の音と共に行われた。地元の人間はほとんどいない。どこのだれかわからない男の人が何かを宣言してゲートをこじ開ける。

和気藹々と境目を越えていく人々。そこに見えたのは新しくて冷たい銀色の柵。それら全てが私をどこにも帰れなくした。鐘の音が頭に響いてなにも考えられなくなる。

2020年4月5日

一橋のゲートが撤去され、樹齢100年の夜の森の桜並木の前に新しいゲートが設置された。

今日は許可を得てこのゲートを越える。震災から9年経って初めて桜の時期に境界を越えた。やっぱりこの通りの桜はモコモコといい花のつけ方をする。なんだか誇らしい気持ちになるのは、9年前と変わらない姿だからだろうか。

境界を越えた先には、解除された場所にある桜並木は約860mにも及ぶが、それよりも長い桜並木が約1.6kmほど続いている。1901年に半谷清寿が農地開拓記念にこの地に桜を300本植えたことから、荒地だった夜の森には桜が植えられ始めた。

そして今、この通り沿いの家屋は解体していたり、経年劣化で崩れた姿のまま存在していたりする。

最初は家の手入れをしていた人の中にも、9年の間にやめてしまった人は多いらしい。時間の経過に押し潰されるのだ。家に棲み着いていた思念がどうしようもなく薄れていく様を私は眼差すことをやめたくない。そこに確かにあったことをどうか忘れずにいたい。解体される自宅や荒れていく庭を見つめながら「痛い」といった人々を。

そんな土地を優しく包むように存在する桜は救いだった。

100年前から贈り物。100年かけて築きあげた桜と人との信頼関係を痛いほど感じた。まだこの町は大丈夫だ。

桜並木の前のゲートから出て、自宅があった場所へと向かう。銀色の柵の向こうには私よりも背の高い草が生えている。丁度家が建っていた場所に密集して生えていて、この草たちに護られているような、奪われたような気持ちにもなる。

この場所は3年後解除される予定だ。解除されたら私はこの草たちをこの場所で燃やしたいと思う。燃やした後炭になっても、そのまま地層になるようにこの場所には残すつもりだ。短い間でも確かに草たちの時代だったから。そして私はその上に新しく私の時代としての何かを建てようと思う。除染と解体によって、家もなくなり、培ってきた土壌を削られ、地層にもなれなかった私の地層を作るのだ。

夜ノ森駅へと向かって歩く。一橋から見る駅前の桜並木ってこんなに綺麗だったのか。ゲートがあった頃と今とでは全く違ってみえた。これからもっと良いことも悪いことも見えてくるのだと思う。そんな様子をこの地でじっと踏ん張って見続ける人々がこの町にはたくさんいる。きっとそうせざるを得なかったんだろう。それでもこの町を楽しもうとする姿が私には希望に見える。

18時を超えると桜色の空が次第に藍色に変わっていく。もうすぐ夜が来る。

2020年4月8日

富岡第二中学校前。1年間だけ通ったこの学校は間も無く解体される。富岡町内で現在機能している一校以外幼稚園も小学校も全てだ。富岡町が帰町する前からこの二中前の桜並木は立ち入りが出来た。たまたま高校で再会した幼馴染みと毎年一緒にきては満開の桜の下で一緒に写真をとるのが恒例だった。彼女はいつも二中ジャージのズボンを履く。身長が伸び、短くなってしまった上に、膝の部分はボロボロになっているのに、それでもだ。彼女にとってのそれはタイムスリップの道具だったのだろう。

そんな彼女とも就職してからは一度も写真を一緒に撮りに来ていない。もう中学校は解体されてしまうというのに。また一緒に撮りたいと思うのは私だけなのだろうか。この場所が無くなっても、また会えるのだろうか。

2020年4月12日

夜の森のソメイヨシノの桜並木は満開を迎えていた。花冷えの影響もあって長く楽しめていたが花の中央が紅く染まり、今日は桜吹雪が風に舞っていた。

毎年4月にはさくらまつりが開催される。樹齢100年の桜並木のある夜の森公園が会場だったが、震災後は二中の校庭が会場となっていた。今年は本当であれば今日がその日だったが新型コロナウイルスの影響で中止。桜並木のライトアップも併せて中止となった。

夜の森の桜は夜桜がまた綺麗なので残念な気持ちはあるが、仕方がない。

けれど、今年は街灯がライトアップの照明のように桜を照らしていた。淡いピンク色が藍色に染まる前に街灯の明かりで金色に染まり、桜を孤独にはさせなかった。

2020年4月19日

13日に降った大雨で桜はほとんど散ってしまった。

この頃の桜並木はガクが残っていたが既に葉が芽吹いているので、紅葉のような赤と緑が混在していた。そして、これからガクはポロポロと落ち、新緑の並木へと変化していく。見に来る人が居なくても花を咲かせ、花が散っても日々変化し、また花開く日に向けて準備をする。5月になると富岡町はツツジの色とりどりな風景が見られるようになる。駅や歩道に植えられたツツジは除染のために切り株だけになっていたが、この2年ほどで大きく成長し、花が咲き始めていた。先の見えない絶望が何度訪れても、地を踏みしめ、生きて行こうと思えた。この場所が私を作るように、私もここに在り続けられたらいいのに。足元には、雨で落ちた桜や、鳥が啄んで落ちた桜が落ちている。なんだか名残惜しくて足元に落ちている状態のいい桜を拾って持ち帰った。いつだってここに帰ってきて良いのだと少しだけ思えた。まだわたしは帰れないけど、いつかきっとこの町に帰ってこよう。そして、この町に新しく訪れる人や帰ってくる人をこの町で待ちたいと思う。

秋元菜々美地元記者

投稿者プロフィール

富岡町生まれ。
中学1年生で被災、いわき市の総合高校に入学し、演劇部に入部。
演劇部顧問の恩師の教えで自分自身と見つめ合う時間を持つようになった。 自分が生まれ育った町とも向き合いたいと考え様々な地域活動に参画。
現在は富岡町役場職員として活躍している。

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