南相馬市小高区 大悲山の大杉と石仏群 大蛇物語

 

 コロナ禍が続く中、皆さんいかがお過ごしでしょうか。中々外に出る気持ちにもなれない、そもそも人が密になる所に行っては。。。。と、そんなお気持ちの方も多いと思います。私もこれでは何処にも行けないなどと思い、家で過ごす日々に疲れも溜まってきました。

 今回は、コロナ禍の中でも気を落ち着ける・なんだかほっとするスポットとして、南相馬市小高にあります史跡をご紹介したいと思います。

 まず見ていただきたいのは、こちら!大悲山(だいひさんと読みます)の大杉です。樹齢は1000年を超えると言われ、そびえたつ高さは約45m、幹の太さは8mを越える巨木です。

 初めて訪れる方は、そのスケール感に言葉がきっと出ないと思います。(あまりの大きさに写真に収めることが出来ません!)太い枝になると、通常の杉の木の幹ほどの大きさがあるのですから。

 この大杉の横に身を置くと、なぜか自分が抱える悩みがちっぽけのようなことに、感じてしまいました。

 この大杉は1000年を生きてきました。その長い年月の間には、天明・天保の大飢饉、明治維新、第二次世界大戦、近年でいえば東日本大震災・原子力災害と、この地域で暮らす人たちが想像を絶する困難の中にあった時、じっとこの場所で同じ時間を過ごしてきました。今と、同じようにどっしりと静かに佇んでいたのでしょう。

 様々な困難な歴史の中に大杉がいたことに思いを馳せ、またこのコロナ禍も、それをこの木はじっと見守っていくのだと思い見上げると、清々しく晴れた空に向け、凛として真っすぐと伸びる姿には、私もそのようにあらねばと力を頂いた気持ちになりました。

 訪れる方に力を与えてくれる、そんなパワースポットだと思います。

 その大杉を横目に階段を上ると、その先には薬師堂があります。このお堂の中は一般開放されていまして、誰でも自由に入ることが出来ます。中に入ると自動で明かりがつき、目の前のガラス張りの部屋、驚嘆する風景が現れます。

 そこには、日本三大摩崖仏(摩崖仏とは、自然の岸壁などを堀削り、作られた石仏を言います。動かすことのできない自然と一体の石仏です)の一つに数えられる、東北で最大級の石仏群があります。

 幅は15mに渡り、高さ2~3mほど6体の石仏が並びます。平安時代ごろの作と言われ(大杉もこの頃植えられたと言われます)、当時は色鮮やかであったことが、今も残る色彩でうかがえます。

 一つ一つの石仏は、人が見上げるほどの大きさがあります。どういった人たちが作り上げたのか、その歴史は不明だそうです。今と違い重機も電動工具もない時代です。手彫りで作られていったのでしょう。どれほどの人の手、時間がかかったのかも想像できません。ただただ、このようなものを人が作り上げられるのかと、スケール感に驚くと共に、尊敬の念が湧いてきます。

 先人たちの念が宿る仏様に自然と手を合わす自分がいました。恐らく今と同じように、大きな災厄があり、人々の平穏を祈るためだったのではないでしょうか。

 こちら薬師堂だけではありません。阿弥陀堂石仏・観音堂石仏があります。よく見ると同じ山肌をくり抜いて作られていることが分ります。

 苔むした削り取られた山肌には、仏様がいたるところにいらっしゃいます。大悲山に身を委ねて、散策する。歴史に触れながら様々に思い馳せることが出来ると思います。

 またこの地域には、大悲山大蛇物語という伝承があります。大昔のこと、盲目の琵琶法師(お名前を玉市(たまいち)といいます。)が、遠い都から目を治す薬師様に会いに、相馬小高郷(現在の小高区)を目指しました。行き倒れそうになったところを小高郷で暮らす人たちに助けられます。ある日、玉市は沼のほとりで琵琶を弾きながら目が治るようにと祈っていたところ、大蛇の化身として現れた侍に、琵琶の御礼にこの地で起こす洪水について教えられます。その後...

 この物語は、小高郷で暮らす人たちが地域を守っていかなくてはならないという思いで結びます。そしてその思いは、現在も伝承として続いています。

 伝承となった舞台は散策コースにもなっていますので、物語の続きと照らし合わせながら散策してくださったらと思います。

 一つの場所で、こんなに沢山の思いが体験出来る場所は中々ないと思います。是非、大悲山に訪れてみてください。

吉川彰浩地元記者

投稿者プロフィール

高校卒業後、福島県浜通りに移り住み、気が付けば20年が過ぎました。10代の頃の「何もない田舎だなぁ」という思いは、暮らしの中で「面白いことがいっぱいあるじゃない!」と変わっていきました。他地域の方々に、そういった暮らしの視点での魅力をお伝えしていきたいと思います。

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